主体者としての生活☆

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職員が「お茶を入れましょうか」と言うのはどうなのでしょうか?

 

テーブルの上(目にとまるところ)にお茶の道具が置いてあり、

「お茶はご自由に」というアナウンスがあれば

「飲みたくなったら飲む」でしょう(自分の事は自分で)。

 

あるいは一緒にいる人が「あなたも飲む」って言ってくれて

「飲む」って答えると一緒にいる人が入れてくれて

「飲む」またはその逆もあるでしょう(互いに助け合って)

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職員が「飲みますか」と言って準備して入れる事があるとしたら、

それは「自分で」あるいは「互いに助け合って」できるようにする

専門職としての「能力に応じて」の支援ではなく、

単なる「求めに応じる」だけの家政婦業になってしまうのかもしれません。

 

主体者になって頂けるような仕掛け、声かけ工夫していきたいですね☆

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

2024年12月11日 Category:スタッフ日誌

選ばれし者?

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先日、自分の夜勤中にお亡くなりになった方がありました。

前回、、、といってもだいぶ前ですが、その方も自分の夜勤中でした。

 

そんなこんなで、「井さん、選ばれましたね」とよく言われます。

もちろん、滝子の施設でお亡くなりになる方全員という訳ではありません。

 

いつかは、どこかで、誰かの前で亡くなるのが大多数だと思いますが、

果たしてそのタイミングを選ぶ事なんてできるのでしょうか?

選ぶ事ができるのであれば、「選ばれた」となるのでしょうが、

この真実は絶対に解き明かされない、神のみ知る秘密事ですよね。

なので、選ばれる選ばれないなんて考える必要もない事ですが、

そこから、その場面から何を感じ、何を学ぶかは大切な事なのかもしれませんね。

 

最後の瞬間に立ち会う事の意味は、分かる訳もありませんが、

「お疲れ様でした」「ありがとうございました」「どうか安らかに」

といった思いは、死亡が確定した後に感じた事です。

 

今回は「そろそろ」といったステージに入ってはいたものの、

この夜勤中にという心構えはしていないタイミングでしたので、

まずは戻ってこれる可能性を信じ、全力で心臓マッサージを続ける

事しか頭にありませんでした。

「戻って来られる事を信じて」

結果、心拍は再開する事なかったですが。

 

基本僕等の仕事は「生きている間に何ができるか」ですので、

振り返ると、足らない事だらけですが、

介護に「完全」「完成」はないと思いますので、

一つのご縁が「完結」したという事実があるのみです。

残ったのは感謝しかありません。

「自分なんかでごめんなさい。でもありがとうございました」

 

介護は最後の場面に立ち会う事が許される、

尊い仕事なんだと改めて感じました。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

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この日の、日の出の場面です。

「鳥が見送りにきたんだ」

と直感的に感じた印象的な朝でした。

 

2024年12月01日 Category:スタッフ日誌