後始末
社会参加の機会を日常的に行っていると外でトイレを使用する場面が増えます。
その時に注意すべき事が多々あります。
今回はその中の1つに注目してみましょう。
それは「トイレの汚れ」です。
(写真では分かりにくいですが、はみ出してびたびたです)
支援、介助が必要な方であれば横にいますので後始末まで含めて関われます。
利用者・入居者が汚してしまい、ご自身で後始末できないのであれば、当然職員が行います。
注意すべきは、「場所も分かり、排泄動作が自立している方」の場合です。
ついつい慣れの中で、「1人でできる」「戻ってくる」と思い込んでいると、排泄後のトイレの中のチェックを怠ってしまいがちになります。
確かに排泄でき、戻ってこれるでしょう。
しかし、トイレを綺麗な状態で出てこれているかは確認しないと分かりません。
日常的に使用している洋式トイレならまだしも、和式となると、結構危険です。
「しゃがむ」姿勢を維持しつつ排泄するのは、要介護の方ですと結構きついものです。 時々和式のトイレに出くわす事があります。
そうなると、当然はみだしてしまう可能性が高くなります。
そのまま職員が気づかなければ、次の人やお店の方が後処理をするでしょう。
その時に、「あの人だ」「あの施設の人だ」「認知症の人だ」になってしまうと、「見る目」に偏見やレッテルを貼られてしまう事にもなりかねません。
「人として生きる姿」を支えるためには、他者への関係や配慮も含めて、社会性を保つ必要があります。
トイレの後始末の支援も大切な仕事ですね。
「大丈夫」と思い込まず、確認確認を大切に。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
やってまった!
昨日の副施設長 佐藤との、メールのやりとりの一コマです。
私事ですが、休み中にトラブル発生!
「諸事情が起こり、次の日の出勤が厳しいのでは?」と相手(井)の立場に配慮して休んだ方がいいと思っている副施設長 佐藤。
「トラブルはあっても、出勤するのは基本」と思っている自分。
このズレの先に何が起こったか・・・
以下メールの内容です↓↓
「大丈夫ですか? 明日は他のスタッフで対応しますので大丈夫ですよ」佐藤
「いえいえ 大丈夫ですよ。出勤しますよ~」井
「本当に大丈夫ですか?」佐藤
「なんとかできそうです。予定の勤務はこなしたいと思います」井
「心配です。朝の送迎だけで充分助かりますが、無理は禁物ですから。無理しない下さいね」佐藤
「ありがとうございます。心強いです。助かります!感謝。では、明日朝よろしくお願いします~」井
「了解しました! 施設は大丈夫なのでね」佐藤
このようなやり取りの後、当日(今日)の朝7時前に出勤すると・・・
夜勤者以外に職員駒木根さんの姿が。
「???」井
「施設長どうしたのですか? 昨日の夜に出勤依頼あったので来ました」駒木根
「・・・やってまった!!」井
メールを読み返したら、「言葉足らず~」な内容です。
そりゃ、ピンチヒッター手配してしまいますよね。
最期の自分のメールの内容に加えるとすると・・
「では、明日朝(出勤しますので)よろしくお願いします」ですね。
( )が足りなかった、伝達力不足が招いた結果は・・
休みの所を早起きして来てくれた、駒木根さんの無駄な時間でしょうか。
申し訳ない。。。
そんな事をたいして気にせずに、1時間程仕事をしてさわやかに帰っていきました。
素敵なスタッフさんですね。
それにしても失礼しました。
異なる思考の場合のメール伝達は、きちっと言語情報をのせないと、とんだロスやミスに繋がると反省した今日でした。
申し訳ない。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「しぇー」な副施設長 佐藤です。
自分は売りもの
「介護」とは何を売っているのか?
何が売りなのか?
もちろん物を売っている訳ではありませんね。
「関わり」を提供し、対価を得ています。
今回は無形の「関わり」の仕事を、商品として捉えてみます。
介護の売りの中に、物質や形あるものとして施設の立地、ハード面、しつらえの工夫等の要素があると思います。
しかし最も大切なのは、直接関わらせて頂く介護職員「人」そのものなのだと思います。
それが私達の「商品」であり、その「商品」が必要となった国民は、介護というサービスを活用して暮らしているのだと思います。
その商品には単独の「人」と、「チーム・組織」という側面があるのだと思います。
そこに仕組みやルールといった「商品」もあるのかも知れません。
この業界の中に、介護知識・技術を持った自分を「商品」として意識している方がどのくらいいるのでしょうか?
自分の「介護の知識・技術」と、それを使いこなす「人間性」が商品になるのか?という事です。
商品として 「売り物になっているのか」「買って頂ける」ように意識できているのでしょうか?
施設のトップが内外で何を言ってようと、その日現場で直接関わっているスタッフの介護の質(商品)が、その施設の質という事になってしまいます。
施設の質 = 職員の質
という事ですね。
毎日現場で仕事をしている職員1人ひとりが、自分が施設の「商品」である事を意識して、立ち振る舞いしていかなければならないのだと思います。
個々の人間性、センス、姿勢に加え、チームの方向性や職場風土・・
そういったものが私達の売りである「商品」となるように、個人も組織も意識していかなければいけないのだと思います。
個々の職員は、頂いている給料という対価に見合うだけの「商品価値」を持っているのか、自問自答が必要なのではないでしょうか・・
「売り物になるのか」「売れるのか」という事です。
そして職員の商品価値を高めるために、正しい方向に導き、姿勢ややる気を引っ張り出す事を大切にできる組織になっていかなければいけないですね。
「売り物を大切に扱えるのか」「売り物の特性を分かっているのか」「品質管理や改善を行っているか」という事です。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
と考えると
「品質管理や改善」がまだまだな自分の商品価値は・・
低いなぁ。。。
見せる介護
滝子の施設のリビング・庭の前は公道です。
通勤時間帯や昼休憩時間以外でも、生活道路として地域住民が結構往来しています。
あえて、公道と入居者の生活スペースをくっける事で自然と「接点」ができます。
洗濯物を干したり取り込んだりしている時は、近距離で挨拶。
生活の要であるリビングも公道から2mちょっとしかないので、少し間接的な挨拶。
もちろん声も届く距離ですので直接挨拶もあります。
夜以外はカーテンも開けていますし、今の時期でも窓を開け網戸になっている事が多いです。
自然と街の風景、行き交う人々、光や音などの情報が飛び込んできます。
このように、社会との接点をとりやすい配置になっているのは計画的なものです。
そして、生きていく上で必要な物を調達しに、毎日地域へ出かける。
そこでも地域住民と接点が必ず発生します。
これからの時代、「みせる介護」を意識すべきではないでしょうか。
もちろん「みられる介護」でもある訳ですが。
施設の中だけで、いい介護・支援をしているだけではもったいないですよね。
近隣・地域の方々に、専門職としてどんな仕事をしているのか、「見てもらう」「見られる」事が、日本全国に広まれば、介護という仕事の大切さが国民にダイレクトに伝わっていくというもの。
そして
「家族だけで介護してる時とは生きる姿が違うね」
「そんな風に関わっているんだ」
「こんな事もできるんだね」
「やっぱりプロは違うわ」
「さすが専門職」
といったように、要介護状態の方々の暮らしと、それを引っ張り出す職員の姿を作り出したいものです。
私達介護職はそこを目指して、専門性の発揮(生活の取り戻し)に取り組む。
職員の言動も見られている訳ですので、素のままの自分や自分スタイルではなく、専門職としての立ち振る舞いを意識していく。
地域の方々は、生の介護・支援の様子を見て、介護の事を知っていく・意識していく。
そんな中で、介護の仕事って素敵で大切だと働く人が増えていく。
そんないい循環になるように仕事をしていきたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
波の女サポーター(続)
8月12日掲載のブログの続編です。
昨日、施設に来れれたサポーターは、理学療法士「田中義行」さんです。
画像のとおり、いくつも本を出版されていたり、関係冊子に記事が掲載されていたり、あちらこちらでセミナーも開催されている売れっ子専門職の1人です。
現在は、和田行男と同じ「大起エンゼルヘルプ」に所属して活躍されています。
前回の牧野さん同様、「これが一流の専門職だ」といったオーラを持ってみえます。
専門職としての知識、技術をベースに、鋭い洞察力、予見力、追求心、人間性を持っており、「なるほど!」と思えるアプローチと、その「結果」を毎回導き出されます。
さすがですね!
レクチャー後の空き時間に、介護福祉士受験対策勉強会にも同席して頂きありがとうございました(笑)
波の女には、このような様々な分野の一流のサポーターが何人もいて、大変勉強になります。
が、関心してばかりではいけませんよね。
私達も「介護」の専門職です。
「さすが専門職」
と周りの方に思って頂けるような姿勢や仕事ぶりを発揮したものです。
「給与を上げて」
なんて言う前に、
「専門職としての仕事」
を発揮する方が先です。
介護職の処遇改善は「結果」であり、まずは「現状」の改善ですね。
目の前の人の「尊厳」に配慮できているか。
「有する能力」に応じようとしているのか。
「日常生活を営む事」を目指そうとしているのか。
「人が生きる」という事を支えようとしているか。
一般市民からみて、さすが専門職!
「介護職が関わると、生きている姿が変わるね」
といった結果がでるように、追求し続ける事が大切なのだと思います。
そんな専門職魂を持っていけたらと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
地域環境の変化に気づく
今朝、小希望多機能・クラブ滝子の利用者さんをお迎えに行こうと施設を出て走りだしたところ、いつもの交差点の点滅信号(常時、赤点滅、黄点滅)が消えていました。
片方の道路上には「止まれ」と書いてあるため、即交通事故になる事はないと思われます。
しかしここは名古屋の裏道。
ご存知の方もみえると思いますが、「止まれ」を止まらない車両が時折あります。
そう思うと不安になり、すぐさま管轄の警察署に電話しておきました。
送迎の帰りには業者さんが修理にみえており、ほっと一安心。
介護施設は、地域から助けてもらう事が多いものです。
助けてもらう・理解してもらう事ばかりでは良好な相互関係とは言えません。
施設側、施設職員もなんらかの形で、地域の役に立てる事はないか、アンテナを張り巡らせておく必要があります。
地域環境・地域福祉の増進のためになる施設・職員を目指していきたいものです。
(地域福祉の推進)
第1章 第4条地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を
行う者は、・・(以下中略)・・地域福祉の推進に努めなければならない。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「鏡」のある暮らし
「鏡」を見ない日はあるでしょうか?
私達の暮らしの中には当たり前にあり、普通に活用し、生活を構成する一部である「鏡」
生活に障害をきたし、私達の支援・介護が必要となった要支援・要介護の方々。
自分の意識・能力で鏡を利用できなくなっている方でれば、生活支援の専門職として、「鏡」のある暮らしを作り出すのは当たり前です。
人は他者・社会と交わる生き物です。
日本の文化において、「鏡」で自分を確認・整え、1日を始めるのが生活というものだと思うのです。
「鏡」を意識した支援できていますか?
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
これはずぼらな自分にも言える事ですね。
でも鏡を見ると、老けた自分にうんざりするのですが(笑)
「察する」能力
買い物後に食材を置いておくと・・
持っていかれる
ゴミと掃除機を置いておくと・・・
かけられる
机を1人で運ぶのを辛そうに表現していると・・
「手伝おうか」と言って頂ける
たたんだタオルを置いておくと・・
しまいに行かれる
確かに脳に病気がくっつき、記憶の障害が起こっています。
病気のタイプとしては「アルツハイマー型認知症」
1人暮らしだった頃には生活に障害もきたしていました。
状態としては「認知症」
ですのでグループホームに入居されてたHさん。
しかし暮らしぶりは、入居時の3年前と比べてもそんなに悪くはなっていません。
今でも、その場の状況を察し、それに応じ行動に移すことができる姿を有しておられ、とても素敵だなぁといつも関心させられます。
記憶力の低下を補う程の、察する能力があれば、まだまだ人生捨てたものではありません。
きっと長い生活における、生活行為を積み上げた経験値が体にしみ込んでいるのでしょう。
ご本人さん達の「察する」能力に、私たちもしっかり気づいていかなくてはなりません。
衰えた記憶力は取りもどせなくても、長年積み上げた生活行為を活かす事。
そして、その中で発揮される「察する」能力を大切に支えていきたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
でもセンサー式の水道は経験値がないので、対応できません。
「これ水でないんだけど・・」(コンビニのトイレにて)
波の女サポーター
先日、波の女のサポーターや、近隣の事業所の方などが滝子の施設に寄って頂けました。
(HP内で少し紹介させて頂いております)
その内の1人は、ご存知「牧野日和」さん。
STの牧野さんは摂食・嚥下のプロ。
現在、中央法規出版「おはよう21」でも掲載されています。
興味のある方は、 特集「口から食べる」を支援する をご覧下さい。
当日は丁寧に3名の方の状態を見極めて、予防や注意点、具体的アプローチについてレクチャー頂けました。
「人」の生活を支えるには「介護」だけでは難しいものです。
医療、各専門家、地域の人や資源等々、様々なサポートの結びつきが必要です。
そしてご本人や施設も地域に何かを伝え、提供していく立場にあるのだと思います。
その専門化の1人である牧野さんからは、入居者・利用者が障害を抱えても生きていくために必要な「食」に関する様々な視点・情報・取り組みを教えて頂いております。
また、寄って頂けるのを心待ちしておりますね☆
ありがとうございました。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
あっ! もう一組寄って頂けたのは、近隣のデイサービス事業所のスタッフさん・車です。
夕方に送迎車が滝子に着きました。
降りてきたのは・・
ご存知野村さん。
デイのスタッフさん、1人外出されている野村さんを見かけ、声をかけ送迎途中にも関わらず乗せて頂いたようです。
暑かったですし、楽できて良かったですね♪
近隣の事業所とも繋がっていくっていいですね☆
「魔の3ロック」
「魔の3ロック」
1、過剰な薬物投与や不適切な薬剤の投与で行動を抑制する「ドラッグ・ロック」
介護関係者であれば、聞いた事がある人も多いと思います。
高齢者虐待防止法の施行後約10年で、介護施設の中において(1)(2)はだいぶ減ったと感じています。
厳密に言えば、施設玄関に鍵がかかっているのは(2)に該当すると思われますが。
そこはまだまだ課題を残している現状があります。
(1)(2)を受けている人の状態を想像してみると「人としておかしい」と感じる人は多いと思いますし、そのような倫理観、価値観が広まったのだと思います。
くせ者は(3)の「スピーチロック」で、これが未だはびこっています。
滝子の施設でも「ダメですよ」くらいの言葉までですが、時々聞く事があります。
前回に続きお恥ずかしい話ですが・・
「ダメですよ!」
「やめて下さい!」
「何回も言いましたよ!」
「座ってて下さい!」
「何やってるんですか!」
当等の言葉達ですが、その場で「言い放って終わり」のような感覚ですし、そんなに入居者・利用者に「ダメージが及ばない」「悪影響が少ない」と勘違いしている場合もあるでしょうし、「悪い事」「おかしな事」と気づいていない場合だってあるのだと思います。
職員に負荷・ストレスがかかる事で「つい」「思わず」「悪意はないけど」等の状況で出てしまう事もあります。
または、職員自身が「素」な状態のままで、「専門職」「プロ」として演じる事ができない場合もあるでしょう。
もちろん、それらは「おかしい」という倫理観を伝えきれていない組織側にも課題はあると思うのです。
いずれにしても、一見(1)(2)と比べて、当事者が継続的に「非人権的な扱い」を受けているように見えないので罪悪感が感じられにくいのかもしれません。
しかしスピーチロックを受けると、心を傷つけたり、主体性を奪ったり、ストレスがかかったり、認知症の進行に繋がる事になってしまいます。
また、慣れの中で(1)(2)の行為に波及してしまう事だってあり得ると思います。
いずれにしても、非人道的なアプローチだという事を肝に銘じて、専門職としての立ち振る舞いを意識していきたいものです。
職員個人も会社組織も、私達介護の専門職として、あってはならない「魔の3ロック」からの脱却を目指す時代です。
私達の仕事として「ロック」をかけない所に専門性を発揮すべきです。
「ロック」をかけるのではなく「ロック」を外す側です。
婆さん’ズ 開放運動の戦士「和田行男」に続かねば、介護に未来はありません。
真摯な態度で「ロック」からの開放運動を進めていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治