そこにいる意味
昨日、男性の新しい入居者さんがグループホームへ入られました。
なぜここに来たのか、なぜここにいなくてはならないのか・・・
「今日からここで暮らしていくことになりました」
という説明がご本人に納得できる訳もなく・・・
「家へ帰ります」
という明確な表現もできないまま、ホーム内を行ったりきたり。
何度となく外へ出てみたり。
ご本人の立場になってみると「ごもっとも」なことであります。
望んだ訳でも、理解した訳でもなく、いきなり劇的な環境変化の渦中に放り込まれた不本意な状況。
私達は何をしなくてはいけないのか・・・
まず、ご本人の気持ちを受け止めようとする姿勢。
言葉をうまく聞き取れなくても、「受け入れ」「共感」を存分に発揮する必要があります。
対人関係の中で、自分の存在意義を感じて頂く機会ということです。
あとは体感的に「できる自分」「やることがある」という「そこにいる意味」を感じられる機会をどれだけ作りだせるか、引っ張り出せるか、積み重ねられるかということが大切だと思います。
それもここはグループホームですので、「塗り絵」や「パズル」などの作業ではなく、自分の暮らしを自分の力を使い、発揮しながらという生活行為を中心に「そこにいる意味」を感じられるようにアプローチしていきたいものです。
そんな方向性の中、昨日から今日にかけて色々と関わってみました。
掃除(ほうきや掃除機、雑巾)、洗濯(干す、たたむ)、調理(包丁を使っての下ごしらえ、盛り付け等)片付けに加え、計算、PCを使ってのコミュニケーション、新聞読み、買い物、ドライブ、喫茶店、夜の晩酌、囲碁、他入居者との関係作り等々と続々アプローチしていっています。
男性であっても自分が生きていくための必要な行為であれば、お構いなしに支援を試みていきます。
その甲斐あってか24時間という短い時間の中で、既に馴染みだしているようにも見受けられる状態となっています。
それはスタッフによる支援力だけのものではなく、ご本人が持ってみえる「環境に適応する力」が発揮されているのだと思います。
素敵ですね。
「そこにいる意味」
それは家であっても、どこであっても、人が生きていく上で自分の存在価値を感じながら過ごす中で、とても大切な体感的行為であるのだと思います。
自分の力を使って自分の人生を歩むー
生活支援に挑み続けていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治