暮らしていける町へ

Published by wada

 

入居者の検査のために病医院へ行った時のことです。

クルマを駐車場に停めて院内へ向かって歩き出すと

入居者は駐車場を整理していた年輩の係員に近寄り、いきなり握手をしました。

院内に入り総合受付の前まで行くと、モップで掃除をしていた年輩の係の人がいたのですが

そのモップを取り上げ2秒ほどモップがけをしました。

受付の前で待ち合い席に座って待っていると、隣に座った若い女性に語りかけながら、これまたいきなり髪の毛を触りました。

座っている前を通り過ぎる人にも声をかけます。

またまた隣に座ったアベックの女性に声をかけ

年輩の方が歩いているのを見つけ、「ここに座りなよ」と声をかけました。

診察室前や検査室前の待合室でも同じことが繰り返されます。

子供を力任せに抱きかかえる場面もあり、さすがに「僕にも抱かせて」って言って引き取りましたが・・・

 

 

僕が本人の後方から両手を合わせて「お願いします」と頭を下げるので

何となくわかってもらえるからでしょうが

僕がこの仕事について25年の中で、ものすごく変わったことは

昔ならこういうことをされた人は驚いて大きな声を出すか、嫌がってその場から立ち去ったのですが

誰ひとりとして声を出すこともなく、その場を立ち去る人もいませんでした。

むしろ、僕の「お願いします」という表情を読み取ってくださり、何を言っているかよくわからない言葉をかけられながらも

何となく応じてくれていました。

名古屋市民は「あったかいなぁー」って、病院に行って「ほのぼのとした気持ち」になれました。

認知症という状態にある人が「当たり前のように日常的に社会生活の中にいる」ということが

世間に広まってきたようでめちゃ嬉しかったのです。

病院だからなおさらでしょうが、それをどんどん増殖させていきたいもんですね。

うちのグループホーム入居者や小規模多機能の利用者は

買物や喫茶や外食や理美容で町によく出て行きますが

町の人から「道行く人が少なくなってきていたから嬉しいわ」って言われました。

こうして地域社会の中で生きていればこそ、共存や共生の社会が成熟していくのであって

施設の中に閉じ込めていたのでは

いつまでたっても「驚かれて声を出される」「立ち去られる」社会に留まってしまうでしょう。

今日もグループホーム入居者たちは喫茶店へくり出し

雑誌や新聞を読んだり、煙草をふかしたり、談笑したり

これまでの生活の中にあったことをそのまま続けていました。

認知症という状態になっても身体に障がいをもっても暮らしていける町ってステキじゃないですか。

これこそリハビリ!取り戻しではないでしょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年05月10日 Category:和田行男の「波の女」とともに