世話
「お年寄りの世話も大変よね」
市民の方からそう声をかけられる事があります。
「介護」でなく「世話」です。
世話:面倒をみること。尽力すること。
歳をとり、体や脳の機能が衰えてきたり、障害を持つと、色々と生活に支障がでてきます。
その、生活の中の不具合の「できない」「わからない」を補う(穴埋め)のが介護の仕事です。
なるべく自分の力で「できるように」「できた」と感じることができるように仕掛けていきます。
「自分の力で生きている」と体感できることこそ、人が生きるうえで最も大切な事だと思うのです。
人は他人により「生かされる」生き物ではありません
自分の力を使って自分で「生きていく」生き物です
その基本的な事を支える、作り出すのが介護の仕事であり、専門性だと思うのです。
ところが世間一般では「世話」と映ってしまっている事が多く、
その理由のひとつは、介護職の仕事ぶりが「世話」をしているように見えるのだと思うのです。
もちろん、職員側もその感覚を持っている場合もあります。
世話:面倒をみること。尽力すること。
「できない」「あぶない」「分からない」と決め付け、
単純に
「やってあげる」
自分の価値観として
「やってあげなくちゃ」
サービス業としての仕事として
「やってさしあげる」
なににしても同じことで、「専門職」の仕事ぶりではなく、
だれでもやろうとすればできるけど、「大変そう」「大変ね」と映っているのかもしれません。
私達の仕事は「専門性」が必要です。
私達がくっつく事で、自らの「できた」「できる」を導き出す
私達がくっつく事で、「姿が変わる」
私達がくっつく事で、家族ではできないことが「できる」
世間一般からみて、「さすが介護職・専門職」と言ってもらえるように
立ち振る舞いをし、できうように尽力するのが仕事なのだと思うのです。
そりゃ実際時々「世話」をすることもあります。
それは人と人との関係である訳ですから、全てが「補い」だけで生活が成り立つ訳ではありません。
ただ、自分が「言った」「行った」ことが、「世話」なのか「介護」なのか、区別・意識しながら仕事をすることができると、次のステップ、スキルアップにつながるのだと思うのです。
「今は世話しちゃったけど、どうやったら自分でできるようになるかな」
と意識し、工夫し、アイディアを出し、皆でアプローチする。
そんな仕事ぶりを見せていきたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治