訓練日和☆
昨日に続き、本日の名古屋は快晴。
この時期としてはとても過ごしやすい気温です。
昨日は、布団や洗濯が施設の周りに張り巡らされていました。
今日はどうしようか・・
外出するのもいいけど・・
「そうだ! 最近できていない避難訓練を暖かいうちにやっておこう!!」
と突然朝礼で思いつき、実施することにしました。
避難先は1階玄関前です。
避難先では、社長とリーダーがスタッドレスタイヤに交換作業中でした。
そこの場面をみると・・・
なんと!
社長がジャッキアップしていました!!
まぁ、「できることは何でもやる」精神の社長ならではですね。
笑ってみているリーダーさん、軍手くらい貸しましょうよ。笑
波の女の職員関係は、結構フラットなものです。
さて、そんな感じで避難訓練は終了しましたが、
クラブ滝子の利用者達は、その流れで喫茶ジェネレーションへ避難?に向かいました。笑
それに便乗して、2階の入居者さんも混じって行くことになったりと、何でもありの訓練です。
通りかかった近所の方のお見送りもありました。
冬は外出の機会、時間が減少気味で、体力を落としやすい季節です。
少しでもいい条件の時に、気持ちよく体を動かし、社会参加の機会も得ながら、体力作りをしておきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
訓練の閉会を皆さんに告げた後、上から声が・・
「おーい どこに避難すればいい?」
今ですか!笑
有事の際、この方を最優先で誘導ですね。
「本人にとっての事実」が事実
「おっかしいなぁ」
困り果てているT氏
その姿になるきっかけがありました。
それはスタッフ側により作られた混乱でした。
財布の中の残金が少なくなり、自宅に戻ってから晩飯買えるか心配していました。
それを受け、安心してもらうために、スタッフより「昨日帰りに買い物したので、冷蔵庫の中にいっぱい入っているから大丈夫ですよ(こちら側の事実)」とお伝えしたところ・・・
「?? はぁ? そんなハズはないだろう」
「おっかしいなぁ」
同じようなやりとりが何回か続きましたが、いっこうに納得されませんでした。
スタッフ側にとっての現実・事実と、認知症という状態にある方の内なる世界・事実とはズレが起きることがよくあります。
「おはようございます」利用者
「もう午後ですよ」スタッフ
「今日はいい天気だね」利用者
「今日は曇りですよ」スタッフ
キリがないくらい、私たちの事実・現実と、利用者の事実・現実はずれていきます。
そんな時に、こちら側の事実を伝えると、相手を困らせてしまうことになります。
記憶の障害や判断力の低下により、私達の世界とは違う、自分の脳の中で作り出された記憶で「今」を生きるていることがよくあります。
ご本人にとってはそれが事実であり、確かなものでもあります。
それを否定している訳ではないのですが、私達の事実を押し付けようとしても自分の記憶とズレが生じると、「おっかしいなぁ」「そんなハズはない」となってしまいます。
可能な範囲で相手の話される事実を受け入れ、合わせ、相手の頭の中のズレを少なくすること。
それが暮らしやすさに繋がり、ストレス緩和にも繋がり、ひいては認知症の進行をゆるやかにできる可能性がでてくるのではと思います。
今回の場合も、話を合わせ、「すみません!冷蔵庫の中にたくさんあるというのは嘘で、何もありませんでした」と伝えると・・・
「そうだろう~」と少し安心されている様子でした。
「本人にとっての事実」が、私達にとっての事実になるような、会話を心がけたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
今回のT氏は途中で
「訳が分からない。狐に包まれているようだ」
とおっしゃっていました。
ん?狐に包まれている?
それは暖かそうですね…
夜間の出来事(後)
(前回の続き)
まずは「腹へった」への対応としては前回の写真にあった通り、軽食を作り提供しました。
夕食後、ずっとおきたまま6,7時間は過ぎていますので、そりゃお腹がすくのは当然でしょう。
という事で食事をして、腹が満たされたら大丈夫だろうと思っていたのですが・・・
食べる前とたいして変わりありませんでした。泣
場所は他の入居者の居室が並ぶ廊下から、リビングに移り変わったものの、夜中のフロアに相変わらず声が響き渡ります。
「おい 管理人こっちに来い」
「玄関の鍵を開けろ」
「おまえ ついて来い」
こりゃたまらんな・・
なかなか収束しない事態に、あせったり、困ったりしていたと思います。
このままでは埒(らち)があかないと思った時に、シーンチェンジを試みようと思いました。
利用者さんの状態を変えることを目指すのではなく、「自分を変える」という意味のチェンジです。
「少々お待ちください」
とその場を離れました。
そして事務所奥で
副交感神経を引っ張り出すための「腹式呼吸」を行い
「自分に負けるな」と3回唱え
「一番混乱して困っているのは本人」と言い聞かせ
リフレッシュ・リセットした、「新たな自分」で再チャレンジを試みてみました。
再び横に座り、今度はパソコンでI氏の過去の写真を引っ張り出し、
「○○行きましたね」
「あの時はこうでしたね」
と、たわいもないような事から話に入り、
その流れの先で、ご本人の強みやこだわりに絡めてお願いをしてみました。
(部屋の中の本棚)
「Iさんの部屋にある三国志の漫画に興味あるのですが、貸して頂けませんか?」
その返事は・・・
「よし部屋行こうか」
ということで、だいぶ会話がかみ合ってきたのを感じていました。
この流れになれば、後は押せ押せです。
押しのポイントとして意識したのは、
「相手のテリトリーの中に飛び込む」
「相手の強み、こだわりに絡める」
「相手を認めた声かけや褒め言葉」
「自分の立場を下に、お願いをしてみる」
そんな感じだったと思います。
その結果は上々。
「では本をお借ります。また教えて下さいね」
と告げ、スムーズに退室できました。
その後外から様子を見ていると、少しして横になられ、そう時間がかからずに入眠されました。
そして朝を迎える事ができました。
なんとか凌ぐことができた訳ですが、振り返ってみると
原因は「自分側」にあったのではないかと思いました。
「勘弁してほしい」
等のイライラ感が相手に伝わり、それが伝染してしまい(ミラーニューロンシステム)
相手もイライラ状態になってしまったのではないかと思います。
言語よりも「思い」が態度や雰囲気に出てしまう「非言語」の大切さを、改めて突きつけられたのだと思います。
今回の出来事は、学びよりも反省が必要ですね。
介護はどこまでいっても「自分との戦い」です。
自分が相手にとっていい環境・ズレを感じさせない環境であるために、
「相手の世界に飛び込めるか」
「相手を尊重できるか」
「自分を変えれるか」
大切にしていきたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「まず、こっちから読みなさい」
ご本人の強みに絡める・・大切ですね☆
夜間の出来事 (前)
グループホームのI氏が食事を食べています。
時間は、夜中の2時半です・・・
I氏は昼夜逆転気味に時々なります。
今回の夜勤はどうやらその傾向にあるみたいです。
いつもの感じですと、
廊下で「おーい」と大きな声を出し、誰かを呼んだり探したり
リビングに1人座り続けて、起きたりうとうとしたり
といった程度なのですが、本日はいつもよりパワフルです。
いつも以上に廊下で大きな声を出されます。
静まり返った夜中の廊下で、とてもよく声が響き渡ります。
「まだ夜中なので・・」等説明をすれば納得される時もありますが、今日はがんとして引き下がりません。
「誰も起きてないじゃないか!」
「おまえは理屈っぽい!」
「何を言ってるか分からん!」
職員側の事実や事情を説明?いや押し付け?に近いのかもしれませんが、
説明すればするほど、I氏は逆にヒートアップしていきます。
I氏だけの対応であれば、夜中だろうが大きな声だろうがまったく問題ありません。
どこまでもご本人の納得がいくように対応させて頂くところです。
しかし、他の入眠中の入居者さんの事が気になると、
「勘弁してほしい」「寝てる方々を起こさないでほしい」
というイライラ感が、自分の中におこっているのに気づきました。
過去の経験にない行動としては、
自分で鍵を開け、フロアから出られようとしていました。
「腹へった ご飯を食べに行く!」
「お前が、送れ! 見送れ!」
などと、結構活発な言動がみられます。
軽い「夜間せん妄」か?
とも思いましたが、とにかく対応を工夫し乗り切らないといけません。
冒頭の写真は、その後の対応の様子ですが、みなさんだったらどうしますか?
また、今回の対応で何かマズイ事はあるのでしょうか?
ちょっと考えてみて下さいませ。
(といいながら 次回にひっぱります 笑)
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
誕生日
本日はグループホームS氏の誕生日☆
「おめでとうございます」
ご本人さんの希望により、質素に誕生会?お祝い?をさせて頂くことに。
夕食後19時30分に皆で集まり、希望の和菓子を皆で食べました。
このホームで4回目の誕生日になります。
当時と比べても、有する能力は変わっていません。
いや、自立度は上がっている所もあります。
共同生活の中の男性ですので、なにかと女性に気をつかいながらの暮らしとなっています。
そんな姿を見ていて、なんとか「グループホームから追い出せないか」と画策しています。
まだ70歳半ば過ぎたところです。
近所に1人暮らしをして頂き、小規模多機能などを利用しながら、より自分らしい暮らしを応援できないでしょうか。
少し前に、ご本人に聞いてみました。
「1人暮らししたらどうですか?」
返事は・・
「いや。ここがええ」
・・・
ふられてしまいました(笑)
いやいや、これで諦めてはいけません。
次の手 を考えてなんとか、「グループホーム追い出し作戦」を決行したいものです。
介護保険の基本理念
「尊厳の保持」
「有する能力に応じる」
「自立した日常生活を営むことができるように」
サービスを利用した先に、元気になられたり、生活力の取り戻しができた方には、そんな応援の仕方もあるのではないでしょうか。
今後の経過に乞うご期待を☆笑
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「誕生日」:生まれた日、あるいは、毎年迎える誕生の記念日のこと。
一つの節目であるこの日は、新たな1年の始まりです。
自分の中では、この世に「生」をもたらせて頂いた「親に感謝する日」だと認識しています。
「産んでくれてありがとう」
両親に感謝を伝える日であってもいいのだと思います。
ちなみに「誕生日の前日」は、その歳最期の日として、「○○歳お疲れ様」として1年を振り返る日であってもいいのでは。
どうでもいい話ですが・・笑
「インプット」「アウトプット」 (後)
(前回の続き)
滝子には要介護5で、家族でさえ「何も分からなくなっている」と表現されていた方がみえます。
確かに自分の意志を言葉で表現する事ができず、会話もなりたちません。
今回の区分に当てはめれば「後期」という事になると思います。
でもこの方に言葉だけでは伝わりにくいので、非言語のジェスチャーも大切に、シンプルに動作をお伝えすると・・
人参の皮をむくことができ・・
鏡で髪を整えたり、歯をみがいたり・・
洗い物をされたり・・
畳にあがる時には靴を脱ぎ、整理整頓をはじめられ・・
といった生活行為をされています。
もちろん上記の行為は何回かアプローチしないとできませんが、そのような様子から分かるのは、
「何も分からない」訳けではないし、
「自分」が分からなくなっている訳でもなさそうです。
「何も分からない」「できない」と見て、決め付けてしまえば、
「何もさせない」「やらせない」になってしまい、
その先に、認知症「後期」「重度」に「周りの人が追いやってしまう」事になってしまいます。
記憶の障害が進んでも、その方の「自分」は、なくならないのではないでしょうか。
確かにアウトプットとしての「行動や表現」は的外れや、場違いや、タイミングが異なったりして「とんちんかん」に見えます。
しかしそれは、自分を表現する脳の機能が壊れているので、うまく話せない、動けない、反応できないという事 なのかもしれません。
認知症は進行すると、「アウトプット」が苦手になったり、うまくできなくなるのだと思うのです。
でもそんな中でも、「自分」は存在しており、「インプット」能力はしっかり残っているのだと思います。
「インプット」とは、周りの人が本人に対して、「言っている事」「思っている事」「表現している事」や、本人の目に写る「環境的要素」などが含まれます。
私達、関わる側の「思い」「想い」「表情」「しぐさ」「雰囲気」「言葉」「人間性」などが本人さんに情報として「インプット」されていくのです。
そう捉えると、「アウトプット」としての正しい反応、いい反応は難しくなっても、
「インプット」に対する、働きかけはしっかりしなくてはと思うのです。
「アウトプット」はとんちんかんでも、「インプット」はしかっりされている。
この捉え方を大切に関わりたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
ここから
昨日夜20時過ぎ、ミーティングが行われました。
波の女としては節目の一つであるこの日に、皆の思いを一つにする大切な機会です。
「施設に閉じ込められ」「できることを奪われ」「何でも与えられる」
そんな姿をまだよく見かけるこの業界に、新たな波を起こすべく波の女は設立されています。
~「人が生きる姿」を追及する「生活の応援団」でありたい~
そんな思いを、全国の仲間とともに、社会や介護業界を切り拓いていきたいと思っています。
実際のところはできている所と、まだまだなところが混在する現在の到達点ではあります。
目標達成はそう簡単なことではありません。
いや、もしかしたら達成できないのかもしれません。
でも向かうべき方向性を共有し、そこに向かって仲間と挑み続ける姿勢を持ち続けたいと思っています。
地域、ご家族、業界の方々には迷惑をかけてしまう事もあると思います。
でも私達「波の女」は進み続けたいと思います。
全国の仲間、関係者の方々へ
今後とも「波の女」を
見守ってください
激励してください
時にはしかってください
私達はまだまだ未熟ではありますが、この国の介護を仲間と一緒に切り開いていきたいのです。
そしてここから新たな一歩を踏み出していきたいと思います。
自分達の信念を基に、目の前の方々の「人として生きる姿」を取り戻し、支援し続けることができるように・・
2015.11.25
「インプット」「アウトプット」(前)
携帯を見ていて、認知症の記事に目が止まりました。
この文中にありますが、アルツハイマー型認知症の進行の状態をよく、「初期」「中期」「後期」と表現しています。
この区分に、いささか疑問を感じるのです。
目の前の認知症という状態にある方々にレッテルを貼ってしまわないかと。
今回の「後期」の記事には
「記憶の障害が重篤」
「家族や知り合いの顔も忘れ」
「遠い過去の記憶も障害」
「自分のこともわからなく」
「言葉によるコミュニケーションが取れなく」
「尿失禁が見られたり」
「歩行が困難になったりして寝たきりの状態になります」
と、一般的によく説明されているキーワードが並べられていました。
確かにこのような状態に当てはまる方、時期があるとは思います。
しかし「皆がそうではない」ということです。
いや、「自分のことが分からなく」という表現はおかしいように思えるのですがどうでしょうか。
この記事のように「後期」は・・
などと説明されてしまうと、認知症が進んだ方への見方、捉え方が固定的になってしまわないかと不安になってしまいます。
「何もできない・分からない人」として見て、対応してしまうことがあるとすれば、この「後期」といった固定的な概念がとても危険なように思えてしまうのです。
確かに記憶の障害は進んでいきます。
だからといって、その方の「人間性」や「価値」が失われるものではありません。
その方の「人間性」や「価値」を失わせている・失ったとみている側が「問題あり」だと思うのです。
人は周りの様々な状況の「情報」を五感で感じ、脳の中に「インプット(取り込む)」します。
その情報を処理し、その情報に応じた行動を「アウトプット(表現)」します。
脳に病気がくっつき、色々な壊れ方をしていくのが認知症であれば、脳の壊れ方や壊れた部位によって「インプット」や「アウトプット」がゆがんでしまうのは仕方のないこと。
そしてその「ゆがんだアウトプット」状態に振り回されて、一方的に「おかしな人」にしてしまっているのは「周りの方」なのだと思います。
でも多くの認知症という状態にある方々は、「アウトプット」がとんちんかんであっても、「インプット」がうまくできないとは限らないと思うのです。
いや、「後期」といわれる状態にあっても、「インプット」能力はまだまだしっかりしている方々は多いと思います。
更に大切なことは、「インプット」「アウトプット」の「中間」にあるものだと思います。
それは、「その方そのもの」「心」「自我」などと表現できるものでしょう。
これは最期までなくならないものだと確信しています。
「アウトプット」情報だけに惑わされないようにしないといけないですね。
よく言われている
「ボケても心は生きている」
といった捉え方を大切にしたいものです。
(長くなったので次回に続きます)
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
このブログを打っている脇で、集会が行われていました。
知り合いのデイサービス利用者が「行方不明」という情報を受け、近所を捜索していた任意の「お助け同級生」グループです。
みつかってよかったね(保護されていました)
若い連中が力を寄せてくれる時代は心強いものです☆
祝!
先日、滝子のスタッフ「後藤君」の結婚式がありました☆
和田からも
「飾り気なく気取りがなく、爽やかで、とても良かったですよ」
とコメント届いていました。
乾杯の音頭では、「乾杯~♪ 今君は人生のおおきなおおきな舞台にた~ち・・」
とコメントでなく、歌で演出している動画も速報で届いていました。
和田さんらしい(笑)
式から30分以内くらいに、続々写真や動画が滝子関係者の携帯等に送られてきました。
それを受けて、後藤君の担当するフロアの入居者さんへもご披露させて頂きました。
皆さん
「孫にも衣装だね~」
「いつもと違ってカッコいいね~」
「奥さん綺麗!もったいない!!」
等々、大変喜ばれていました。
和田、社長を筆頭に、少子化に歯止めをかけようと挑んでいるせいか、職員関係者さん達の出産ラッシュも続いています。
後藤君にも仕事と合わせて、素敵な家庭を築いて頂き、国の将来を担う子供をばんばん作ってもらいたいものです。
結婚して「幸せ」になるのではなく
「幸せ」な人が結婚するんですよね
おめでとうございます☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「主体性」を導きだすアプローチ (終)
長く続けてきた「主体性」に関する記事も、一旦終わりにしようかと思います。
アプローチを始める最初の頃は、
「なんでしんどいのにやらなきゃいけないの?」
「なんで私が?」
「あの人はやらないのに」
「職員さんやってください」
となっても当然の事です。
それに応えるには、「職員が一緒にする(フリも含め)」事も大切にして頂きたいと思います。
言うだけ言って何もしていない人に信頼はおけませんから。
特に「力のある」と見えている職員が言うばかりでやらないのは、不信感にも繋がるかもしれません。
一緒に活動する中で大切な事は、常に「励まし」「労い」の言葉を投げかけて頂きたいと思います。
それが「できる」「できた」という成功体験をより強固にし、「やってもいいんだ」という前に進む力と変わるのだと思います。
その流れの先に、失いかけている「主体性」が引き出されていくのだと思います。
1日、2日で簡単にできるものではありません。
2,3ヶ月かけながらじっくり進めていく必要があります。
今までの流れを変える場合、もっと時間がかかるかもしれません。
(新規立ち上げの場合は、最初からその流れが「当たり前」「普通」という事で進めれるといいですね)
生活に障害をきたし、受動的に生かされてきた認知症という状態にある方々が、「主体性」を取り戻し、「自分の力を使って自分で生きていく(職員の支援を受けて)」ためには、組織としての方向性を明確にし、皆でそこを目指し、さまざまな配慮や仕掛けでアプローチし、応援していくという継続的な流れが大切なのだと思います。
「人として生きる姿」を取り戻すために尽力する専門職・施設が増えていく事を切に望んでいます。
「生かされる」から「自分の力を使って生きる」への転換を目指していきましょう。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
主体的に職員事務所の整頓をされる姿を見かけました。
よほどちらかっているように見えるのでしょう・・
いや 事実なのでしょう。笑