「死にたい」にどう応えるか

Published by sato

 

自宅での暮らしが色々と難しい、危ないとの事で緊急入居されたMさん。

少しずつ食事・水分がとれ、歩き出し、入居後数日間がまあまあなスタートで過ぎています。

 

ご飯の声かけをさせて頂くと、もごもごと「○○たい」「○×△■といて」と言われます。

??

 

聞き流さずに、何回か聞いてみると・・

「死にたい」

「ほかっといて」

 

と言われました・・・

 

アルツハイマー型認知症にうつ病もある方で、よくそのように話しされるとの事。

しかし久しぶりに聞いた言葉です。

 

目の前の方々のためにと仕事をしている私達。

その方の意志を尊重しいきたいものです。

その立場の私達は 「死にたい」「ほっといて」と言われて、「分かりました」と言える訳でもなく、困ってしまうものだと思います。

 

その原因には「病気」がそう言わしているという事もあるでしょう。

病気の側面には、「医療」「薬」等の関わりが必要でしょう。

 

別の視点では、私達がそう言わせてしまっているのかも知れません。

 「死にたい」はご本人の主体的な言葉に聞こえます。

しかしその言葉を置き換えると、

「こんな暮らしなら生きていても仕方ない」

「生きている意味を感じられない」

「死んだほうがまし」

と、私達の関わりや支援不足、環境設定に原因があるのではと置き換える事が必要になります。

 

家ではそのような言葉が出ても仕方ないのかもしれません。

しかし施設を利用され始めた以上、この言葉を真摯に捉えていく姿勢が問われるのだと思います。

「聞き流す」でもなく、「ごまかす」でもなく「困る」でもなく。

 

自分で生きていく力を失いかけていくと、専門職の私達に出会います。

その私達までもが困ってしまい、目を背けてしまう訳にはいきません。

 

「辛いですよね」

「お気持ちを少しでも分かる努力をさせて頂きます」

といった共感を示す態度と、生きていると実感(体感)できる暮らしを一緒に探す努力をし続けなければいけないのだと思います。

 

それには時間がかかると思います。

些細なことからでも「できた」と感じて頂ける事はないか?

自分の力で「やれた」を感じて頂けることはないか?

そして同じような境遇にある他者との関係性を繋ぎ、自分は1人ではないんだと感じて頂けないか?

自分が必要なものを外へ調達しに行き、社会の中で暮らしていると感じて頂けないか?

 

そんな事の繰り返しや、それを支えようとする専門職集団に出会っていく中で、変わっていくのではないかと思います。

いかがでしょうか?

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

2015年06月07日 Category:スタッフ日誌