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今日地域包括支援センターの職員さんから相談があった。
「自分の考えは間違っているのかどうなのか?」
ある高齢者が脳血管障害により認知症という状態になった。
老老世帯。互いに認知症あり。
自宅を自宅と認められず、しょっちゅうお出かけするも帰宅困難。
警察への捜索依頼二十数回。依頼なしも含めると相当な行方不明回数。
デイサービスや訪問介護利用時も不在の時がある。スタッフは都度探している。
今後どのように支援するか担当者会議が開かれた。
地域包括のスタッフが切り出す。
「お出かけする理由を探っていき、対策を練ることが大切でないか?」
色々と議論が交わされるも結論は、
「本人は慎重な性格のため、交通事故に合う可能性は低いので、それは問題視しなくていいのでは?」
・・・・・
そして翌日、地域包括のスタッフの元に担当ケアマネから連絡があったそうな。事態は思いもよらぬ展開へ。
「初めて便失禁が確認されたので、在宅生活は限界ということで有料老人ホームの入所が決定しました」
・・・・・・
「自分がうまく提言できなかったのがいけないのか?お出かけの原因を探ることは必要ないのか?」と地域包括スタッフ。
「認知症」は、脳の病気+生活に障害がある状態。
脳血管障害の対応は医療面の出番。生活上の障害への対応は介護面の出番。
その両者が情報交換し連携を図り、目の前の方の「生活」のお困りごとを改善すべく尽力するのが自分たちの仕事ではないか。
頻発する帰宅困難は生活の障害ではないのか?ご本人さんの目的、あるいは不安やストレスといったことを知って感じていくのが私達の仕事ではないのか?1回の便失禁で在宅生活に見切りを付けるのはどうなのか?(確かにご本人にとって便失禁が及ぼす影響は大きいが)
脳が壊れる→いつどこで何が起こってもおかしくないという予測ができているのか?(いつまでも慎重は安全なのか?)
事が起こった後に、探す、捜索願いを出す。失禁が出てきたら施設入所。これは対処法であって、原因追及の「なぜ?」予測力や創造力で「どうしていくか」という専門職の視点が抜け落ちてしまっていないか?
「対処法」が目立つこのやりとりに疑問を感じる地域包括のスタッフの考えは「間違っていない!」と共感と励ましの言葉を送って、色々な考え方を確認し合ったが、現在のその方を支える関係者の力量、思考、サービスの対応力に限界点があるもの事実。
でも嘆いていてはいけない。愚痴ばかりでもいけない。止まってはいけない。
諦めるのではなく「続けること」
10の方策の内、9はうまくいかないことが多いこの仕事。それでも諦めずに、困っておられる目の前の方のために「続けること」
知り続け、考え続け、関わり続け・・・
諦めずに続けること・・・
その先に自分の成長と、この業界を動かしていくキッカケが生まれるのではないでしょうか。
地域包括のスタッフさん。諦めずに目の方のために尽力し続けましょうね☆
続けるといえば「コンティニュー」
社長から何年か前に紹介されたSEAMOの曲「Continue」の歌詞を以下に貼り付けます。
「Continue」
あきらめる? あきらめない? 決めるの自分
やってもないのに 愚痴るばかり 実は夢追いかけたいのに
口癖の様に言う「どうせ」 物事暗く悪い方へ
そう思うのはむしろ簡単 早いよ自分見切る判断
絶えず聞こう 胸の奥 聞こえるだろう 力強い意志がノックノック
やれるやれる まだやれる 心の底で力をためる
そしてかなえる 君の人生 費やした時間をたたえる
負けたら終わりじゃなくて 「やめたら終わり」なんだよね
どんな夢でもかなえる魔法 それは「続ける」こと
苦しみ 悲しみ その先見える光 自分の道
ずっと ずっと コンティニュー
勝つか負けるかじゃなくて 「やるかやらない」なんだよね
どんな夢でもかなえる魔法 「あきらめない」こと
前向き 胸張り 一歩一歩踏み出し 自分の道
ずっと ずっと ずっと ずっと コンティニュー
作詞 SEAMO
Published by 井