されど一杯
利用者さんが「熱いお茶が飲みたい」と言われました。
そこで「はいどうぞ」と職員側で入れて出すのは簡単なことです。
しかし、介護の専門職としては、
「有する能力に応じる」
「自分でできた・できる」
を応援する仕事ですので、ここでひと手間かけます。
歩いて道具を揃える能力はない方ですので、道具は職員側で揃えます。
茶筒、急須、湯のみ、ポットをテーブルにおきます。
「これでお茶をいれれますか?」
とお伝えしたところ・・
茶筒の蓋を開けたものの、その先どうしていいか分からない様子です
昔はできたのでしょうけど、自宅でも、施設でもあまりその機会がないので
どうしたらいいか分からなくなってしまっているのかもしれません。
言葉で補います。
「この蓋にお茶の葉っぱを入れてください」
そして「急須にそのお茶っぱを入れて下さい」と動作に合わせ、お伝えします。
その後、茶筒の蓋をどうしていいか分からないようなので、声をかけます
「この筒に蓋をして下さい」
蓋はできたものの、その後の動作が止まりました。
次に手振りに加え、声をかけます。
「このポットのここを押すとお湯が出ます」
「急須に注いでください」
その動作が完了したら、続いて
「急須に蓋をして、湯のみに注いで下さい」とお伝えします
それでやっと熱いお茶を飲むことができました。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
こんなやり取りは人と人との関係性としては悪くはない事です。
そのやり取りに、この仕事の「やりがい」を感じる職員がいるのも事実です。
しかし、依存度は高くなります
その繰り返し、その先に
腕の間接の動きや筋力が落ちていきます
手順が分からなくなったり、考える能力も落ちていきます
「できる自分」を感じる機会もなくなります
職員によって「生かされている自分」を感じるのかもしれません
そんな暮らしなら「死んだ方がまし」と思うようになるかもしれません
専門職として、「能力を下げるお手伝い役」になるのはどうなのか?
と、色々な場面で自問自答していかなければと思うのです。
もちろん、常にそのようなアプローチができるほど人や時間がある訳でないのも現場の事実です。
しかし、必ず能力の引き出せる・活用できる場面はあるはずです。
お茶入れの場面は2分程度だったと思います。
「何でもしてあげる対象」ではなく
自分達介護職がくっついたことで
「自分の力でできる・できた」
「生活の取り戻し」
ができるようにしたいものです
たかがお茶一杯
されどお茶一杯
小さな「できた」も大切にしていきたいものです
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
本日は施設内研修がありました。
中堅職員に一部「講師役」をレクチャーした上でお願いしてみました。
「やれた自分・できた自分」を感じれたどうかは分かりませんが、
その積み重ねの先に「できる自分」を感じれるようになると信じています。