「大逆転」のススメ vol.2
「ひそひそばなしに密かな手だて」
洗面所の前で、3人の婆さんが、ひそひそ話しに花を咲かせている。
「あの先生は、うるさくて細かいのよ」
「そうなの?」
話し手は姉御肌の京子さん(仮名)。
聞き手には強い人には歯向かわない照子さんと和子さん。
あの先生とは僕のことであり、直接的には歯向かえないため、ひそひそ話でうっ積を晴らしているようだ。
ステキなことである。
しかし、その話も。やがてまったく違った方向へと展開し始めた。
「敏子さんが、私の下着を盗っていくのよ」
「あら、いやだね。そんなことをする人が一緒にいるの」
「そうよ。私の下着やら服に自分の名前を書き込んで・・・」
「いやだねー」
このままにしておくと話の内容は忘れても「そんなことをする人が一緒にいる」という感情は残ってしまいかねないため、ここで僕らが出動する。
「補い・埋めあい・潰しあい」
~中略~
京子さんは、他人のものも自分のものと思い込み、そこに本当の持ち主の名前が書いてあると「盗られた」となる。
照子さんと和子さんは、「財布がない、服がない」と自分でしまい込んでは忘れてしまい、「どっかへやっちゃた」と訴える程度であったが、京子さんと親しくなり話し込む時間が増えるにつけ、「私の財布をだれかがもっていった」「盗まれた」と言うようになる。
そのため僕らが出動して、京子さんと2人きりで居室にこもったり、隣同士で座って敏子さんのことをあれこれ言わないようにするなど、人間関係が深まらないように手立てをとることがある。
それがいいのか悪いのかはわからないが、照子さんも和子さんも、京子さんがいなければ、敏子さんと一緒にいい時間を過ごすことができるのである。
一口で支援といっても、その方策はとても語りつくせないし、単純にアセスメントできるものででもない。
生きるのを支援するのは難しいが、人が群れることによる可能性はどっちに転んでも無限であり、これがたまらないのだ。
「大逆転の痴呆ケア」和田行男著P49,50より抜粋
ひそひそ話に花が咲く★
「あの人はいつもやらないのよ・・」
共同生活を支援する形態のグループホームでは、入居者間の人間関係をどう整えるのかで、その方向性が変わってくる。
和田さんが言うように、自分で関係性を調節することが難しい痴呆(認知症)という状態にあると群れはおさまりがつかなくなる。
そこで僕らの「出動」が必要になるということです。それも仕事です。
滝子ではまだまだ「出動」できていないので、入居者様の群れの方向性はその中のボス任せ×××
「出動」せず、関係性を調整することが仕事だと理解していないと、「入居者同士の関係が悪くて困る」というコメントが飛び出すことになってしまいます。
これは仕事ができていない自分をアピールしているということであり、専門職としてはどうなのか?ということではないでしょうか。
そんな簡単に人間関係を調整できる訳ではないが、上記のことを理解して、一生懸命あの手この手で実践を続けていくことが大切です。
そろそろ「滝子通一丁目福祉施設」も「出動」の機会を増やしていかなければなりません。
悪戦苦闘の状況はまたそのうちに。
これはひそひそ話ではなく
「豊な時間」♪