「豊かさ」
反応があまりありませんが、語りかけながら調理場面を作っています
認知症という状態が進行していくと主体的、自発的な発語が減っていく傾向があります。
(一般的にという意味で全員という事ではありません)
他者との関係調整も難しくなっていきます。
その果てにどうなるかというと・・
誘導された場所に静かに座っている
そしてうとうとしている
そんな事になりかねません。
もちろん滝子でも、そんな場面はあります。
だからこそ、そこにアプローチする仕事人が必要な訳です。
食事の場面でも誰も話さず、もくもくと食事介助をし、たんたんと食べる利用者さん。
そんな構図にならないようにふるまうのが私たちの仕事なのではないでしょうか。
厳しい昔の習慣では、「食事中に話をしてはいけません」
といった風潮はあったかもしれませんが、それは自制できる人+その時代においてという事であり、
現在の食を囲むふつうの風景はどんなものでしょうか。
「豊かな食事の場面」
と聞いて、どんな様子を思い浮かべるのでしょうか。
ただ「食べる」という事を業務的に介助するだけでは寂しいですよね。
そんなの「介護」と言わないのではないでしょうか。
どんな状態であったとしても、そこにいるのは「人」であり
「人」である以上
「存在」している訳で
その存在を認める基本的な行為というのは
「語りかける」という事であり
それは返事のあるなし、会話の成立があるなしでなく
「語りかけ」「存在を認め」「豊かな食卓の場」になるよう風を吹かせていく訳で
それが、介護という仕事の基本な訳で
それを演出しようと、立ち振る舞いをする仕事人(介護職)が僕らな訳で
そのために目の前の方々から給料を頂いている訳で
いろいろな訳がある訳ですが
ぼくらの仕事は個別ケアだけに留まらず
人間関係の調整を含む、その場の空気感を作り出し
「豊かな」生活場面を、いろいろ作り出すのも仕事のうちという訳です。
そうなのです。
豊かさの追求
それは人として生きる姿の追求でもあります
がんばろっと☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
自分の次のブログUP時期は少しとんで18日の予定となります~
これからも頑張っていくためにちょっくら旅に出ます♪
ふふふ しっかり充電してきますね☆
ご理解くださいましぃ。
でわ。