はきちがえない「行く」

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「行く」はとても大事なことですが、「行く」にも「いく通りか」あります。

僕らにとって「いく通りか」の「行く」を支援していきますが、気をつけなければならないことがあります。

 

それは、職員が「連れて行く」のではなく入居者・利用者が「行きたい所へ行けるようにする」ことが基本だということです。

 

ともすると「職員が行きたい所へ入居者・利用者を連れて行きたい」になりがちです。

あくまでも支援の基本は「入居者・利用者が主体」だということを忘れてはいけません。

日ごろの会話の中で入居者・利用者の「声=願い」をつかみとり、その場で実行できればそれはそれで良いし、その場で実行できなければ遠くない時期に「実行できるようにする」ということです。

 

僕がグループホームで仕事をしていた夜勤の朝、こんなことがありました。

朝食の時に「季節の話」になり「秋だ」と話すと「秋は栗よね」と言う話になり、入居者は「食べたいね」となった。

さらに僕が「栗なら横浜が美味い」と言うと「食べたい」となったので、日勤の職員が出てきたらすかさず「横浜の栗が食べたいって言ってるよ」と伝え、そのための行動を起こしました。

横浜まで「行きたい人・行ってもいいわよ」と言う人と職員の4人で路線バスを使って横浜に向かって出かけました。

ところが横浜までの道中、新宿の高層ビルを見て「上がってみたい=上がろう」ということになり上がったのですが、高層ビルからの景色のステキさと時間の経過とともに入居者達から「栗」は消え去りました。結果的には新宿摩天楼で昼食を食べて帰ってきたのですが、そんなことはどうでもよく、最初から最後まで「行きたい」「行ってみたい」を応援できたということです。

 

「行く」にはもうひとつあります。「連れて行く」です。

「行きたい」を応援するだけでは、新しい出会いは産まれません。

よくこんな話を聞きます。

 

ディズニーランドのことが大好きな彼女ですが、彼氏にとってはどうでもいいディスニーランド。それでも「彼女が好きなことならば」と一緒に行くのですが、行ってみたら意外に面白く、帰る頃には彼氏の方から「また来ようぜ」ということになり、彼女は「ほらね」と。

つまり、自分にとって必ずしも「行きたい」ではないのですが、行ってみたら「来てよかった」と、心変わりするのも人だということです。

本人の意思だけにそっていると、この「新しい出会い」は産まれません。

一生懸命考えて「こうなるかもしれない」と、その人にとっての「新しい出会いに期待をかけて促す」のも僕らの仕事なのです。

 

一番良くないのは、入居者・利用者に何の期待も抱かず、ただ「職員の行きたい」を押しつけることです。

同じ「行く=行った」という思考や結果でも、支援者としての視点が欠けると、単なる職員の満足を上げるための「行く=行った」でしかなくなるということです。

 

 ともすると、はきちがえて「行かせればいい」となりがちですが、そうならないように常に振り返りながら追求していくことが専門職にとっては、とても大事なことなのです。

 

 次回は12月5日(水)の投稿させていただきます。

 

Published by 和田行男

2012年11月23日 Category:和田行男の「波の女」とともに