変換

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深夜トイレに起きたAさん。

近くに待機させてある車イスを取りに行く間もなく、
歩き始めるAさんの足どりは、ふらっふら。

どちらに傾いてもいいように。又、歩を進めやすいよう腕と腰にそっと手を添え歩行介助をさせて頂く。

それでもやはり、ふらついて、なかなか前に進むことができません。そして

思うように前進できないのは「こいつのせいだ!!」
と思ったのか、イライラしたAさんは私に

「どけー」
「身体に触るな。あっちに行けー!」
と大声で怒鳴り、支えの手を振り払おうとします。

このまま手を離せば
たぶん倒れる。

手を離さなければ、格闘の末、共倒れも・・(汗)



アタマを巡らし考えついたことをダメ元で言ってみました。

ごめん。私、足が痛くて。

「つかまらせてーーー!」



一瞬止まって私を見るAさんから反ってきた言葉は

「な~んだ。始めからそう言やぁいいのに」

 

呆れてはいるものの、無事につかまらせて頂き、トイレに行き戻ることができました。

本人が納得できるツボを探すこととか、困っている人を、気にかけてあげられる
そんなところに働きかけることとか、色々考えながらも
これだけは外せないと思ったポイントがひとつだけありました。

あの時のAさんとしては
「トイレに行くのに何で他人がついてくるの?」

自分のことは自分でする。できる。できている。
手助けなんかなくとも。

だったと思うのです。

せめて
実感としてだけでも
そのことを抑制しないように、という思いがありました。

「あなたの介助をさせて」

から

「私の介助をしてほしい」

に変換させた言葉によって、そのことが護られたのであれば、うれしいです。

 

グループホーム滝子通り一丁目福祉施設
駒木根純子




2017年02月08日 Category:スタッフ日誌