「大逆転」のススメ Vol.15
大逆転の痴呆ケア 和田行男著 中央法規出版 P212,213より一部抜粋
こもれびが始まったころ、僕は婆さんの自発的な動きを見極めるために、朝の台所カウンターに大根や白菜など食材を並べ、目につきやすいところに包丁や鍋などを置いておくこともやってた。
すると、起きてリビングに来た婆さんが2人以上になると、互いに顔を見合すように、「ご飯はどうするのかしら」「わからないよ」と言いながらも、思うままに大根を切り始め、「鍋に火を入れて」なんていう具合に進んでいったんや。
また、朝早くだれも起きていないときに、リビングのテーブルを隅の方に片付けて、広くなったところにバケツと雑巾を置いといたんや。
すると置きてきた人から、箒を手にして掃き始め、バケツに水を汲んで拭き掃除を始めるわけや。
それ以外にも、洗濯物を干して乾いていることさえ確認して放っておけば取り込むし、テーブルの上に乾いた洗濯物を積んで置くだけで、何も声をかけなくても、ひとりであるいは何人かでたたむわけや。
~中略~
婆さんが自発的に行動できるように支援していくことは、「やらせる」こととは意味がまったく違う(続く)
介護保険や各介護保険事業の基本方針に「自立した日常生活を営むことができるように」という文言が示されています。
「自立した」とは「主体的に」とも置き換えられると思います。
「やらせる」こととは違うということです。
どれだけ丁寧にお願いしたとしても、そこには「お願いする側」と「お願いされた側」に分かれます。
「主体的」とは「自分の意志や判断に基づき、自分で決め、自分で行動する」ことではないでしょうか。
そのような姿を引き出すために、どうやったらそのようなことにいきつくかを考え、能力を見極めた上で、その能力が発揮されやすい仕掛けやセッティングを行うことが大切だと思います。
「自分の力を使って生きる」という事は、「やっている姿」を目指すのではなく、そこへの「もってき方」の方が大切な事ではないでしょうか。
日常生活行為全般の中に様々な仕掛けを行い、「やろうかな」という気持ちを引き出すきっかけ作りをしたいものですね。
その繰り返しや積み上げが、よりいっそう主体性を高めていくのだと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治