あの手この手
最近、久しぶりに1階(グループホーム)の勤務に入る事が増えてきたのですが、入居者の動きに違和感を感じています。
その違和感とは、「洗濯物」関係や「掃除」関係に対する動きが鈍くなっているように感じるのです。
主体的に洗濯物を取り込もうとされない。
声をかけても取り込もうとされない。
しかし、仕方なく職員が取り込みテーブルの上に置くとたたみ出されます。
??
職員に動きが悪くなったか聞くと、「最近取り込まれないので職員がやる事が多いですね」と。
確かに時間とともに、意欲の低下や機能低下によりできなくなる事はあり得ます。
その時は必ず訪れます。
しかし、有する能力を見せて頂くと、まだまだやれるはずなのですが??
推測するに、職員が待ちきれず手をだしてしまう(取り込んでしまう)事が増えてきて、入居者がそれに馴れてしまったのではないか?と思えるのです。
その他の場面でも、職員が安易に手を出したり、代行する事が多いように感じています。
でもその姿では「自分の事は自分で」から遠ざかってしまいます。
自分の服(洗濯物)は、自分あるいは他者と協力して「干す」「取り込む」「たたむ」「居室へ持っていきしまう」を目指すのが私達の仕事。
職員のお手伝いで「運ばれてきた洗濯物をたたむ」姿になってしまってはやらされている受動的な姿に近くなってしまいます。
という事で仕掛けます。
まずは少しだけ職員が取り込み、それをたたみ出す流れで、外に干してある洗濯物に意識が向かないか—
だめでした。 外を見ても取り込もうとされません。
次に取り込みやすくするために、窓側に洗濯物を近づけ取りやすくしてみました—
だめでした。 取り込もうとされません。
次の手です。
この方々の洗濯済みの服を居室からお借りして、こそっとハンガーにかけ、外の洗濯物の一番手前の目立つところにかけ、声をかけました。
「あの○○さんの服、乾いているようでしたら取り込んで、部屋に持っていって下さいね」すると—-
「自分の服」には関心があるようです。
ささっと、取り込まれだしました。
自分とは関係ないと思ってしまえば、なかなか動けないのが普通です。
しかし「自分の物」が絡めば、そこに「意味」や「動機」「主体性」を導き出しやすくできるものです。
動けることが分かれば、あとは毎日繰り返すことで、主体的な洗濯物の取り込みが取り戻せるのではないでしょうか。
あの手この手で「自分の事は自分で」「互いに助け合って」「社会と繋がって」を取り戻せるよう、知恵と工夫と努力とチームワークで挑む。
皆で意識していきたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治