「見られている」を意識
昨夜の夜勤中。
夜間帯に入り、Aさんコール対応1回目。
「パットを替えて下さい(ベッド上で)」
それから1時間後の2回目のコール対応。
「パットを替えて下さい」
それから30分くらい後び3回目のコール対応。
「パットを替えて下さい」と言われるのを予想して、対応しようと心構えていたところ・・・
「トイレに連れて行って下さい」
「!?」
いつもと違うパターンだなと思いつつ、その変化の意図を探ろうと質問してみました。
「もしよかったら教えて下さい。先ほどまではパットを替えて下さいと言われていましたが、なぜ今回はトイレなのですか?」
「さっきそんな事言いましたっけ?」
「言ってませんでしかっけ?失礼しました」とごまかしつつ、ご本人にとっての事実を受け入れて会話を合わせました。
その介助中に、自分の顔を一瞬見たので、何かと思った時に、
「昼は裸眼ですか?」と逆質問を受けました。
夜間はコンタクトを外し、眼鏡で仕事をしています。
そうです。
昼と夜の自分の状態の違いを記憶し、理解されていたのです。
パット替えの質問から、短期記憶障害がある事は想像がつきます。
しかし、だからと言って、常にその状態にある訳ではないのが逆質問から分かります。
繰り返しの淡々とした生活行為や、たいしたことない場面の記憶は、記憶されない、思いだせない事が多くなるのが一般的です。
でも、そんな暮らしの中で、自分をケアする職員の情報、状態の把握は、利用者にとってはとても意味のある大切な情報なのだと思います。
「私達職員は見られているのです」
「観察されているのです」
「時に職員を試したりして職員の能力や愛称を見極めようとしているのです」
それは当然の事なのです。
それは要介護や認知症という状態を抱え、生きていく上で必要な情報だからです。
それは、きっと思考というより、生き抜くための本能がそうさせているのだと想像できます。
私達の表情、言葉、ふるまい。
常に見られている事を理解、想像しながら、仕事にあたらねばと思い起こさせて頂いた場面でした。
「見られている」を意識できてこその、介護職。
肝に銘じて仕事中は気を抜かず、場面や相手に応じて様々な役者を演じられる自分でいなくてはと思いました。
相手の言動から学び続け、変化し続けられる自分でいたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治