歩かれる苦悩、歩けない苦悩

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最近、外に出て行こうとしないんです

 どうしちゃったんでしょうか

 

そう言ってくれるリーダーと職員で

本当によかったと思える

 

もちろん四六時中外に出て行かれることに

苦悩がないわけではない

歩けなくなってくれたらどれほど楽か

と思ったことだってあるだろう

 

でも本当に歩かなくなった時に出てきた思いや言葉が

よかった!ではなく

どうしちゃったんでしょう

 

そんな滝子通一丁目福祉施設だからこそ

自分の親を委ねたい

と言ってきてくれる方々がいて

 

そんな滝子通一丁目福祉施設だからこそ

自分の仕事の追求の場としたい

と言ってきてくれる方々がいて

 

そんな滝子通一丁目福祉施設だからこそ

自分のこととして受け止めてくださる

地域の住民のみなさんがいる

 

最近見なくなったけど

あのおばあちゃん

大丈夫?

 

散々地域住民の皆さんに

ご迷惑をおかけしている自分たちであるが

人が歩けなくなることを素直に心配してくれる住民の皆さんに囲まれて

本当に嬉しく、ありがたいと思う

 

取締役 和田行男

 

 

2015年06月29日 Category:和田行男の「波の女」とともに

あっという間

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中庭でバーベキューができるように

と言われ続けて早4

振り返れば「あっという間」でした

なぜそんなにも長い期間手を付けなかったか

それは簡単なことで

本気になれていないから

 

バーベキューをするくらいのことは簡単なことだが

中庭にテラスを設けて「憩いの場」にして

そこでバーベキューを!

が構想なので

手作りするにも

お金が必要ということもありますが・・・

 

何でもそうですが

どれだけのことができるか、その結果は別として

本気で取り組めば何とかなるもの

 

よし

一念発起して今年こそ!!!

 

そう言い続けて3年経ちましたが

利用者が中庭の活用に動いたとなると

うかうかしてられませんね

 

気持ちに火が付いちゃいました

 

専務取締役 和田行男

 

2015年06月23日 Category:和田行男の「波の女」とともに

バナナの皮の試食会

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 バナナの皮を食べてしまったトメさん(仮名)

 

 

それを見た職員さんは「あれま~皮を食ってまった」と困惑顔

ところが、別の職員さんが「皮、美味しいよ」

とひとことこぼしたもんですから

即試食会を開催

 

バナナの皮を素揚げにすると

みんな一様に「意外!美味しい!」

 

実はバナナの皮は栄養満点!

幸福感やストレス解消に働く脳内の神経伝達物質セラトニンの生成を促し

目を紫外線から守る抗酸化物質のルテインが豊富

 

トメさん、認知症で「おかしなことをする人扱い」されるところでしたが

栄養満点のバナナの皮を捨てている職員さんの方が

よっぽど「おかしなひと」ってことでした

 

美味しいよと言った職員さん

子供のころによく母親が作ってくれていたようで

その体験がトメさんを救いました

 

 

また職員さんたちに新たな知恵を授けてくれましたが

バナナの皮を食ったトメさんのおかげ

ありがたいことです

 

認知症でおかしなことをする人にされている人は

ウン万人といることでしょうが

おかしな人にしている大半は「知ろうともしない素人」によるもの

 

波の女の職員集団も「介護で飯食っているプロ」であることに

違いはありませんが

プロ=プロフェッショナルとは限りません

 

バナナの皮を食べてしまったことを「おかしなことをした」と騒ぐ前に

バナナの皮について調べ

バナナの皮を食ってみてはいかがでしょうか

バナナの皮の美味しい食べ方を研究して身につけてはどうでしょうか

 

試食会へ向かえたうちの職員さんたちはステキでした

職員さんから又、想起させてもらいまし た

 

 

  • 後記

職員さんから聞いた実話を基に書かせてもらっていますが

完全な事実再現になっていないかもしれないことを御承知おきください

また「けあサポ」に同様の記事を掲載していますことも御承知おきください

 

和田行男

2014年11月02日 Category:和田行男の「波の女」とともに

河村市長へ

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※中日新聞4月4日付朝刊記事より写真を抜粋掲載

 

当社の役員である永田さんは、日本認知症グループホーム協会愛知県支部支部長でもあります。

波の女は協会の会員でもありますが、和田と永田さんたち役員の皆さんとは、協会主催の全国大会“名古屋大会”からのおつき合いで、事業者団体の枠を越えて、会えば「こんなことが必要だ、あんなことはおかしい」と、日本の社会のありようについて議論する仲間でもあります。

 

 

そんなやり取りの中で、「学校教育の中で人の中枢・脳を学ぶ機会がないのは教育の片手落ち」とか「生きるとか死ぬとか、老いとか、認知症といったようなことは子供の頃から」なんて話していました。

 

 

そうこうしているうちに、そんな話が市長の耳に届いたようで、永田さんから「協会として市長に学校教育のカリキュラムの中にそういうことを取り入れるよう要望しに行くから一緒に来てちょ」と連絡が入り、写真のようなことになりました。

 

 

市長自身は「ええことだがや」と大乗り気でしたが、市長だけでコトがすすむわけではなく、とりあえず最初の第一歩って感じでした。

それでも一歩がなければ二歩目にはすすめないし、矢は放たない限り絶対に当たらないですからね。

他にもたくさん話したいことがありましたが、今回は初の対面ですから、ここまで。

 

 

次にお会いできるときには「超高齢社会と名古屋における喫茶店文化の効用」について話をしてみたいと思います。

ぜひ、聞いてもらいたいですね。

 

㈱波の女 専務取締役 和田行男

2014年04月07日 Category:和田行男の「波の女」とともに

つかない支援の顛末に悶々が続く

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職員が付き添うほうが危険!

だとわかったときに家族と協議して「つかない支援」を敢行。

その直後から

施設の中に

見知らぬ傘が増え

見知らぬ自転車や子供の靴が置かれ

どう考えても他人様のものが目に付くようになった。

つかないことにした分だけ

その人の「やりたい放題」になっているということだ。

ものの持ち帰りだけじゃなく

他人様の敷地に入り込んだり

道路で排せつしたり

まさに「反社会的な行動」が

ご近所にご迷惑をかけていることが頻繁になってきた。

「認知症になっても地域社会の中で暮らせる町にしよう!」

と呼びかけることができたとしても

「反社会的な行動まで受け止めて欲しい!」

と町の人たちに僕には言えない。

かといって

閉じ込めることも

放り出すことも

職員を四六時中付き添わせることもできず

八方塞のまま悶々と数ヶ月が過ぎた。

ありがたいことに

近隣住民の皆さんは

言いたいこともいっぱいあるだろうに

ぼくらを受け止めてくれている。

運営推進会議にも出てくださっている

ホントにありがたいことだ。

ただ

ありがたい気持ちを

言葉にはできていたとしても

カタチでお返しできていない。

そんな「人の道に沿えていない僕ら」の中にあって

 

 先日の雪の日

副施設長は施設の前の道路の雪かきをしていた。

道行く人が誰であれ

歩きやすいように転ばぬように・・・

彼女は秋田県の人。

その互助の行動が身体に染み付いた「ふつうのこと」。

社長以下波の女の職員全員が

彼女に学ばなければならない

挨拶を交わすだけでなく

気持ちを自然にカタチにしてお返しできてこそ

滝子通一丁目福祉施設が

根づいたと言えるときではないか

 

施設の前にごみが落ちていても拾わない掃除しない

真夏の暑いときに水をまいて温度を下げるなんて光景は目にしない

自動車の出入りでご迷惑をかけないように意識できているだろうか

買物道中、ごみを拾って歩くなど眼中にない

お願いをすることはあっても

自ら社会的な行動をすることには至れていない

そうだとしたら・・・

 

春がくれば開設3年目に突入

僕らの仕事は税金と保険料=公金による公務

市民に貢献することが本務

 

まだまだ“みちなかば”である

 

㈱波の女 役員 和田行男

 

 

2014年02月19日 Category:和田行男の「波の女」とともに

和田より

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早いもので滝子通一丁目福祉施設は二度目の大晦日となりました。

何かと支えてくださった皆さんと、ご迷惑ばかりかけているにもかかわらず何にも言わずに受け止めてくださっている近隣住民の皆さんに、ブログ上ではありますが、心より感謝申し上げます。

 

昨年、NHKのプロフェッショナルで僕を取り上げていただいたこともあって、それによって就職して来られた方が増えましたが、波の女の方向性や実践に共感してくれている職員さんの「欲」にまだまだ応え切れていないのが実情で、2014年の課題かなと思っています。

来年のどこかのタイミングで、僕も現場を見させてもらって、この「欲」に応えていきたいと思っています。

 

 今年、昨年学卒で入ってくれた職員が1名退職となりましたが、これはとても嬉しい退職でした。自分の「欲」を満たすってことは、満たすための「場」が必要で、その「場」をしっかり見つけてきたからです。

社会人として働いた滝子通一丁目福祉施設での経験(プラスもマイナスも経験としてプラスですからね)を、今後の人生に活かしてもらえたら、こんな嬉しいことはないですし、履歴書の一番目に書かれる法人として誇りに思えます。

 

滝子通一丁目福祉施設の到達点は、まだ「形はあるが中身が詰まっていない箱」のようなものですが、これだけの短時間で外部評価や実地指導によって得られた評価点までこられたのは、施設長を軸としたチーム力のたまものです。

3年目を迎える来年は、しっかりと中身をつめる仕事を社長や役員である僕が果たして、「質量」を高めていきたいし、職員さんにとって「自分の力:自力が引きあがったことを実感できるよう」にさせていただかねばです。

また、近隣住民の皆さんへのお返しの取り組みや、今年はできなかった講演会&セミナーもしっかり取り組んでいきたいと考えています。

よきお年をおむかえください。

 

波の女 専務取締役 和田行男

2013年12月31日 Category:和田行男の「波の女」とともに

つかない支援 (和田行男)

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 Published by 和田 行男

 

毎日30回は外に出られていた

職員に「いこ」と声掛け手を引っ張ること度々

入居されてから10000回近くは外に出られたかな。

 

昨年末に家族と話し合い

外に出ても「職員がつかない」ことに合意できた。

 

その理由は

婆さんにとって職員がつくとはつけられるであり

つけられたら逃げるとなり

信号を無視して大通りを渡ってしまったことがあったこと。

もうひとつは、施設周りの景色を憶えられたようで

ひとりで出かけても戻ってこられるようになったからだ。

 

そうは言っても全く放置してつかないわけではなく

見極めてつかないということだ。

 

事業者と職員と家族

そして地域住民の人たちの反発がなければこその「ひとり歩き」の実現である。

 

今日も職員が誰もついていない「ひとり歩き」をしていたが

施設の玄関先から職員が声をかけ手招きすると

それを見て満面の笑顔で応え

小走りで施設に戻っていった。

 

窓から出る

ベランダを乗り越えて出る

柵をかいくぐり乗り越え

貯水槽の下をほふく前進してまで敷地内から出る

狭い狭い建物の間でも前に進み

どっからでも出ていた・出ようとした彼女の姿はもう今はない

 

何が功を奏したかはわからないが

四六時中施錠して閉じ込める道を選ばず

ひたすら付き添った職員達の熱意は

彼女にとって僕らへの信頼感につながっているのではないだろうか

 

きっと彼女が一歩も外に出られなくなったとき

哀しめる職員達であろう

 

その日は確実にくる

無理に閉じ込めなくても必ずや一人では出られなくなる日がくるのだ

 

自分の意思を行動に移せるってステキなこと

ステキなことだと思えている職員達であればこその「つきそわない支援」である

 

2013年04月03日 Category:和田行男の「波の女」とともに

未熟だらけ

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Published by  和田行男

 

開設して8カ月を越えました。

あとわずかで年が変われば2年目に入ります。

この時期まで大過なく推移すると、自分たちの能力で順調にきているかのような錯覚にとらわれる時期です。

この時期必要なことは誰もが「未熟を知る」ことです。

思考の未熟、支援策の未熟、経営の未熟、組織の未熟、役職者の未熟、個々人の未熟、チームの未熟などなど。

あらゆる面でそれぞれの位置にいる者が「未熟をしっかり意識して知ること」が大事な時期ですが、ともすると「何となくできている」ことを「できている」と勘違いしたり、「わかっているつもりになっている」ことを「わかっている」と思い込みがちです。

大過なくこられたことに感謝し、それを実力でつかみとったなんて勘違いすることなく、努力し尽力していくことが大切です。

浮かれていたらどんでん返しがきます。

 

未熟が

ブログ記事として出てくるようになることを願っています。

 

配慮

 

この頃になると“クリスマス”だとか“初詣”などと職員が騒ぎます。

日本人は大らかなのかどうか、教会でアーメンをして結婚式をあげ、神社に初詣に出かけて柏手を打ったりしますから不明瞭になりがちですが、利用者・入居者の中には厳格に我が宗教を信心されている方がいるやもしれません。

ある宗派の方々は神社の鳥居は絶対にくぐらないと聞きました。

そうしたことも念頭においてあれこれ取り組めるようになる「配慮力」が僕らの仕事の中では欠かせません。

同じように認知症に対する「配慮」も必要不可欠です。

時期的に特別な場所に出かける機会が多いことでしょうが、○○に遊びに行った過去の出来事を今の時点から振り返って利用者・入居者に「○○はどうでしたか」なんて具体的に聞くと混乱のもとになったりします。

認知症のことを理解していない理解しようとしない職員さんは配慮なく平気で聞いたりしますが、それは相手のことを思って聞くのではなく「自分がそのことを知りたい」くらいの話で、自分の思いの実現行動でしかないことに気づけていなかったりします。これもまた未熟の現れです。

僕の言う「配慮」は「心」ではなく「プロとしての策」なのです。

お金を受け取るという事と「プロ」は別物ですからね。

プロをプロ集団を目指していきましょう。

 

追伸

次回は12月5日に投稿することをお約束しておきながら24日になってしまいましたこと、お詫び申し上げます。

すっかりスケジュールから抜け落ちていました。

2012年12月24日 Category:和田行男の「波の女」とともに

はきちがえない「行く」

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「行く」はとても大事なことですが、「行く」にも「いく通りか」あります。

僕らにとって「いく通りか」の「行く」を支援していきますが、気をつけなければならないことがあります。

 

それは、職員が「連れて行く」のではなく入居者・利用者が「行きたい所へ行けるようにする」ことが基本だということです。

 

ともすると「職員が行きたい所へ入居者・利用者を連れて行きたい」になりがちです。

あくまでも支援の基本は「入居者・利用者が主体」だということを忘れてはいけません。

日ごろの会話の中で入居者・利用者の「声=願い」をつかみとり、その場で実行できればそれはそれで良いし、その場で実行できなければ遠くない時期に「実行できるようにする」ということです。

 

僕がグループホームで仕事をしていた夜勤の朝、こんなことがありました。

朝食の時に「季節の話」になり「秋だ」と話すと「秋は栗よね」と言う話になり、入居者は「食べたいね」となった。

さらに僕が「栗なら横浜が美味い」と言うと「食べたい」となったので、日勤の職員が出てきたらすかさず「横浜の栗が食べたいって言ってるよ」と伝え、そのための行動を起こしました。

横浜まで「行きたい人・行ってもいいわよ」と言う人と職員の4人で路線バスを使って横浜に向かって出かけました。

ところが横浜までの道中、新宿の高層ビルを見て「上がってみたい=上がろう」ということになり上がったのですが、高層ビルからの景色のステキさと時間の経過とともに入居者達から「栗」は消え去りました。結果的には新宿摩天楼で昼食を食べて帰ってきたのですが、そんなことはどうでもよく、最初から最後まで「行きたい」「行ってみたい」を応援できたということです。

 

「行く」にはもうひとつあります。「連れて行く」です。

「行きたい」を応援するだけでは、新しい出会いは産まれません。

よくこんな話を聞きます。

 

ディズニーランドのことが大好きな彼女ですが、彼氏にとってはどうでもいいディスニーランド。それでも「彼女が好きなことならば」と一緒に行くのですが、行ってみたら意外に面白く、帰る頃には彼氏の方から「また来ようぜ」ということになり、彼女は「ほらね」と。

つまり、自分にとって必ずしも「行きたい」ではないのですが、行ってみたら「来てよかった」と、心変わりするのも人だということです。

本人の意思だけにそっていると、この「新しい出会い」は産まれません。

一生懸命考えて「こうなるかもしれない」と、その人にとっての「新しい出会いに期待をかけて促す」のも僕らの仕事なのです。

 

一番良くないのは、入居者・利用者に何の期待も抱かず、ただ「職員の行きたい」を押しつけることです。

同じ「行く=行った」という思考や結果でも、支援者としての視点が欠けると、単なる職員の満足を上げるための「行く=行った」でしかなくなるということです。

 

 ともすると、はきちがえて「行かせればいい」となりがちですが、そうならないように常に振り返りながら追求していくことが専門職にとっては、とても大事なことなのです。

 

 次回は12月5日(水)の投稿させていただきます。

 

Published by 和田行男

2012年11月23日 Category:和田行男の「波の女」とともに

NHKプロフェッショナル「和田が流した涙」のわけ

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僕は野村さんに会った時から

僕らの支援の行く末に野村さんの生きる姿を描き

描いた姿を得るためにはどうすればよいかを考えた

それは野村さんに限らずである

 

窓でも柵でも塀でも乗り越え・くぐり抜け

ホームを出て行く野村さん

強張った顔で突進する野村さん

人と交わろうとしない野村さん

触れさせることさえない野村さん

 

そんな野村さんが

市場で買物籠を下げ

商店のおっちゃんおばちゃんと会話しながら

夕飯の買出しをする光景

他の入居者と談笑しながら調理にいそしむ光景

バスに乗り電車に乗ってショッピングや花見に出かけて行く光景

出ていきたい時に玄関から堂々と出ていく光景

そんな、どこにでも・誰もにある「人として生きる姿」を描き

そのために、ああして、こうして、どうしてと支援行程を組み立てるが

それは

「尊厳を保持」し

「有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように」とある

介護保険法の目的そのものへの挑みであり

「人として生きる姿を取り戻す」ことへの挑みである

 

それが僕の仕事=飯のタネだ

 

四月にグループホームに入居してきた彼女に出会い

限られた時間の中で

しかも和田だけが成し得られても意味はなく

職員たちが継承できる支援策探しの旅を始めた

 

苦難に満ちた旅であったが

ひとつひとつ山越え谷越え

ゴールに向かうことができていたその瞬間

五月に彼女は転倒・骨折という悲惨なことにまみれその旅はいったん途切れた

 

僕の涙は

彼女を転倒させて大けがさせてしまったこと

痛い思いをさせてしまったことに涙したわけではなく

僕の一瞬の判断ミスが

目標に向かった全ての行程を狂わしてしまった

その判断ミスを犯したことに対して出た涙である

 

そのミスとは…

 

外出した先で彼女が女性トイレに入ったとき

僕が付き添わず女性職員に付き添わせ

女性職員では応じきれず事故が起こってしまった

「なんで女性トイレであろうが彼女から離れたのか、和田のアホ」

10年前まで現役でバリバリ婆さんに関わっていた和田なら

何ら躊躇することなくついて入ったであろう女性トイレ

その一瞬のミスを犯してしまった

 

その涙から六カ月が経った

 

このブログで

その後の経過が紹介されている野村さん

 

アクシデントで

思ったよりも時間はかかってしまったが

どこにでもある「人の生きる姿」を取り戻しつつある

 

6月以降自分はほとんど関わることをあえてせず

職員の「遂行力」に期待を寄せて見まもってきたが

うちの職員たちは「プロフェッショナル」を受け継いで

果敢に挑んでくれている

 

僕らがあきらめたらそこでお終い

僕らが「人の暮らし」を描けなければ「施設の暮らし」止まり

 

波の女は

介護保険法の目的を遂行する専門職集団を目指しているが

野村さんは通過点とは言え

ひとつの評価を与えてくれているように思う

 

みんなで

これからも

力を尽くしていきたい

 

最期まであきらめずに

 

和田行男

2012年11月08日 Category:和田行男の「波の女」とともに