「介護の専門性」 その弐
(前回の続き)
辞書に書かれている事ではなく、施設内外における実践の中で感じ実践している事でいきますと、
「介護」とは、私達同様「人が生きる姿」「市民として暮らす姿」を取り戻す・創造する仕事であり、「専門性」とは「諦めず、挑み続ける姿勢」であると、声を大にして言わせて頂きます。
一般的に人は自立した後、「自分のことは自分で」「互いに助け合って」「社会と繋がって」という「人が生きる姿」生活を長い間続けていきますが、ある時、体のどこかが壊れる事があります。壊れたかによりますが、そうなると今までできていた事ができなくなるという事が起こります。「できなくなった事はできないままでいい」「失うことは仕方ない」で済めばいいのですが、そうではなく「今までできたことをでき続けたい」「取り戻したい」といった思いは誰もが持っていると思うのです。
その思いを実現するために、医療が壊れた所を修理し、介護は修理したものを使っていくことで「今までの自分」に近い状態を目指したり「人として生きる姿」を取り戻そうとしているのだと思うのです。
その姿の先には、他者や社会との繋がりのある「市民生活」があり、介護はこの姿を「どうやったら取り戻せるか」ということを考えながら関わっていく仕事だと思うのです。
「市民生活」とは難しく考える事ではなく、朝起きてから寝るまで、または休日、私達が送っている暮らしを振り返ってみればいいと思うのです。顔を洗い歯を磨き、鏡を見て髪を整え、服を選択し、社会に出る。そんな当たり前のように始まる1日のことです。そして髪が伸びたら美容院、食事は作ったり、買ったり、食べに行ったり、自分にとっての楽しみの物を探したり、行きたい場所へ行ったり、会いたい人に会ったり等、自分が生きていく上で自分に必要なものを調達して生きるということです。
そのような市民生活が様々な障害により、自分の力で獲得できなくなったのであれば、私達専門職がくっつく事で、失ったり諦めたりした事を取り戻したり、新たに獲得していけるようにするということです。
介護とは、このようなことを目指しながらアプローチする視点と、鋭い洞察力を基に、いつ、どこで、どのように、力を貸すかを見極め関わる仕事であり、辞書に書いてあるような一方的に行う行為で留まるものではないと考えています。
精神的にも体力的にもとても大変な仕事です。
常に自分のコンディションが問われます。
「生活」「人生」を支える専門職ですからね。
自分を大切にして、他人も大切にする。
素晴らしい仕事だと思いませんか。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
先日房総半島へ遊びに行ってきました。
たまには自分のケアもしないとね☆
たまたまですが、月9ドラマ「サマーヌード」のロケに遭遇。ロケ地も発見し写真を撮ってきました。
(傘さしているのが山Pと香里奈かな)
(撮影の時だけ特大広告が貼られる看板フレーム)
旅の目的は「マイク眞木」さんのイベントに参加でした☆