環境

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環境(かんきょう)

人間や生物の周囲にあって、意識や行動の面でそれらと何らかの相互作用を及ぼし合うもの。

 

人は環境に大きな影響を受ける生き物です。

環境次第では、その中心にいる人が良くも悪くもみえてしまうことがあります。

 

今週グループホームに入居された方がみえます。

滝子にくる前は別の介護施設に入られていたのですが、

そこでは「帰宅願望強く」「易怒性あり」という捉え方をされていたようです。

易怒性(いどせい)って・・ あまり聞きなれないですが、どちらかと言えば医療擁護で、「怒りっぽい」ってことです。

そのような言動に手間がかかっているようで、結果として「早期に次の施を探している」という事になっていました。

 

面接でご本人に話しを伺うと、

「箱の中に閉じ込められていて、散歩にもいけないの」

「何もすることなくって、座っているだけなの」

等々の話をされていました。

 

確かに、施設の玄関には「鍵」がかかっていました。

利用者さんは皆リビングに座っていて、職員さんは忙しく動き回っているようにみえました。

 

このような環境の基では、ご本人さんが言う事は「ごもっとも」のように聞こえますし、

その結果、「ここはどうなってるんだい!」と怒る場面があったとしても、おかしくないように思います。

 

滝子にこられ3日たちました。

「自分のことは自分で」「互いに助け合って」という環境、空気感の中においてどうなったかというと・・

 

包丁や火を使っての調理

食べた物は自分で片付け洗う

食べ終わったらテーブルを拭く

食材を買いにスーパーへ

品定めもすれば支払いもされ

近所をぶらっと散歩

喫茶店に行きコーヒーを飲み

花見に出かける

 

といった暮らしぶりです。

そりゃ他者と調理の仕方に違いや、動くタイミングのズレなどにより、

「おもしろくない」

「あの人は・・」

なんて感情は時々あるようですが、そんなものはどこだって、誰だって、自分にだって起こる普通の事だと思っているので、

険悪にならない限りはそのまま流したりしています。

 

けして、前の施設を批判している訳ではありません。

ただ「環境」により、人は良くも悪くも捉え方が変わってしまうという事実があるということ。

その事を念頭に、本人の状態を説明できるスキルが施設には必要なのだと思います。

 

その人合った環境があれば、活き活き過ごせる訳です。

本人に合わせられる施設側の環境があるか、施設の環境に本人を合わせさせるのか・・

本人に合わせるといいますか、人としての「普通の暮らし」「当たり前の暮らし」を応援する仕組みが施設にあるといいですね。

 

「自分のことは自分でできるように」

「互いに助け合っていけるように」

「社会と繋がっていけるように」

 

その「人として生きる姿」の、基本中の基本を応援するということが、「人が生きる」という事を最期まで応援する「介護」の仕事だと思うのです。

 

閉じ込め、できる事を奪い、なんでも与えられる「環境」の中では、

人は生きている感覚を失っていくのではないでしょうか

「そんなの嫌だ」とだだをこねる事ができる人は、至って普通の感覚なんだと思えるセンスが必要なのだと思います。

 

「環境」

本人を取り巻く「人」「物」「建物」全て環境です。

環境によって人は変化していきます。

その人を生かすも殺すも「環境」次第です。

相手にとっていい環境=「人として生きる基本を応援する事」を意識できたらいいですね。

そして「主体的に生きてもいいんだ」という風を吹かせることができるように仕事をしたいものです。

 

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1週間も主体的に活動していれば、ここで「住んでいる」という体感が芽生えてくるのではと想像します。

ただ、「自宅に帰りたい」という思いを失ってほしくないのも事実です。

グループホームの支援は難しいですね。

 

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

2016年04月06日 Category:スタッフ日誌