ある日のこと
3F町上です。久しぶりの登場です。
ある日のこと
ある認知症を患った利用者Aさんが落ち着きがなくなり施設内をうろうろし始めました。
施設を自宅と思ったり、思うように生活出来なくなってきている不安を抱えたり、イライラしたり。
いつものように散歩に誘い気分を変えるよう支援。何とか気分を落ち着けて外出へ。
外に出て散歩をしながら話しているとAさんは自宅に帰る気になっているよう。
なんとか話の折々にクラブ※1へ帰ることを含ませつつ15分ほどでクラブへ到着。
到着し居室に戻るとみるみるうちに表情がまた険しくなりまた不安な状態に。
そして一人座り込みうちに帰りたい、、、と。
Aさんの自宅へ戻るスケジュールは週に一度。昨日自宅へ戻ったところ。
いつもなら認知症特有の短期記憶の消失(気分が変わればすぐに嫌なことも忘れてしまう)を利用してなんとかごまかす所ですがAさんはうちに帰りたいという前に別の言葉も僕に投げかけていました。
「また騙して。もう嫌。」
その言葉は僕をえぐり、いつもはとらない行動を僕に取らせました。
「おうちに帰りたいといっているので少しだけ御自宅にお連れしてもいいですか?」
心のうちには利用者との昼食作りに丁度差し掛かった時間帯で一番支援に力が入る時間。
フロアの仕事をしている他の職員への負担が増えること、そしてそんな言葉にいちいち付き合っていたら仕事が回らない、そういうときこそ機転を効かして何とかするのが職員だ、
などとものちのち頭をよぎりましたがそのときはどうしても先ほどの言葉がありそうせざるを得ませんでした。
車に乗り移動している間にすっかり落ち着いたAさんは、自宅に着くとああ懐かしいところに帰ってこれた、写真たてや昔買ったであろう観光もののキーホルダーを眺めながら「ああ懐かしいー。」と仰いました。
そしてほんのわずかな時間、約15分を自宅ですごした後「クラブへ戻りましょうか?」と聞くと「はい。」と。
帰りの車中で再び「あーいいとこにいけた。こんな日は夜に夢を見るんだわ。今日も夢を見るわ。ありがとう先生。(この方は僕を先生と呼ばれます)」と穏やかに話されました。
グループホームと違い小規模多機能はあくまで自宅での生活を支援します。
自宅での生活支援が何を意味するのかもう一度考えてみました。
何のための自宅での生活支援なのか?
自宅へ戻り適切に安全な電磁調理器を使い、きちんとトイレの位置が分かり、お腹が減れば一人で近所に買い物に行き、支払いをできることが全てなのか?
自分の家とは最も住み慣れた場所であり、生活の思い出が詰まった場所です。
そしてそのような記憶が生きる力に大きく関係していることを学びました。
断続的な記憶の中で不安げに生きている認知症の方たち。しかしその中できらきらと輝く人生、生きることの手触り。その確かな手触りを学ばさせてもらった大切な一日でした。
※1クラブ=小規模多機能・クラブ滝子の通称。