生涯現役☆
夏~ですね☆
夏といえば、これ
もっと好きなのは、これ(笑)
そしたら、こんな方々を見かけ、飲み物買ったついでに声かけてみました♪
久しぶりのナンパか?? 笑
「おばちゃん元気いいですね☆ 失礼ですがおいくつですか?」
「80だよ!」
「頑張ってますねぇ。応援します!!」
「ありがとう。生涯現役で頑張るわ!!!」
(入れてくれたコーラは勢いよく注ぎすぎで、炭酸ぬけマズかったですが、そんなのどうでもよかったです)
すごい&素敵☆
誰もがという訳ではありませんが、有する能力・気力があるのであれば、
年齢に関係なく、力を発揮する何かをやる続ける事ってこれからの日本にとってもとても大切な事。
素敵なお二人にエネルギーをもらえました。
いいもの見せてもらえて嬉しかったです☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
次のUP予定は28日の予定です☆
原点回帰
スイカのカットがパッケージされて販売されていました☆
時代はどんどん進んでいるのですね。
(ちなみに値下げ品大好きです♪)
今の時代、何をとっても、新しい、進化、発展、次のステップ、さらに上、その先、よりよく・・・
どこまで時代・文化・人類は進歩していくのでしょうか。。。
人が文化的で豊かに暮らすために、生き残るために、皆凌ぎを削っている中で、
介護の業界はどこに向かっているのか、時々分かりにくくなってたりします。
元気なうち、お金があるうち、若いうちはいいのかもしれませんが、
不本意に、病に侵されてしまったらあきらめるしかない。。。
プロ、専門職にお任せしても、豊かな暮らしとはいいにくい現状があります。
介護も進化する部分が必要ですが、きちっと「人」「人生」「命」「生活」「生きる」といったシンプルでもあり、
もっとも重要な土台を、より追求し、大切にしていかねばと思いますし、そこにこの文明の進化とリンクさせねば、
なんのための発展・進化か!?と考えてしまったりしています。
個々が、自分だけが豊かであればいい。
そんなの違う。。。
目の前の苦しんでいる方々が、少しでも豊かになってもらえたら。。
人は自分が幸せになるために生きる生き物ではなく、
誰かのために生き、その目の前の方から幸せを感じる生き物なのではないでしょうか。
それを仕事としてできる「介護」って、もっともっと素敵で輝く業界であってほしいと切に願います。
今一度、原点を見つめなおしていきたい—
そんな時には、このメッセージはどうでしょう。
和田行男・作
私はすべてを失ったわけではありません
どんなことでも まず問いかけてみてください
何でも まず私の意思を確認してみください
食べる 食べない 行く 行かない 暑い 暑くない?
どうしたのって 聞いてみてください
訳のわからないことを言うかもしれまあせんが 私は病気です
痴呆状態にあるのです 進行性の難病といってもいいでしょう
察してください ようく見てください
私はすべてを失ったわけではありません
まだまだ若いものに負けないこともたくさんあります あると思います
でも 若い頃と同じようにはできないでしょう
あせらせないで じっと見ていてください
見ていて 少しだけ手を貸してください
人間の機能や能力は使わないと使えなくなると 若い頃に聞きました
生きるためにたたかう力はまだまだ・・・・・
私はすべてを失ったわけではありません
外だって自由に出たがるでしょう 雲や星が好きです
外に自由に出られるようにしていてくれさえすれば 自分ででかけます
でもきっと目的地には着けないでしょう 戻れなくなるでしょう
そっとついてきてくれると嬉しいです
とまどったり 不安げになったら そっと傍に来て
どうしたのって声をかけてください
きっとあなたのことが天使様に見えるでしょう
私のことを笑ってくれていいですよ
きっとおかしなことを言ったり おかしな恰好をすることでしょう
でもお願いです 陰で笑ったり 自分一人だけで 仲間同士だけで笑わないで
私にも笑っている訳を教えてください
きっと私も笑いの仲間に入り いっしょにおかしむでしょう
だって おかしいことはおかしいと 私にもわかるから
私はすべてを失ったわけではありません
私のことを痴呆老人なんて呼ばないでください
私の名前は 和田サンです
私のことをわがままなんて言わないでください
私はあなたと同じ人間です
ただ 痴呆という難しい状態になっただけです
私の努力では 止められないんです
「人として生きる」を応援し続けていきたいですね☆
介護職は、上を見て、胸を張って仕事をしていきたいですね♪
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
補い
先日、子供がコンタクトを割ってしまいました。
これが何なのか分からない年齢なので、興味本位でさわってみたのでしょう。
「脳が発達していない子供に、必要以上に怒っても仕方ない」
「手の届くところに置いておいた自分の方が悪い」
と開き直ってみたものの、不便だし、お金(購入)や時間(受診・検査等)がかかり、
「とほほ・・」
今の視力は
右が0.04
左が0.07
視力の「補い」がなければ、なんともならない値。
寝ている時以外、常になんらか(眼鏡、コンタクト)の「補い」がないと生きていけない自分。
満たされている普段はなんの不便さも感じませんが、いざなくなると、不便で仕方ありません。
改めて、「補い」って大切だなぁ~と思ったところで、
和田行男の大逆転の痴呆ケアの一文が頭をよぎりました。
~一文を抜粋~
眼鏡は目を治すものではない。
視力を補い、支障をきたすことなく生活を営むことができるようにする道具である。
要介護状態になった人にとって、介護は障害を治すものではない。
介護という「日常生活自助具」を使うことによって「普通の生活」により近い状態を目指す。
継続的に視力を測りながらその人に合った眼鏡を用意し、できる限り日常生活を自分の力で営めるようにする。
それが専門的な支援ではないか。
そうですよね~♪
継続的に能力を測りながらその人にあった介護・支援を行い、できる限り日常生活を自分の力で営める・営めていると感じれるように応援していく。
そのために、自分達はいろいろな度数やいろいろな色の眼鏡役になり、利用者ご本人がスタッフという眼鏡役の補いを得て、ご本人の力を発揮し、生きていく。
そんな視点・仕事が僕らの仕事ですよね。
改めて、振り返りでした。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
コンタクトが無い間は眼鏡を使用しているのですが、
外出時や運転・動きのある場合の遠い所を見る用の眼鏡と
本を読んだりPCや携帯をいじる時の近い所を見る用の眼鏡が必要です。
これってつまり・・・
気付くと歳はどんどんとっていくものですね~ (笑)
次のブログUPは23日を予定しています~
よろしくお願い致します。
もれなく ついてくる 機会
先日 髷(まげ)姿のお兄さんが、スーパーで買い物をしている姿を見かけました。
TVの中ならスルーだけれど、日常の中で出会う機会はほとんどなく 思わずわたし、二度見、 しました。
ふと思い出したのは… ある日の外出支援です。
その日はバスに乗って、皆さんとご飯を食べに行きました。
往路・復路のどちらかで、ほとんどの方が一回はバスを利用されています。
バスを待ち、バスに揺られながら、入居者さんも職員もなんとなく ドキドキ・わくわく・ヒヤヒヤ まだまだ公共交通機関の利用が、日常的になっていない証拠かもしれませんが ちょっとした、非日常を応援する機会としては、面白かったかなと思います。
車椅子を使う入居者さんの中には、バス乗車に気が進まない方もおられます。
人の手を借りずに乗車はできない… それも、関わり慣れた職員だけでなく、運転手さんの手助けも必須 まわりから注目を浴びている感じがあることも、気が重たくなる理由のひとつみたいです。
この日、運転手さんは快く手助けをしてくれました。
席を譲って下さった乗客の方も、何人かみえました。
良くも悪くも人の注目を集めている感じが私にもあったので 車椅子の入居者さんにとっては、なおさらだろうなぁと想像します。
ちなみに私が、仕事以外の日常で、車椅子でバスに乗車する人の姿を見かけたのは、数年前に一度だけ。。。
髷姿より少ない!
たまたま私だけの低確率?! にしても、 バリアフリー化具合のわりには、やっぱり少ない気がします。
そりゃ~二度見もガン見も、特別なものを見る目があってもおかしくはないと思う。
もしかしたら、入居者さん自身も 車椅子で乗車する自分以外の人の姿を、見たことがないかもしれないです。
そうなると、人の目・負い目を感じるのも、それはそうだなって思います。
目に見えないバリアを無くすことって、 なかなか難しそう。。。
そんなことを考えると バスに乗って、ご飯を食べに行ったことって 入居者さん達にとっての「機会」であったことは勿論だけど 同時に、もれなく付いてくる 居合わせた人達にとっての「見かける機会」の提供でもあったんだろうなぁと思います。
数年に一度だった見かける機会が、二度目、三度目に変わるだけでも、だいぶ見方が変わる気がします。
病院や施設の中で、車椅子に乗る人がいても「当たり前」と思うように スーパーや喫茶店やバスや電車の中で、車椅子に乗る人がいても「当たり前」と思える要素のひとつに 「目にする機会」が挙がる気がします。
実は 外出の日の前日まで… バス辞めようかな 施設の車だけで行こうかな 歩いていける店にしようかな と迷ったけど (だって大変なんだもん) 周りの職員さん達のおかげで、大切な機会×2を失わせることにならず、よかったです。
少~し頑張ってでも、普通に生活することを積み重ねることが そんなに頑張らなくても、普通に生活できる環境を手に入れることに繋がる と、信じたいです。
車椅子でも、障害があっても、認知症があっても。
入居者さん、職員さん、髷姿のお兄さん ありがとうございました。
グループホーム滝子通り一丁目 駒木根純子
飲食店の急な階段の横に貼ってあった看板に、やっぱり思わず写メ!
次のブログ更新は、20日の予定です~♪
駒木根さんの感性、表現力も素敵ですよね~☆
接点
たまたまこんな記事を目にしました。
滝子の施設より車で5分くらいの所で起きた、残念な出来事です。
高齢者世帯で、片方が要介護状態にある場合、連れ合いの調子や状態により、
もう片方の暮らしに大きな影響が出てしまいます。
サービスを使っていなかったのかも知れませんが、
関係者の誰かが関わっていた可能性はあると思います。
在宅の暮らしのサポートのイメージは、とぎれとぎれの接点といいますか、
「点」で支えているようなイメージがあります。
何も起こらなければそれでもいいのですが、色々な不具合が発生した時に発見が遅れてしまいます。
毎日「接点」があれば、少なくとも今回のケースでご夫婦ともという事にはならなかったのかもしれませんね。
暮らしのサポートは接点が多いほど、安心感、不具合の早期発見につながると思います。
「点(在宅サービス)」の支援と、「面(施設入居)」の支援があるのだと思いますが、
小規模多機能は、その中間の「線」の支援や「面」の支援の機能を発揮しやすい事業所だと思っています。
通いや泊りのサービスを利用されていない時は、電話や、顔を見に行く等で、毎日接点を持つようにしていますが、
365日、切れ間のない関わりの先にある、安心感や役割を小規模多機能で発揮し続けていきたいと、改めて思いました。
ちょっと小規模の宣伝?になってしまいましたが、
それでも、不測の事態は起こり得ますので、気を引き締めて、在宅の方々の暮らしを支えたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
昨日は自宅付近で集中豪雨となり、避難勧告がでる騒ぎに。
自分は、離れた天気のいい名古屋の滝子で働いていたので、まったく気づかず。
2時間たって、休憩の時にTVを見てビックリ!!
自宅付近がすごい事に!
結果、周りの道路が冠水していた程度でよかったのですが。
接点の頻度だけでなく、距離感も大切ですよね~
生きざま
最近利用開始になられた方の話です。
写真は1週間前の朝のものです。
フロアに戻った瞬間、写真の状態だと何を思うでしょうか。
自分は椅子から「ずり落ちた!(汗)(焦)」と思ってしまいましたが(歩行不安定、認知症ありの方なので)、
次の瞬間、床にこぼれたお茶を、自ら拭いているのに気づき、ほっとしました。
本日の夕食時、一生懸命床に落ちている何かを拾おうとされていました。
それは食べこぼした米粒2つ。
この方、元住職さんでいらっしゃったので、食べ物を大切にしたり、きちんとしたいという感覚が身に染みついているのでしょう。
人は脳の調子が悪くなっても、体に染みついた感覚・習慣・習性が残っていくことが良くあります。
「生きざま」がでるんですね~
ん!? という事は、自分が認知症になったら・・
落ち着きなくすぐどっか行ってしまい
女性職員に声をかけ
食べ物は好き嫌いが多く菓子ばかり食べ
面倒くさがり屋で
口から出まかせばかりの老人になってしまうのか・・
恐ろしい。。。
そんな自分の対応をするスタッフに申し訳ないし、
「このじじぃ、うっとうしいなぁ!」と虐待を受けている自分が想像できてしまいました。汗
自分の習性を変えるか
認知症にならないようにするか
「認知症にならない」という事は保障されないので、
習性を変え、介護の倫理観、職業観を今のうちから少しでも変える事が、
年寄になった自分の、最期のステージを少しでも豊かにする大切な要素となるのだと、
改めて考えさせられました。
あとは、キーパーソンとなる身内の人との関係性でしょうね。
このままだと、危険だな・・汗
なぁんて事を、頭の中でぐるぐると考えてしまいましたが、
利用者さんからは、いつもいろいろ考えさせられる要素を頂いています。
目の前の方々から学び続けていきたいと思います☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
次のブログUP予定は15日頃の予定です。
よろしくお願い致します☆
旅立ち☆
本日、開設直後に利用開始され始めた小規模多機能利用者Kさんが、
東京に住む娘さん宅近くのグループホームへ移られました。
写真は出発直前の送り出しの様子です。
通いの方々の到着時間を調整させて頂き、見送りに花を添えました。
人って繋がりの中で生き・生かされているんですよね♪
人って素敵な生き物ですよね。
それを繋ぐも離すも、僕らの仕事次第なので、責任重大です。
「人」として生きる事を引っ張り出し、支え続けていきたいものです☆
家族から
「いろいろ思い出され、感謝の気持ちは言葉にできません。
皆様の仕事に対する思いにより、母も私達家族も、心穏やかに過ごす事ができました。」
とメッセージを頂いております。
ベストまではいけなくても、まあまあベターな仕事はできてきたという事でしょうか。
職員一同お言葉をありがたく頂戴したいと思います。
出発後、送迎役の和田から途中の写真を頂きました。
サービスエリアで昼食ととり、
東京へ無事到着☆
こちらもがんばりますので、東京で頑張ってくださいね。
Kさん、ありがとう☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
そこにいるはずの方がいないという事はなんともいえない寂しさが・・
存在感ってすごいですね。
見える化・魅せる香
波の女の施設(滝子通一丁目福祉施設、雁道二丁目福祉施設)は住宅地のど真ん中、
それも道路から施設の中が丸見えの状態で建てられています。
朝夕、外が少し暗い状態だと、より一層中が丸見えです。
これは意図的に作られています。
従来の介護施設の多くは、外から中が見えにくく作られています。
僕らの仕事は、要介護状態になってしまわれた方々を、
社会から隔離するのではなく、社会と繋ぎなおし、解放していくのが大切な仕事なのではないでしょうか?
地域の方が行きかう道路のすぐ横が、利用者・入居者の生活空間という事は、
利用者・入居者の動き・声、様子は当然の事として、
職員の行動、声、表情といった立ち振る舞いも通行人には丸見え・まる聞こえになっています。
(見えない施設でも、日々買い物に出かけたり、地域資源を活用しつづければ同じような効果はあると思います)
もちろん、地域の方・関係者・家族がいようといまいと、常に姿勢で仕事をするのが僕らの仕事の大切なところではありますが、
この環境は自然とそこを意識させられます。
「見られる介護」を意識
「見せる介護」を意識
そこから要介護状態になっても、生活を大切に社会とも交流・繋がっていく姿を通じて、地域の方々・社会に
「触れる介護」
「魅せる介護」
を演出・作り出す事を大切にしていきたいと思っています。
それが認知症の正しい理解や偏見を減らし、社会の方々にとっての安心感とまではいかなくても、
介護のイメージを持って頂けたらと思いますし、地域密着サービスとして、地域の方々への還元だとも思っています。
換気扇のダクトも道路に面しています。
中で作っている料理のにおいも、地域の方々の刺激になっているのでは?
カレーとかヤバいですよね。笑
これからも、頑張ろっと。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
取り戻し☆
重たい皿もなんのその♪
波の女へ来て、2日のHさん。
洗った皿の山とフキンを置いておくと、きれいに拭き、同じ種類の皿を積み重ねられます。
洗濯終わったタオルを置いておくと、きれいにたたまれます。
最初はきっかけを作ったのですが、そのうちご自身で判断され自ら生活行為をされています。
「ここはこういうところなんだ」
「やれる事はやればいいんだ」
そんな空気感は伝染します。
ちなみに隣に座っている男性も最近利用開始の方ですが、
「隣がやってるなら自分も・・」
といった感じなのではないでしょうか。
多くは、波の女へ来て新たに獲得している訳ではなく、
もともと「自分の事は自分で」といったあたりまえの生活をされていたにも関わらず、
介護施設を利用している間は、その能力を発揮する機会がなかなかなかったり、職員さんが親切にやってくれるので、やらなくてよかったりしている事が多いのではないでしょうか。
その行きつく先は、能力の衰退「やれなくなる」「やろうと思わなくなる」といった事に繋がりがちです。
ですので、波の女では、「自分の事は自分で」という柱の一つを大切に、
少しでも有する能力を発揮する機会をと考えています。
そうなると、かつて誰もが行ってきた「生活行為」の取戻し・再現から、能力を発揮するのがとてもスムーズです。
そして「皆でやる・やっていいんだ」
そんな風がその場に吹けばより効果的な場面になっていきます。
脳や体の力は衰える中でも、
「取戻し」「獲得」は可能です。
そんな行為を通じて、「自分の力で生きる」「生きているんだ」
こんな感覚が少しでも体感できれば素敵ですね☆
人ってそうやって生きている生き物ですから。
洗面によりかかってでも、立ってうがいができるって素敵ですね☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
次のブログUPは8日の予定です~♪
自分
世紀の勝負が、昨日ありましたね。
世間でも結構な関心ごとといいますか、注目されていたようで、街の中にあるTVにも皆さん見入っていました。
僕ら介護の世界は、あまり「勝ち負け」といった表現や場面はあまりない業界だと思います。
確かに経営的には「勝ち組」「負け組」はあるでしょう。
でも現場では、「生活」を応援する仕事なだけに、あまり勝ち負けにこだわって仕事をしている訳ではないと思います。
そんな業界ですが、「勝ち」はあまり意識しなくても、「負け」はあると思いますし、意識していかなければならないと思うのです。
何に「負け」が起こるかと考えますと・・
「自分」にですね。。。
だと思うのですが、いかがでしょう?
自分たち(職員)は、色々な面で「力」を持っている事が多いと思います。
それは自分たち都合で、対象の要介護状態にある方々をリードしてしまう事がしやすい環境にあります。
自分たちのペースで
自分たちのやりやすいように
自分たちの都合で
自分たちの考えで
自分たちのやり方で
自分たちの思いで
自分たちの・・・
自分たちの・・
という事になっても、文句を言える方が少なかったり、その事を覚えている事がしにくかったり・・
そうなるとどこまでいっても、要介護状態にある方々の暮らしを良くも悪くもするのは、
私たちの思い、力量に左右される要素が多いと思うのです。
つまり、自分を自制できるか・・
そこに「負け」が存在する業界だと思うのです。
自分にマケルな・・
誰かがいてもいなくても・・
みていてもいなくても・・
変わらず、自分に正直にいられるか。
一環した変わらない対応ができるか。
誰かが「おや?」という事をしていても、
流されない自分
「おかしい」と言える自分がいるか・・
色々な面で人間性・自分力が試され、
自分を律する事が問われる仕事だと思うのです。
ずるをしない
嘘をつかない
楽ばかりを追い求めない
自分で勝手にしない
自分の都合ですすめない
「人」と「人」との正しい関係の中で
自分に負けないようにしなくてはと思います。
これは、僕自身にも当てはまりますし、
誰にでも当てはまる事です。
自分に負けないようにしたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「マケ」とは違うニュアンスですが、
「ナマケテ」しまう自分もいます。
そこも、自制ですね~(汗)