「大逆転」のススメ Vol.11
頭は「連れてきてもらった」、でも体は「自分で来た」
中略~意図的に全員で外出するときも、ひとりや少人数で外出するときも、職員と一緒にバスや電車など公共交通機関で外出するようにした。
しかし、その理由は、そのほうが「普通の外出らしい」からということではない。
確かに車で行くのは楽でいい。
ドア・ツー・ドアで快適でもある。
荷物を背負わなくてもいいし、何かあったときに対応もしやすい。
でも、車での移動は、車中にいる婆さんと職員の関係しか存在しないし、「連れていってもらう」ということ自体、身体的にも精神的にも受動的になりやすい。
行きたいと思ったところへ行くのは能動的行動である。
自動販売機で切符を買い、自動改札機を脅えながらくぐり抜け、何十段もある駅の階段を上り下りし、自分の足で歩み、重い荷物を背負い、さまざま障害を乗り越え、多くの人々に接し、空気を感じながららの外出。
いくら職員が付き添っていても、頼れるものは自分でしかなく、まさに戦場である。
「こんないいところへ連れてきてもらってうれしい」
言葉こそ精神的には受身だが、身体的にはまぎれもなく「自分で来た」という体感のある主体的な外出である。
電車やバスを使って外出することは特別なことではなく、人並みの姿である。
「大逆転の痴呆ケア」 和田行男著 中央法規出版 P54~55より一部抜粋
5月最終の好天日、滝子の施設では突然外出することとなった。
小規模多機能型居宅介護より6名の利用者と2名のスタッフ。
グループホーム1階より3名の入居者と1名のスタッフ。
グループホーム2階より4名の入居者と2名のスタッフ。
総勢18名(車椅子対応3名含む)の外出部隊である。
市バスを使って「鶴舞公園」のあじさい祭りへ行くことになったのですが、一度に乗り込むのは時間もかかるし、一般の方々もみえ、乗り切れないとうことで2台の市バスに分かれて向かった。
和田の言う、体感のある主体的で能動的な行為を意識しての外出である。
多くの市民の方との接点、おひさまや木や風など、街の様々な環境を自らの体で感じて頂く大切な時間となりました。
1、2、3階の利用者や入居者間の助け合い、声のかけあいも多く見られました。
往復2時間半程の外出でありましたが、施設へ帰り着くとある利用者がぼそっと言われました。
「しんどかったけど、ここ(施設)でごそごぞするより、今日みたいな方が楽しいわね」と。
それも息を切らしながら。
自分の体を使い、公共交通機関を使っての外出。
まさに人並みの姿である。
ちなみに利用者の1名は・・・・
「今日はご苦労さま。気をつけてお帰り下さい」と言われ、施設近くのバス停で降りることができませんでした。
多くの市民の方々も乗ってみえたので、即座に対応。
担当スタッフをつけ、お金を渡し、「降りれるようになるまでのんびり行ってこやぁ」と。
結果、終点まで行かれました(笑)
外出はハラハラ・ドキドキ・キラキラ☆の連続である。
「あら 綺麗なちょうちょ。 踏まれないようにどこかに移さなきゃ」
Published by 滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治