考えた「言葉づかい」
20120521
コミュニケーション【communication】
1 社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振 りなどを媒介として行われる。「―をもつ」「―の欠如」
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言葉はコミュニケーションの媒介としては極めて一般的で日常に欠かせないツールです。
その昔ヨーロッパに君臨したネアンデルタール人が絶滅したのは、言葉を駆使できなかったからだという説がありますが、それは伝達能力の違いを表しているともいえ、コミュニケーションにおける言葉の力は、ホモサピエンスが他を淘汰し、地球上に68億人まで増えてきたことが証明しているのではないでしょうか。
言葉はヒトの生活には欠かせないツールですが、その分だけ「複雑な模様」を合わせもち、人は言葉に気遣いながら生きていることも確かです。だから時と場合によって言葉の使い方に変化を加えます。
では「仕事で使う言葉」と「私生活で使う言葉」はどうだろうかと自問すると、私生活以上に「その時その場にマッチしているかどうか」「目に見えない心模様を考えながら使っているかどうか」が、素人と専門職の分岐点になるということではないでしょうか。
■ 例)廊下の外にまで聞こえる声で「Aさん、そこは違うよ。そこは他人の部屋だよ」
Aさんにすれば「そこかもしれない」と確信をもてずにおそるおそるその部屋を覗いたはずですが、それを大きな声でそう言われることで「自分の部屋もわからなくなった自分」を感じ、「そんな自分のことを他人にまで知られやしなかったか」と思いはしないでしょうか。
■ 例)「おそうじ、してね」
自分が願ってもない「ここ」に連れてこられて、自分よりも年下と思われる者から「してね」って言われた人の気持ちってどんな模様でしょうか。「お掃除していただいていいですか」ってお願いされるなら気持ちよく「いいよ」って言えても、「してね」では内心穏やかではないはず。
滝子通一丁目福祉施設は学卒者が多いだけに、まだ友達と話すように話している職員がいます。上記の2例は1階で聞こえてきた声ですが、これもまた「考えてはいない言葉づかい」にとどまっています。
今の時点では致し方のないことですが、2か月目に入った今だからこそ、言葉遣いについて改めてお互いを検証してみることが必要ではないでしょうか。
経験を積むほどに乱れてくる言葉づかいですが、訓練されていないと経験があってもなくても「素のままの言葉づかい=素人言葉」になってしまいます。
だから「敬語を使いなさい」というように言葉を画一化させるのですが、それでは言葉の本来の輝きを失ってしまいもったいない限りです。ここではその道はとりません。
その時その場に即し、利用者・入居者の心模様を踏まえた言葉=職業人としての言葉遣いができるようになってこそ専門職であり、マニュアル通りの言葉しか使わないようではロボットと同じになってしまいます。
滝子通一丁目福祉施設は、まだロボットは必要としていません。このことにロボットを必要としていません。
(和田が中心になって発行している施設内職員通信より)