普通のありがたさ
今日は休みを利用して、施設巡りをしてきました。
知的障害者施設
身体障害者施設
回廊もある従来型介護老人福祉施設(特養)
ユニット型の介護老人福祉施設(特養)
それぞれの施設ならではの工夫や苦労や現状が垣間見れました。
対応して頂いて感謝しています。
自分ごときが、他の施設を見てどうこうコメントする立場ではありません。
ただ、そこにいる方々の境遇を考えると、色々な価値観はあるものの「ふつう」ってどれほど大切で、素敵な事かと思えてきます。
住まいがあり
仕事があり
暮らせるだけのお金があり
家族があり、友人知人があり
健康があり
今があり、たぶん明日がある
うまくいかない事や
苦しい事、辛いこと
悩み
不安
そんなものは普通に誰にでも「ある」こと
そして、ずっと続く訳ではありません
目が見え
音が聞こえ
匂が分かり
声が出せて
味が分かる
手が動き
歩くこともできる
「ふつう」「幸せ」
は、今自分自身が「ふつう」に生きれていること
今日も無事に生きれたこと
晩御飯を食べ、風呂に入り、布団で寝れること
今息をしていて、明日の朝目覚めることができること
これが幸せでなくて何が幸せなのか
そんな事にも気づけなくて、幸せを追い求める事こそ、不幸の始まりなのではないでしょうか
施設を利用されている方々は、年齢問わず体や脳の調子が悪く、不本意ながら施設やサービスを使用しています。
でも、そんな中、日々たくましく一生懸命生きている方もみえます。
生きる気力を失い、生かされているような状態の方もみえます。
そのような方々に「ふつう」がある私達は、何ができるでしょう
何をすべきでしょうか
自分に「ふつう」があり、そこに感謝し、自分だけでなく
目の前にいる障害を抱えた方々にも「ふつう」を少しでも取り戻せないか
部分的でもいいから「ふつう」を感じる機会ができないか
そんな事を感じ、考えられる専門職が、もっと増えたらいいなと思いますし、
そこに尽力しなければと、感じることができた有意義な時間でした。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治