「ふつう」を支える「専門性」~施錠編~
私達は施設で特別なものを目指している訳ではない。
「ふつうの暮らし」を目指しているだけである。
私達自身が送っているふつうの暮らしに近づけたいということである。
「ふつう」・・特に変わってないこと。ごくありふれたものであること。
「特別」「専門」の対比される概念。
これがなんと難しいことか。
何十年もふつうに暮らしてきた方々が加齢や病気になり、それまで送ってきたふつうの暮らしが営めなくなる状態に陥る。
それを私達が補い、障害や認知症をもっても、ふつうの暮らしに近い暮らしができるようするのが私達の仕事であり専門性である。
その「ふつうの暮らし」の中の「施錠」について考えてみたい。
私達が自宅で施錠する時は、防犯上であったり、外での活動が終わった時などにかける「鍵」
それは自分の意思で開け閉めできるもの。
施設の施錠はどうだろうか。
入居者自身の意思、手で開け閉めできるようになっているだろうか?
滝子の施設において、今までも何度となくこの「鍵」について考えさせられる場面があった。
施設に「鍵」をかける。
それも入居者さんの意思で開けられない「鍵」をかけるという対処方法をとることがどうなのかということである。
主に野村さんが・・・ちょいちょいTさんが・・たまにSさんが・・
今はスタッフ1人しかいないし・・・ 2人いても片方は入浴に付き添うし・・・
食事を作らないといけないし・・・・
今、入居者さん達がお出かけしてしまってたら、付き添わなければならないのでフロアはからっぽに・・・
なんてことは日々何回も、何十回も発生している現状があります。
でも、スタッフは日々奮闘しています。 挑んでいます・・よね?
「ふつうの暮らし」を目指すために。
現在も朝は9時くらいから、夜は20時、21時くらいまでは、表玄関も裏口も鍵をかけないように頑張っています。
もちろん「鍵」を皆が自分の意思であけることができるのであれば施錠してもいいのだと思います。
でもその「鍵」が入居者の意思であけられない・あけかたが分からない状況になっていてはいけないのだということです。
もちろんなにもかも自由ということではなく、扉が開けばチャイムが鳴り、人の出入りを把握できるようにしています。
今までの運営の中で正直、入居者さんの状況や、スタッフ体制によりやむなく「鍵」を一時的にかけている時もありました。
ん~あと一歩でしたね!
現在、滝子通一丁目福祉施設では基本的に「鍵」をかけません。
それは施設のルールだから?
和田さんが鍵をかけるなって言うから?
違いますよね。
さぁて、自問自答コーナです。
私達の専門性とはどのようなものなのでしょうか?
玄関の鍵をかける時の心境はどのようなものでしょうか?
鍵をかける時の「カシャ」って音はどのように響いているのでしょうか?
その瞬間のフロア内の入居者さんの自由に活動・生きる権利はどうなるのでしょうか?
入居者さん達が、なんらかの理由で外に出ようとした時に、扉が開かない時の心境はどのようなものだと思いますか?
皆さんも今までの人生の中で、行きたいのに行けない時、行こうとしている時に行けない時、帰りたいのに帰れない状況など、自分の意思を行動に移す事を他者から制限されたり、拘束されたりした時はあると思います。 その時の気持ちはどんなものだったでしょう?
認知症という状態によって、正しい判断がしにくい状態の方や、環境の変化により混乱している方であったら、私達以上に不安や混乱、疑問や憤りを感じる可能性があると思いませんか?
長い人生の到達点の今日、鍵をかけられ、自分の意思を行動に移すことができない閉鎖的な今日を生きると誰が想像して生きてきたのでしょうか?
自分の「意思」を「行動」に移す事ができ、その権利を持っている私達が、その素晴らしさを当たり前だと思い、人生を謳歌している私たちが、人の人権や人生を支援する専門職の私たちが、目の前の人の「意思」「行動」に抑制や制限をかけるということがどんな事なのか、今一度考えていきましょう。
安全重視のために対処的に鍵をかけて出ていけなくするという方法をとる前に、根本的に何が原因で、私たちのアプローチがどのように足りないのかを考え、常に考え追求し、トライしていくのが私達の専門性ではないでしょうか。
鍵をかけて安全を確保するという行動であれば、素人でもできるすべです。
今日から入社した介護未経験の方でもできるすべです。
私たちは専門職であります。
障害を持っても「ふつうの暮らし」「ふつうに近い暮らし」を目指していくために存在しているのです。
目の前の方の人権、尊厳を守る立場という事を自覚していかなければなりません。
確かにその道のりは楽ではありません、簡単ではありません。
だからといって、安全重視のあまり、無意識に、当たりまえのように鍵がかかっている「人々が生きる生活の場」を作り出すことの重大な「尊厳」放棄に気付かない、気づけない、考えないことを投げてしまわないようにしなくてはならないのではないでしょうか。
私達は挑みます。
個々のスタッフの能力の限り、チーム力の限りを尽くして「意思を行動に移せる環境」を維持していくために。
「ふつうの暮らし」を支えるために。
人の「尊厳」を守るために。
それと同時に安全対策やそこにいる意味を感じれるような支援も合わせて挑んでいきます。
その「ふつう」を支えるために必要で尽力できるのが「専門性」「専門職」であります。
そして同じ志し、運営を行う仲間を増やしていきたいと思います。
今後もご支援・ご指導くださいませ。
「さぁてでかけようかしら」
「夜10時ですけど・・」
Published by 井