「大逆転」のススメ Vol.4
「不平・不満はステキな表現」~何で私ばっかり~
「これ全部、私ひとりで洗うんですか」安部さんが怒り出した・
「ええ、お願いします。それとすみませんが、洗剤を使って洗ってほしいのですが」
「これをですか!」
ますます口調が強い。皿を洗う手つきまで怒っている。
「何で、私一人でやらなきゃなんないの。私は皿洗いじゃないですよ」
外で他の入居者が洗濯物を干していたので、安部さんにそれを見てもらうために勝手口を開ける。
「安部さん、こっちに来てあれを見て下さいよ」
「何なの?」
「あそこで他の方は洗濯物を干してくださっているんですよ。安部さんの洗濯物も一緒に干してくださっていましたよ」
「そんなはずはありません。私は今朝ここに来たばかりで、洗濯物を出すはずがありませんから」
「・・・・・・」
ごもっとも。
「自己主張がなくなったら、さあたいへん」
人間は「おかしい」と思っても、それを口に出せないことが多い。
それが原因で体調を崩したり病気になることだってある。
そう考えれば、ストレートにそれを口に出せる婆さんたちにはすばらしい力が備わっているともいえる。
痴呆という状態は、さまざまな関係性を自分自身の力で解決していくことが難しくなってくる。
その意味で、思ったこと、感じたことをストレートに表現できる「環境」はとても大切だ。
協調性がない、わがまま、相性が悪い、自己主張が強すぎる、なんて言う前に、笑う、怒る、悲しむなどの感情表現が内に籠ってしまった人間を思い描いてみてはどうか。
喧嘩している姿がとってもステキに見えてくるから。
「大逆転の痴呆ケア」和田 行男著 中央法規出版 P6~8より抜粋
福祉施設では、「笑顔で」「ゆったり」といった高齢者像を求めがちであるが、人と人が出会い、過ごす時間が増え、距離が近くなればなるほど、仲良しもできれば相性の悪さも出てくるのが「普通」ではないか。
逆に、対立や不満や喧嘩がないとしたら、それはどのような「環境」「方針」なのだろうか?
私達も、幼少期から今日までの集団生活の中で「笑い」もあれば「怒り」もあり、「哀しみ」もあれば「楽しみ」もあった「普通」に経験してきた「喜怒哀楽」
その中でどうも「怒る」ことや「悲しみ」に対して拒否反応があったり、排除傾向だったりしないだろうか?
滝子通一丁目福祉施設でも、日々、「愚痴」「不満」「ねたみ」「怒り」そして時々「涙」。
そんな感情表出があってこその、「笑顔」「喜び」「楽しみ」の場面が輝くのではないか。
「喧嘩」している姿がステキだと感じる瞬間が自分に中に出てきたら、あなたも和田行男を筆頭とする「婆さんズ解放運動」の戦士の仲間入りの証かも知れませんね。。。
(もちろん感情は残っていきますし、後々の人間関係に悪影響が出ることもあるので、喧嘩になった場合や、喧嘩になる前の手だてをする必要はあります)
「あらよっと。反対側から失礼~」
「ちょっと! お~ちゃくいねぇ」
Published by 井