転換
世間を騒がせている施設スタッフによる連続容疑の話でもちきりのここ数日
世間一般や家族の立場では
「殺人なんてありえない」
「許される事ではない」
一方で介護職や現場を知る方の立場では
「他人事ではない」
「起こりえる」
大きな波紋が広がる事件には違いありません
失った命は戻らないのですから、ご本人家族の苦悩を察します
しかしここから始まる1歩もあると思うのです
大きな反省とともに、次に何が活かせれることがあると思うのです
それは、利用・入居される方の家族や、地域近隣の見る目が変わるのでは?と思うのです
今までよりも厳しい目で見てもらえたら幸いですね
自分の立ち振る舞い、言動が「見られている」
相手の目を通して自分の仕ぶりを「見る」
そんな感覚、センスがまだまだ足りないだらしない業界なのだと感じています
もちろん「波の女」だってそうです
介護スタッフの「自分がやりたい・追求したい」を行うのが仕事ではありません
目の前の要介護状態の方々にとって「必要なことを」「必要なだけ」提供するのが仕事です
時に「本意」の実現に尽力したり
必要に応じて「本位」を実践したり
その結果、関わっている要介護の方々が「人として生きる姿」を維持・取り戻せていくとか、家族が暮らしを取り戻せていけたら素敵ですね
目の前の方々は、どのような姿で生きていますか?
家族や地域の方々の目には、利用者・入居者の姿がのように見られているのでしょう?
そこが仕事の結果であり、到達点なのだと思います
今回の事件を機に、全国の介護事業所、介護従事者の気が引き締まればと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
つなぎ
毎月小規模多機能・クラブ滝子では「家族懇談会」を開いています。
ここ1ヶ月のトピックスや、サービス利用の状況を写真でお伝えしたり、事故報告を行ったり、来月の予定を確認しあったりしています。
その中で、「定員や宿泊の調整が難しい日があったら、うち(利用者)がずらすから言ってくださいね」等ありがたい言葉を頂けたりします。
その中で、今回は改めてではありますが、職員の紹介を1人ずつさせて頂きました。
「顔は分かるけど、名前は分からなかったですね」と家族。
他の事業所では、壁に職員の顔写真と名前を貼り出していたり、その日出勤のネームプレートを掲げていたり、施設新聞やペーパーで紹介したりしていたりしていることと思います。
本当に今更で、申し訳なかったです。
職員と家族は、利用者を介して繋がっていけるといいですよね。
家族に代わって、利用者さんと関わらせて頂いている訳ですので。
どんな職員が自分の大切な身内の介護をしているのかを知る
2月3日の「和田行男」のけあサポのブログにも通じるものですが、人と人を丁寧に繋いでいく事が大切な仕事でもあります。
どこまでいっても、「人」と「人」が共に織り成していく世界ですので。
しかしそこに注意点もあります。
職員と家族との接点が増えると、利用者さんに関するやりとりも増える事になります。
その時に、一現場スタッフだけの「主観」や「情報」を伝える・述べる・答える事はしないようにしないといけません。
何気なしに話した言葉は、家族からみれば事業所代表の言葉に聞こえると思うのです。
利用者さんに関する大切な「情報伝達」「質問」「相談」等に関するやりとりは、事業所の責任者等の「窓口」となる立場の者が伝える・答えるようにしたいものです。
家族の窓口も一本、事業所の窓口も一本
大切な情報交換や方針などの決定は、この1対1でやりとりする。
これが互いの「ズレ」「誤解」を防ぐ一つの方法だと思います。
現場スタッフとのやりとりとしては、日常的な会話や労いの言葉をかける事を中心に、家族からの情報、お願い事や質問を預かり、責任者に伝える役割りを担ってもらうのがいいのではないかと思います。
今一度、そのような事も職員と家族に対して確認していきたいと思います。
話が広がりましたが「家族懇談会」ですので、職員ぬきで家族同士が「懇談」する機会も増やしていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「くだらない」
いや、なにげない、日常会話が得意な職員といえば。。(笑)
戦い
11日の全国向けニュースに出ていました。
「介護に向いていると思われていた30代のベテラン介護士(訪問系)が、訪問先で財布から現金をネコババ」・・・
「抜き取った後に財布から指紋をふき取る仕草も(ビデオ撮影)」
家族が問いただしたら、「知らない」と答えたため、家族が告発に踏み切ったとのこと。
・・・
同業者として言葉になりません。
それと共に、自分は、自分の事業所は大丈夫であれるように気を引き締めなければと感じました。
自分達の仕事、存在は何なのか?
誰の為に何をすべきか?
誰から給料を頂いているのか?
介護は「自分」との戦いです。
誰だって自分の中に「善」と「悪」、「光」と「闇」、「聖」と「魔」を持っているのだと思います。
しかし仕事中においては、マイナスの面を封じ込める「強さ」「勇気」「努力」「思い」が必要となります。
それは対象となる方々が、自分達を必要としている状態になられているからです。
「誰も見ていない」「誰も分からない」「本人から訴えれない」「家族は言いにくい」
色々あると思いますが、大切に捉えるべき事実としては「信じてくれている」ということです。
その思いに「応える」べきで、裏切ってはなりません。
自分に負けるのであれば、この仕事を続けてはいけないのだと思います。
事業を続けるべきではないのだと思います。
最近マイナスなニュースばかり。
介護業界、ポジティブで、前向きで、ナイスで素敵なニュースを取り上げられるように、業界をあげて奮闘すべき時なのではないでしょうか。
その最前線は、私達一人一人なのです。
共に、戦い続けましょう。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
繋ぎ
「私(左側)最近あの人苦手なの(右側)」
写真とは別の日ですが、対象者がみえない時にぼそっとつぶやかれました。
私達の仕事は、有する能力に応じ、「補い」「できるように」といった介護や支援の仕事だけではありません。
「人」と「人」が、共に織り成して行けるように、関係性を「繋ぐ」のも仕事の一部です。
それは「人として生きる」ということを目指していく上で必要なことだと思うのです。
相性や症状、状態の違いにより、アプローチしても埋まりにくい事もありますが、諦めずにあの手この手を尽くしていきたいものです。
関係性を取り戻す、繋ぐために必要なアプローチの一つは、「共同作業」
同じ目的のために同じ作業を行い、「できた」という達成感の積み重ねが大切だと思うのです。
「買い物」「袋詰め」「調理」「片付け」「掃除」「洗濯干し・たたみ」
そんな生活行為を中心に、共に在り、共に活動し、共に食べ、共に語り、共に笑う
そんな体感的行為の積み重ねが関係性構築には欠かせません。
そこには「隠し味」「スパイス」が必要で、その働きをするのが「職員」となります。
それぞれが、要介護状態、認知症等にある方々ですので、関係調整や仕掛けをしないと、仲良し、仲悪、単独に別れてバラバラになっていくばかりです。
そして狭い空間の中で、互いに嫌な感情を持ち合いながら、表情冴えなく、言葉も交わさず、ただただそこにいるだけといった空間になってしまうかもしれません。
職員にも個性やカラー、雰囲気がありますので、皆同じようにとはいかないまでも、「意識を持ち」「役者を演じ」関係性を取り戻す、作る役割を担えるようにしていく必要があるのだと思うのです。
そんな時のコツの一つ?に、対象となる相手のいないところで、「○○さん(苦手だと思っている人)が、△△さん(苦手だと言った本人)のことを、すごく褒めてたし、感謝している話をしていましたよ」と伝えてみたりします。
人は「直接」感謝されたり、良く言われる事も嬉しいものですが、その効力を倍増する方法として、「○○と言ってましたよ」と影でうわさ的に言われたかのように伝える「間接」的な言葉の方がより響くものです。
その逆もそうで、間接的に聞く悪口の方が気になるしこたえるものです。
あの手この手で、良いスパイスをきかしてそのフロア内の空気感、人間関係を整えていけたらと思います。
「ありがとう」が言えない方は、「ありがとう」を代弁する必要もありますよね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
わぁ!
「わぁ! すごいね」
起床のアプローチをした時に、壁に自分の髪の影が映りました。
利用当初と比べ、ピントが合わない言動が増えてきたAさん。
そんな暮らしの中においても、自分の身だしなみへの意識はまだまだ健在。
そして影を見て判断できるということは、すごい事だと思うのです。
朝日を浴び、壁に映った影を見た瞬間に「髪が乱れている」と分かるのは、「見当」「判断力」「空間認識力」、もちろん日ごろからの「観察力」や「記憶力」がベースにあります。
すごく大ざっぱですが、Aさんの反応を分解してみます。
当然ですが目が見えています。
「影」が「影」だと認識できています。
その映りから、自分の髪がどうなっているかが想像できています。
そして「普通は・・」という状態がどのような状態なのか記憶が残っています。
その記憶と照らし合わせる事ができています。
その結果、普通の状態ではないという判断ができています。
その状態を笑いとばせるセンスや感情表出、乱れている髪に手をあてたり、声に出す能力をお持ちです。
そんな反応を1秒足らずでしてしまえる訳です。
認知症という状態にあっても、まだまだですよね。
人はどのような状態においても、有している能力はたくさん残っています。
本当にすばらしいことです。
そのような能力・脳力を認め、「人ってすごいなぁ」って思える感性を大切にしていけたらと思っています。
さりげない言動や、一瞬の出来事を分解して考え、目の前の方の能力について考えてみる癖をつけるのも、専門職に必要な能力なのではないでしょうか。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
不本意
「○○」
「××」
「△△」
繰り返し3人の子供の名前をつぶやき続けるAさん。
インフルエンザを発症し、介護者不在にてクラブ滝子の宿泊サービスを利用され始め、何日かが過ぎたあたりからこのつぶやきが目立つようになってきました。
宿泊サービスを理解できないし、なじめない。
落ち着かないし、寝れない。
分からない・・
なぜこんな事に、こんな所に・・
そんな状態においても、泊まり続けなければならない。
全くもって「不本意」な状態での宿泊利用。
ほとんど軟禁状態とも言えるでしょう。
ご本人の「本意」としては「帰りたい」
介護事業所としての「本位」は「泊まって頂く間に体調を整えたい」
通常の状況や判断能力であれば「本意」>「本位」も大切な時があります。
しかし、体の状態によっては、「本意」<「本位」となる訳です。
当然、「インフルエンザ」という病態
「介護者不在」という家庭環境
歩行は不安定で転倒が増え、認知症による理解不足も多いとあっては、自宅に1人で過ごして頂く訳にはいきません。
事業所内の他利用者や職員に「感染」のリスクが大きくのしかかってきます。
それはまずいことは100も1000も分かっています。
それでも、目の前の状況に何とか「応えたい」
できることは何でも「したい」「しなくちゃ」
関わった以上、そんな介護事業としての使命感が働き、受け入れさせて頂き、7泊され、本日自宅に戻られました。
この7泊8日間は、「本人の意志」とは反対の「帰れない」状態であり、認知症による混乱が増えてしまった結果、冒頭のつぶやきがでたのでは?と推測しています。
一生懸命、自分が自分であるための生命線ともよべる、最期の砦の一つなのでしょう。
忘れていけないもの。
忘れていけないこと。
そんな子供達の名前と存在を、繰りかえし繰りかえしつぶやき、確認し続ける事をしないと、自分が分からなくなってしまうという危機感からの言動ではないでしょうか。
もしかしたら、混乱とストレスにより、認知症の進行が早まる可能性も捨て切れないのだと思います。
自宅での暮らしを続けることもリスクはあります。
入居等の泊まり続けることも違うリスクが発生します。
本人もしくは家族が、「覚悟」決めてサービス利用を決めたのであれば、私達介護事業者も覚悟を決めて受け入れ、覚悟を決めアプローチし続けねばならないのだと思います。
その人を中心に考え、一生懸命関わってもいい結果にならない事もある。
それが「本位」の奥深い一面なのかも知れないですね。
「なんとかしたい」そんな姿勢を失わないようにしたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
今日夜には、和田行男による「本意」と「本位」を絡めた研修会が、近所の喫茶店を貸しきり行われました。
波の女のために、延長貸切営業をして頂き、感謝致します。
それにしても動きがある方の割りに、インフルエンザが他の方に感染しなかったのは、すごい事だと思っています。
湿度、喚起、消毒、セラ水の噴霧、手洗い、マスクetc..
その中で、消毒にいそしんでいた菅原君は、ご褒美の食事会。
カレー600gをぺロリと食べていました。
お疲れ様☆
足元
最近のクラブ滝子は、足元への配慮が遅れ気味です。
たまたま自分が気づのが先だっただけで、その後にその状況を目撃した職員が整えてはいる訳ですが、一刻を争う時もありますので、下、床への意識を高め、「即」対処が必要となります。
自由に動き回る利用者さんもいらっしゃるので、転倒のリスクが高くなってしまいますから。
利用者さんだけではありません。
つい先日、職員が滑って転び骨に異常がないのは幸いでしたが・・
このような有様に。。。
このスタッフはこの状況を活かし、利用者さんの主体性?気遣い?を引き出せていたのはいいことですが。
「あんた、そんな腕でやらんでいいよ」
「私が代わりにやるよ」
皆さん、見て分かりやすい傷に対しては理解と、援助の手を差し伸べて頂けるのでありがたいことです。
本来持っている力を引き出すにはいい手ですね。
いっそ三角巾で派手に保護した方が、もっと皆さんの力を引き出すのにはいい人的環境になると思います。笑
足元が安全でこそ、上を向いて歩けるというもの。
今一度、意識向上を図らねばです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
我が家の足元は・・手がつけられません。
下を見て歩こうの日々です。
ごもっとも
日本における65歳以上の高齢者世帯数は年々増えており、
独居世帯 約487万(23.3%)
夫婦のみ世帯 約634万(30.3%)
と、高齢者世帯の半分以上の世帯が、1人か夫婦のみの暮らしとなっています。
(2012年度調査より)
要介護者がいらっしゃる自宅の暮らしの中では色々な事がおきます。
この前訪問へ行ったところ、石油ストーブが使われていました。
確かに見た目も体感的にも温かいのですが、要介護のご夫婦世帯なので心配です。
火災、中毒、やけど・・・怖いですね。
平成20年度から24年度までの5年間に、110件の高齢者の石油ストーブ事故が起きています。
私達介護事業者が関わっている以上、そのような事にならないようにしなくてはなりません。
あとはもっていき方です。
「危ないですから、使わないように」
では、芸がなさすぎです。
考えた結果、「ごもっとも」と思える状況を作ることにしました。
業界の方はご存知、「パルスオキシメーター」を使用することにしました。
指に挟み、血中における酸素飽和度を測定する機械です。
「このストーブ少し臭いがするので、ガスがでていないか測定しますね」
と、この機器をストーブの前にかざし、計測しているフリをしました。
なんの関係もない機械ですが、それらしいと思いませんか?。笑
後は演技力です。
「ん~ 一酸化炭素の濃度が少し高いですね」
「このまま使用すると中毒になってしまいますよ」
と深刻そうに説明し、後ほど「ガスが出ているので使用は危険です」という張り紙をさせて頂きました。
すると、その翌日にはストーブをご主人が収納されていました。
使用をやめて頂くアプローチも「止める」ではなく、「やめなくちゃ」と思えるようなもっていき方が大切だと思うのです。(*その判断ができる方の場合)
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
昨日は節分
「春」が始まる前日、新しい一年が始まる前日に、
「これから始まる、新しい一年が、不幸や災いが無い一年になりますように」
との願いを込めます。
滝子にとっても、皆様にとってもいい年になりますように。
そして、「鬼=魔」と置き換え、「魔(ま)を滅(め)っする」という言葉から、
その年が無病息災で過ごせるようにと、豆(まめ)を撒くそうです。
(諸説あり 笑)
ということで、豆まき大会でした。
*最初の記事アップ時には、「誤字脱字が多いですね。お疲れですか?」と、大阪の仲間がわざわざ連絡くれました。
今の記事は直してありますが、 ありがたい事です。
今後もご指摘を!
後悔
この前の休みの事です。
用事があり施設へ顔を出したその帰り・・・
「???」
この業界の方であればピンときそうな雰囲気の方が、車道の横を歩いています。
車を寄せ、
「おじいさん、どちらへいかれるのですか?」
話かけると・・
「山の方へいきたいんだけど」
と、答えられました。
「帰れますか? 住所は分かりますか?」
「小牧市小牧○×△!#$%&」
住所を検索しても、家ではないそいうです。
「こりゃ警察へお連れした方がいいな・・」
と考え、車に乗って頂きました。
「私○○といいます。88才になりました。」
「あんたさんいい方だ。朝8時から歩いてるから、足が棒になってしまったわ」
「家に帰れず、警察に助けてもらったこともあります」
等の話を車中でされていました。
そして、近所の交番へ行き、警察官へ引継ぎました。
「おじいさん、気をつけてね」
交番を後に、なんともいえない切ない気分になりました。
専門職として、いや「人」として、もっといい対応はできなかったものか?
困ったら交番
迷子の高齢者を発見したら交番
そんな思考回路になってしまっている自分に切なくなりました。
迷子の方を保護し、警察へ送り届ける
そんな機械的な対応でなく、人として、困っている方の気持ちに応えられる自分でありたいと思います。
最終的には警察にということはあるでしょう。
もちろんダイレクトに警察へということもあるでしょう。
しかし「今回のケース」では、正確でないにしてもある程度近い具体的な住所が言えた訳ですし、「山の方へ」というキーワードも出ていました。
そこから、地元の人であれば分かる「小牧山近くの小牧町○丁目」付近までいけば、自分の力で自宅へ帰ることができる可能性が高かったのだと思います。
それなのに、ネットワークへ確認し、警察へ繋ぐという安易な方法しかとれない自分に、専門性があるのか?
と疑問になってしまいました。
ちなみに、小牧市のネットワークに捜索の情報が流れていないか地域包括に連絡しても、日曜で分からず・・
迷子に日曜も、夜も、正月もない待ったなしなのですけどね。
「ちょっと迷ったけど、家の近くまで案内してくれる人がおったで帰れた」
と
「警察に保護され、パトカーで自宅まで送り届けられた」
では、ご本人の気持ちが全然違いますもんね。
「ありがたい」という気持ちで帰りつけた。
「申し訳ない」という気持ちで送られた。
これは、現在の模擬徘徊訓練の方向性でも考えなくてはならない事です。
ーご本人の状況や気持ちを察し、ご本人さんの思いをかなえるー
そんな原点ともいえる人と人の交わりを考えていかねばですね。
今回の事をきっかけに、今月ある地域のSOSネットワークでも報告し、考えていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「困っている人」を見つける自分がいるのか・・
「困っている人」が寄ってくる自分がいるのか・・
まぁ、どっちでもいいけど、次の機会にはちゃんと市民のために応えたいですね。
遅刻
「起きれませんでした」
7時の業務開始前に、夜勤者に電話しました。
遅刻です。
昨日の朝目覚めると、道路を走る車の多さの音に違和感を感じました。
「しまった!寝過ごした!!」
その日は早出出勤。
7時には現場入りの日なのです。
つまり5時半には起きて、6時前には家を出ていないと間に合わないのです。汗
その起きる時間帯は車の交通量は少なめなのです。。。
ですので、車の走る音の多さで「しまった!」と青ざめました。
時計をみると、すでに6時半。
猛ダッシュで用意をし、飛び出し、夜勤者に電話をして施設へ向かいました。
最初は後ろめたさから、「何かもっともな理由をつけようか・・」とも一瞬考えました。笑
しかし、寝坊した事実は事実です。
何事も正直が一番。
せめてもの表現の工夫で・・
「寝坊しました」より「起きれませんでした」の方が多少聞こえがいいか・・
などと、くだらない表現方法を考えながら電話していました。
われながらアホな思考回路ですね。笑
暗いはずの出勤時の風景が、うっすら明るくなっていました。
(写真をとる余裕はある自分がいます。その分急げ~と思われそうですね 笑)
まあ何を言っても、ゆるされる訳でも、起床支援がムーズにいく訳でもありません。
すみません。夜勤者さん。利用者さん。
寝る時にバタングーで、目覚ましをセットすることすらできず寝入ってしまったようです。
こんな事が、年に1,2回はある自分です。
気をつけたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
ちなみに30分遅刻でした。
【遅刻】
始業時刻より遅れて勤務を開始すること。
シフト制などで勤務時間が変更になっている場合も、その始業時刻に遅れると通常は遅刻扱いとなる。
ただし、裁量労働制が適用されている場合や、労働基準法上の「管理監督者」に位置づけられ勤務管理規定の対象外となっている人には遅刻は適用されない。
自分は管理監督者だから遅刻の適用はありません・・
ではなく、気をつけないとですね!