街のサポーター
「ロト6買ってくるわ」
小規模多機能・クラブ滝子の利用者さんが突然出て行かれました。
最近利用開始された方で、今までも何度か1人で買いに行かれています。
その都度こそっと付いて行ったりしています。
「夢を買うんだ」
確かにそれは素敵な事です。
自宅の部屋にも、大切に本が置かれていました。
しかし、生活費を遣い込んでしまうと現実の暮らしが難しくなります。
認知症という状態にあるので、そこは専門職の出番です。
我慢させすぎない、しかし行き過ぎないように
今回は先回りして、宝くじ売り場のおばちゃんにお願いしてみました。
「このあと来るおじいちゃんに、今日は1000円以上受付できませんと言って頂けないでしょうか・・」
「・・難しいけどやってみるね。私の親はすごい認知症で苦労したから」
と快く承諾していただけました。
ありがたい事です。
結果、売り場手前にある食品コーナーで、夕食の食材を買っているうちに気が変わったのか、忘れたのか、一人で社会活動できた満足感からか、そのままクラブで戻っていかれました。
売り場のおばちゃんに「またお願いね!」と伝えると、「いつでもどうぞ!」と応えてくれました。
街の中のサポーターがこうして増えていくのは嬉しいことですね☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
国政調査のインターネット回答簡単にできて良かったです。
国民の義務ですから、皆さんも回答しましょうね。
「ズレ」
他のグループホームのスタッフより質問がありました。
「90歳を超えるお婆さんが記憶の中で若い頃に戻り、死んでいるご主人は生き返り、自分の親も生きている事になっているのですが、他のスタッフは現実・事実(ご主人は死んでいますよ等)を伝え、かえって不安にさせてしまっています。どう思いますか?」
どう思いますかと言われても・・・
ブログを読まれている皆さんはどう思われますか?
認知症対応型共同生活介護(グループホーム)で働く職員さん。
認知症に対応する組織・自分作りはできていますか?
対応するという事は、特徴、特性、原因等々を知っていなくてはいけません。
そしてそれに対応できるスキルが備わっていく必要がありますよね。
認知症の特徴のひとつは、脳が壊れることによって起きる「環境不適応」状態になる事があるという事です。
そのご本人からみた「環境」というのが、ホームの作りや物などの「物的環境」もそうですし、私達職員も「人的環境」となります。
脳が病気になり、記憶や見当、判断等が正しくできなくなり、私たち職員側の「現実」とズレが起きてきます。
実際は「雨」でもご本人にとっては「晴れ」
実際は「9月」でも、ご本人にとっては「4月」
実際は「夕方」でも、ご本人にとっては「朝」
実際は「職員」でも、hご本人にとっては「孫」
実際は・・・きりがないほど、色々なズレが起きてきます。
ズレが大きくなると、不安で落ち着かなくなります。
ズレが小さくなると、少し安心感が出てくる可能性はあります。
その「ズレ」を感じる・感じにくいは、職員の立ち振る舞いにかかっています。
職員が一生懸命、職員側の事実を伝えようとすれば、ご本人はズレを感じるでしょう。
病気によって脳が壊れ、その症状として「ズレ」が起きています。
脳の修復ができれば、「ズレ」もなくなっていくかもしれません。
しかし今の医学では、修復はとても難しい状態です。
その直りにくい難病とも言える難しい状態の方に、「ズレを治してよ」と無理難題をふっかけているようなものです。
「ズレ」が治しにくいので、「お金を払うので、助けてください」とホームに来られている方に、「お金はもらいますが、対応の仕方は分かりません」といっているようなものですよね。
「もうご主人は死んでしまってますよ。あなたももう90歳ですよ」なんて伝えるのが、認知症対応型サービスの専門職の受け答えでいいのでしょうか?
治したくても治らず、苦しんでいるご本人の世界に、専門職の私達が飛び込み・合わせ、「ズレ」をあまり感じにくいように、アプローチしたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
家宅侵入
本日朝、クラブ滝子利用の独居の方をお迎えに行ったのですが、いつもは取り込んでいる新聞がそのままです。
嫌な予感がします・・
鍵を開けてもらうために玄関前で電話をかけてみると・・
「頭フラフラでベッドから動けない・・」との事。
いつもの事であるので、少し時間を置いて再チャレンジしてみました。
ところが変わらず。
「歩かなくてもいいから、這って玄関まで来て下さい」等々色々な方法で30分以上試行錯誤してみたものの中に入れず。
合鍵で鍵を開けれても、中のロックがあり入る事ができません。
どうしたものか・・・
ベランダ側は、雨上がりで濡れた木々や葉っぱが生い茂っていて進入困難にみえます。
しばらくアプローチしてみたものの、動けないようなので、困難なんて言っている場合ではなくなってきました。
「やるか・・」
過去に2,3回他のスタッフが乗り越えていますが、自分もその時がやってきたようです。
傍からみると、怪しい「家宅侵入者」ですね。
くもの巣、群がる蚊、濡れた葉っぱに苦戦しながらも、なんとか乗り越えベッドサイドの窓に到達しました。
ところがその窓の鍵を開けるのに更に10分。
なかなかまいります(笑)
もっと切迫している状況だったら、救急車や警察呼をぶか、ガラスを割ってでも押し入るとこですが、そこまでの状況ではないので、いろいろやってみるしかないですね。
結局その後はかついで車に乗って頂き、かかりつけの医院に行き、状態把握と点滴をしてもらいクラブ滝子へ。
体調が優れないようなので、自宅に戻るのではなく、泊まりサービスを利用して体調管理する必要があると判断しました。
あっという間に2時間を費やしてしまいました。
いつもいつもこんな事がある訳ではありませんが、何かあった時に臨機応変にその方にとって必要なサポートや環境設定できる小規模多機能・クラブ滝子は、やはり在宅サービスの切り札といえるのではと、現場からは声を大にして言わせて頂きたいと思います。(笑)
現場は大変ですが、必要であればなんでもかんでも行う事業所って大切ですよね。
応援よろしくお願い致します。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
バタバタしている最中、施設より電話が。
「イタチみたいな生き物が、施設駐車場で弱っている」との事。
前回に続きまた野生動物です・・
ほおってはおけないので、ダンボールに入れ、水分補給、アイスノンで暑さ対策施し、施設職員の知り合いが動物病院へ連れて行きました。
もう何でも来いですね!笑
ないないない
独居の利用者さんの自宅で見つけたメモです。
あれがない
さがしてもない
これもない・・
どれほどの時間を費やしたのか。
どれほどの不安を抱えていたのか。
どんな思いで書かれたのか。
家から通われている方は、利用中に過ごされている姿だけでなく、見えない所でどのような思いで過ごされているのか、知って考えて対処していかなければいけませんよね。
自宅での暮らしを、少しでも長く支えれるようにとあれこれ段取りすると、結果、自宅で暮らす1人の時間・期間が長くなり、混乱や不安を募らせ、進行のスピードが速まってしまうのかも知れません。
かといって、早目に認知症対応型であるグループホーム等に入居され、1人の不安な時間を多少解消できたとしても、引っ越す事や他人と暮らす事、自宅を離れる等々のストレスがかかります。
どっちもどっちですね。
本人、家族の思いを受け止めながら、先の見通しも伝え、どう対応していくのか、どんなサービスを使うといいのか等、予測しながら、一緒に考えていくしかないですね。
メモを見ていると、支えきれないやるせなさや、力足らずだなぁと思ってしまいます。
でも、一生懸命考え・感じ、関わっていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
カモメの様子が変な感じだったので側に寄ってみました。
羽に怪我をして飛べないようです。
捕まえれそうなので、なんとか助けれないかと「野鳥の会」へ聞いてみました。
「野生なので、何もしないで下さい」と。
これまた力足らずな自分を感じてしまった一コマでした。
トホホ。。
「主体性」を考える②
- 「方向性を職員間で共有・合意」
「主体性」は大切!と気づき、すぐに取り組もう!!
という思いや行動力は大切だと思います。
しかし色々段取りを踏まないと、後々やっかいな事になってしまう可能性があります。
例えば、利用者さんの行動範囲が広がった結果、怪我をされ、家族から「なんでそんな事させたのですか?」とクレームが入った。等の事は起こる可能性があるます。
そのような事にならないように、やるべき事がいくつかあると思います。
まずは、法人・会社としての方向性(理念等)とのマッチングを行う必要があるという事です。
当然、経営者や管理者等が「主体性」について理解し、推進する中心、もしくは承認していなければなりません。
スタッフ個人の思いやフロア単位で取り組むと、事故が発生した時に、責任の所在が個人のスタッフ等にいってしまうかも知れません。
現場スタッフからの情報発信や問題提起で構いませんので、施設全体の動きと連動できるようにしたいものです。
そして、正しい介護のあり方を追求し、目の前の要介護の方々の生きる姿を変えていけたら素敵ですね。
主体性を導き出すアプローチは、一個人スタッフがいいと思って実行できる事もありますが、組織全体の理解の基ですすめ、皆で同じ方向に向かい、力を合わせ、チームワークを発揮する必要があります。
そのために皆で勉強会や意見交換会、会議等を開催し、合意の基で取り組みを始めたいものです。
その会合時に、確認・予測しておく事があります。
それは、取り組みが進むと、色々な負担が増える事です。
そして職員は振り回されていくという事です。
その時に個人やチームで仕事の方向性が揃っていないと、愚痴や不平不満が増えるばかりです。
「してさしあげる」間は、施設や職員都合による、生活やケアの組み立てが中心で、利用者は受身的な方が多いと思います。
それはある意味職員にとっては都合のいいものです。
しかし、利用者が主体的に「話されたり」「行動」され、それを応援しようとすると、職員側の予定通りにいかない事が増えてきます。
それが「主体性を支える醍醐味」と捉える事ができるかどうかです。
「振り回されるという事は、主体性を大切にしている証拠」
それが当然で、大切な事という感覚を職員が持てないと、「大変だ」「人出が足りない」と、愚痴や不平不満が増える事になってしまうかもしれません。
そのような事にならないように、予め皆で学び、合意の基で取り組む必要があります。
主体性を引き出すという事は、必然的に職員に負荷がかかります。
なぜ、主体性は大切なのか? どうすれば主体性を引っ張り出せるのか?
組織の方針の基で、職員間で情報共有や合意し、チームとしてアプローチする事が大切です。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
掃除の流れを作ると、自ら動き始める男性利用者さん達。
最近利用開始となった方々です。
クラブ滝子がおもしろくなってきますよ!
「主体性」を考える①
時々介護関係者から「主体性をどうしたら引き出せるか?」等の質問を頂きます。
何回かに分けて「主体性」について考えてみたいと思います。
お付き合い下さいませ。
「主体性」とは・・自分の意志・判断で行動しようとする 態度。
主体性を引き出していくためには、様々な面からアプローチしなければならないと思います。
今回は、「主体性を正しく捉える」といった事について考えてみます。
最初に、「人」は「主体的な生き物」であるという事を再認識する必要があります。
自分が生きていくために必要な事を、自分の力を使って生きているという事です。
シンプルに表現すると、人は「生かされる」ではなく「生きていく」生き物という事です。
私達自身が、そうやって生きているという事を念頭に置いておく必要があります。
本来そのような生き物である私達「人」は、最期までその姿を保ちたいと誰もが思っています。
ところが、加齢や病気が基で脳や体に不具合が起こってくると、自分の事が自分で行うのが難しくなっていきます。
そして、要介護状態になり、私達の力を必要として目に前に来られるのです。
そこで私達がする仕事は、「生かしていく」ではなく、「生きていく」という事を、私達専門職がくっつく事により取り戻したり、維持したり、追求していく事だと思うのです。
私達介護業界は、困った人、できない人と捉え、何でもしてあげる事で「生かしていく」事をしてきた歴史があります。
しかし時代は変わりました。
「有する能力に応じる」「自立した日常生活を営む」事を目指して、できる事を活用し、「できる自分」を繰り返し体感しながら、「自分の力で生きている」と感じて頂けるように導いていく事を追求する時代です。
皆さんはどう思われるでしょうか?
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井真治
送迎の途中で豪雨に遭遇。
天候不安定な日々が続きますね。
「こんだけ降ると気持ちいいね~(利用者)」
今年の夏は、早々終わったみたいですね。
後始末
社会参加の機会を日常的に行っていると外でトイレを使用する場面が増えます。
その時に注意すべき事が多々あります。
今回はその中の1つに注目してみましょう。
それは「トイレの汚れ」です。
(写真では分かりにくいですが、はみ出してびたびたです)
支援、介助が必要な方であれば横にいますので後始末まで含めて関われます。
利用者・入居者が汚してしまい、ご自身で後始末できないのであれば、当然職員が行います。
注意すべきは、「場所も分かり、排泄動作が自立している方」の場合です。
ついつい慣れの中で、「1人でできる」「戻ってくる」と思い込んでいると、排泄後のトイレの中のチェックを怠ってしまいがちになります。
確かに排泄でき、戻ってこれるでしょう。
しかし、トイレを綺麗な状態で出てこれているかは確認しないと分かりません。
日常的に使用している洋式トイレならまだしも、和式となると、結構危険です。
「しゃがむ」姿勢を維持しつつ排泄するのは、要介護の方ですと結構きついものです。 時々和式のトイレに出くわす事があります。
そうなると、当然はみだしてしまう可能性が高くなります。
そのまま職員が気づかなければ、次の人やお店の方が後処理をするでしょう。
その時に、「あの人だ」「あの施設の人だ」「認知症の人だ」になってしまうと、「見る目」に偏見やレッテルを貼られてしまう事にもなりかねません。
「人として生きる姿」を支えるためには、他者への関係や配慮も含めて、社会性を保つ必要があります。
トイレの後始末の支援も大切な仕事ですね。
「大丈夫」と思い込まず、確認確認を大切に。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
やってまった!
昨日の副施設長 佐藤との、メールのやりとりの一コマです。
私事ですが、休み中にトラブル発生!
「諸事情が起こり、次の日の出勤が厳しいのでは?」と相手(井)の立場に配慮して休んだ方がいいと思っている副施設長 佐藤。
「トラブルはあっても、出勤するのは基本」と思っている自分。
このズレの先に何が起こったか・・・
以下メールの内容です↓↓
「大丈夫ですか? 明日は他のスタッフで対応しますので大丈夫ですよ」佐藤
「いえいえ 大丈夫ですよ。出勤しますよ~」井
「本当に大丈夫ですか?」佐藤
「なんとかできそうです。予定の勤務はこなしたいと思います」井
「心配です。朝の送迎だけで充分助かりますが、無理は禁物ですから。無理しない下さいね」佐藤
「ありがとうございます。心強いです。助かります!感謝。では、明日朝よろしくお願いします~」井
「了解しました! 施設は大丈夫なのでね」佐藤
このようなやり取りの後、当日(今日)の朝7時前に出勤すると・・・
夜勤者以外に職員駒木根さんの姿が。
「???」井
「施設長どうしたのですか? 昨日の夜に出勤依頼あったので来ました」駒木根
「・・・やってまった!!」井
メールを読み返したら、「言葉足らず~」な内容です。
そりゃ、ピンチヒッター手配してしまいますよね。
最期の自分のメールの内容に加えるとすると・・
「では、明日朝(出勤しますので)よろしくお願いします」ですね。
( )が足りなかった、伝達力不足が招いた結果は・・
休みの所を早起きして来てくれた、駒木根さんの無駄な時間でしょうか。
申し訳ない。。。
そんな事をたいして気にせずに、1時間程仕事をしてさわやかに帰っていきました。
素敵なスタッフさんですね。
それにしても失礼しました。
異なる思考の場合のメール伝達は、きちっと言語情報をのせないと、とんだロスやミスに繋がると反省した今日でした。
申し訳ない。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「しぇー」な副施設長 佐藤です。
自分は売りもの
「介護」とは何を売っているのか?
何が売りなのか?
もちろん物を売っている訳ではありませんね。
「関わり」を提供し、対価を得ています。
今回は無形の「関わり」の仕事を、商品として捉えてみます。
介護の売りの中に、物質や形あるものとして施設の立地、ハード面、しつらえの工夫等の要素があると思います。
しかし最も大切なのは、直接関わらせて頂く介護職員「人」そのものなのだと思います。
それが私達の「商品」であり、その「商品」が必要となった国民は、介護というサービスを活用して暮らしているのだと思います。
その商品には単独の「人」と、「チーム・組織」という側面があるのだと思います。
そこに仕組みやルールといった「商品」もあるのかも知れません。
この業界の中に、介護知識・技術を持った自分を「商品」として意識している方がどのくらいいるのでしょうか?
自分の「介護の知識・技術」と、それを使いこなす「人間性」が商品になるのか?という事です。
商品として 「売り物になっているのか」「買って頂ける」ように意識できているのでしょうか?
施設のトップが内外で何を言ってようと、その日現場で直接関わっているスタッフの介護の質(商品)が、その施設の質という事になってしまいます。
施設の質 = 職員の質
という事ですね。
毎日現場で仕事をしている職員1人ひとりが、自分が施設の「商品」である事を意識して、立ち振る舞いしていかなければならないのだと思います。
個々の人間性、センス、姿勢に加え、チームの方向性や職場風土・・
そういったものが私達の売りである「商品」となるように、個人も組織も意識していかなければいけないのだと思います。
個々の職員は、頂いている給料という対価に見合うだけの「商品価値」を持っているのか、自問自答が必要なのではないでしょうか・・
「売り物になるのか」「売れるのか」という事です。
そして職員の商品価値を高めるために、正しい方向に導き、姿勢ややる気を引っ張り出す事を大切にできる組織になっていかなければいけないですね。
「売り物を大切に扱えるのか」「売り物の特性を分かっているのか」「品質管理や改善を行っているか」という事です。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
と考えると
「品質管理や改善」がまだまだな自分の商品価値は・・
低いなぁ。。。
見せる介護
滝子の施設のリビング・庭の前は公道です。
通勤時間帯や昼休憩時間以外でも、生活道路として地域住民が結構往来しています。
あえて、公道と入居者の生活スペースをくっける事で自然と「接点」ができます。
洗濯物を干したり取り込んだりしている時は、近距離で挨拶。
生活の要であるリビングも公道から2mちょっとしかないので、少し間接的な挨拶。
もちろん声も届く距離ですので直接挨拶もあります。
夜以外はカーテンも開けていますし、今の時期でも窓を開け網戸になっている事が多いです。
自然と街の風景、行き交う人々、光や音などの情報が飛び込んできます。
このように、社会との接点をとりやすい配置になっているのは計画的なものです。
そして、生きていく上で必要な物を調達しに、毎日地域へ出かける。
そこでも地域住民と接点が必ず発生します。
これからの時代、「みせる介護」を意識すべきではないでしょうか。
もちろん「みられる介護」でもある訳ですが。
施設の中だけで、いい介護・支援をしているだけではもったいないですよね。
近隣・地域の方々に、専門職としてどんな仕事をしているのか、「見てもらう」「見られる」事が、日本全国に広まれば、介護という仕事の大切さが国民にダイレクトに伝わっていくというもの。
そして
「家族だけで介護してる時とは生きる姿が違うね」
「そんな風に関わっているんだ」
「こんな事もできるんだね」
「やっぱりプロは違うわ」
「さすが専門職」
といったように、要介護状態の方々の暮らしと、それを引っ張り出す職員の姿を作り出したいものです。
私達介護職はそこを目指して、専門性の発揮(生活の取り戻し)に取り組む。
職員の言動も見られている訳ですので、素のままの自分や自分スタイルではなく、専門職としての立ち振る舞いを意識していく。
地域の方々は、生の介護・支援の様子を見て、介護の事を知っていく・意識していく。
そんな中で、介護の仕事って素敵で大切だと働く人が増えていく。
そんないい循環になるように仕事をしていきたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治