「大逆転」のススメ vol.1
朝礼で申し送りをした後に、滝子通一丁目福祉施設の目指すべき姿の確認に為に、波の女役員「和田行男」著書のベストセラー「大逆転の痴呆ケア」中央法規の中の一段落分を読み合わせて、現在の入居者やスタッフの動きの振り返り、波長合わせを行っている。
今週の題目は77ページ参照です。
「生きるとは自分自身が主体である」
自分とは、「自分自身の能力」である(広辞苑より)。
また、生活とは「生きること」であり、「生きる」の主体は自分である。
理屈っぽい話だが、つまり「自分自身の能力を発揮して生きること」が自分の生活であり、自分の生活が自分自身の能力でままならなくなったときに支援を必要とする、ということになるのではないか。
支援する側が「お年寄りに××させるなんて、しのびない」という価値観をもつこと自体が、すでに年寄りを人としてとらえてない証といえる。
そしてそれは、痴呆という状態や要介護状態にある人は人にあらず、「特殊な人」というレッテルを貼っていることのあらわれである。
僕らの専門性は、痴呆という状態にある婆さんたちが、その能力に応じて生活を主体的に営むことができるように支援することにあり、決して支援する側の価値基準に合わせて生かすものではない。
自分の能力に応じて自立的に生きている姿は「人が生きる姿」であり、一方的にしてもらっているばかりでは、人が生きる姿から遠くへ離れるばかりである。
~和田行男著 大逆転の痴呆ケア P77 より抜粋~
この本に書かれれいることは約9年前に書かれたことであるが、果たして支援の在り方は変わっているのであろうか? 私達の仕事の軸になる大切な段落である。
自分の部屋は自分で・・
共有スペースは協力し合って・・
それにしても素晴らしい体位・バランス☆
Published by 井