「主体性」を導きだすアプローチ⑦
( 言葉を選んで )
職員が何らかの作業・行動を利用者さんに促す時に、ついつい「○○手伝って頂けますか?」と声をかけがちです。
「イヤ!」
「何でそんな事しなきゃいけないの?」
「あなたがやってよ」
等々の 反応が怖い とそのような声かけになってしまうのかも知れません。
しかしこれでは「頼む側」「頼まれた側」になってしまい、主体性があるとは言いがたくなってしまうと思いませんか?
確かに「○○しませんか?」と相手の決定権を尊重した声かけは大切です。
しかしこの声かけで問題なのは「手伝う」という言葉です。
誰の手伝いか? と考えると「職員の手伝い」という事になってしまいます。
職員がやるべき「ご飯を作る・片付ける手伝い」
職員がやるべき「洗濯を干す・取り込む・たたむ手伝い」
職員がやるべき「掃除をする手伝い」
職員がやるべき「買い物に行く手伝い」等々の感覚に相手はなってしまうのではないかと思うのです。
そういった意味で「誰の手伝いか?」を考えると、「職員の手伝い」となってしまいます。
これでは「主体的な生活」「自立した生活」ではなく、「職員の手伝いをして生かされている・生きている生活」といた感覚になってしまうのかもしれません。
基本に立ち返り「誰のための生活行為」を考えると、「自分の力を使って自分が生きていく」ための生活行為であります。
ただそれが、認知症や要介護状態で、できなくなっているとすれば、「利用者が利用者の力を使ってできるように手伝う」のが職員の仕事となります。
その場合の声かけを考えると、「○○やりませんか?手伝いますよ」「○○しましょうか?手伝いますよ」と手伝うという言葉の位置が逆(後)になる、もしくはつけなくてもいいのではと思います。
「手伝う」を付ける付けないで難しいのは、「共同作業」の部分ですね。
「他人の服をたたむ」とか、「自分が使っていない食器を拭く」とか、「自分の分が入っているといっても自分以外の大多数の人のおかずを作る」場合なのどは、「手伝って」のフレーズが入って当然だと思いますので、そこは使い分ける必要があると思います。
しかしそれも、主体的にやる事の流れや空気感が出て当たり前になってくると、つけなくてもいい場面、つけなくてもいい人が出てきますので、「人」「場面」によって言葉を選ぶ・使い分ける必要が出てきます。
「主体性」とは職員の働きかけや、仕掛けや、立ち居地や、声かけを総動員し、それをチーム全体でアプローチして、少しずつ引き出されていくものではないでしょうか。
「応援する」という思い・姿勢を忘れずに。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
でも、実際作業が多すぎ!
これは「一緒にやりませんか?」ですね。笑