「大逆転」のススメ Vol.17
大逆転の痴呆ケア」 和田行男著 中央法規出版 P221より1部抜粋
「してあげる」から「して・あげる」へ
~中略~
何かを「してあげる」というのは大切やけど、専門職が婆さんを「してあげる」存在にとどめたら、婆さんは「してもらう」存在にとどまり、やがては人が生きる姿からほど遠い姿にしてしまうやろな。
自分のことが自分でできるように「して・あげる」、社会と切り離されないように「して・あげる」など、自分の力だけでは何ともできん婆さんたちに手を差し伸べる「して・あげる」支援はとっても大切や。
要するに、「してあげる」と「して・あげる」をはき違えないようにしんとな。
自分でできるように「して」「(引き)上げる」ということが仕事。
~続く~
とあります。
「してあげる」方が、親切かつ早い。
こんな感覚は専門職としてどうなのか?
その関わりの先はどうなるのか?
「考える」機会がない。
「動く」機会がない。
そして「依存的」「受動的」になっていく。
最初は「してもらえる」ことにより「ありがとう」と言われるかも知れない。
しかしいつかは「してもらってばかりで」、迷惑かけて「ごめんね」に変わるでしょう。
「ごめんね」と言わせるために私たちは仕事をしているのではありません。
「生かされている」と感じさせるために仕事をしているのではありません。
「してあげる」を「仕事」と勘違いしていないだろうか?
そのアプローチの先に、目の前の方の能力はどうなっていくのか?
「能力を奪う」「能力を下げる」お手伝い役にならないようにしたいものです。
「人」は自分も目の前の方も、「自分の力を使って自分の人生を生きる」生き物です。
有する能力を発揮しながら。
そして有する能力に応じるのが私達の仕事です。
皆で再確認していきませんか?
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治