「はよ死にたいわ」

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本日、ある入居者さんが横になった時に話されたお言葉。

 

その言葉の裏側には「こんな暮らしなら・・」という現状があるのだと想像できます。

そのように捉えることが大切なのだと思います。

内因も少しはあると思いますが、大きく影響を与えているのは私たちの仕事ぶりなのだと思います。

 

この言葉はいつでもどこでも時々聞く言葉であると思いますが、支援に当たる私たちは真摯に受け止めなければならない大切なメッセージです。

 

基本的な介護はある程度提供できていると思います。

いや、もしかしたら基本的介護のアプローチが雑なのかもしれません。

それ以外の何かがあるのかも知れません。

生きる意味? 目的? 体感? 役割? 人間関係? 信頼感? 思い? 私たちの姿勢?

 

 

とても重く響く言葉ですね。

 

最後のステージで残りの人生を託された、私たちへの大切なメッセージです。

ここに挑まずして何が専門職でしょうか。

 

「力不足でごめんね。でも一生懸命良くなるように頑張らせ頂きます・・」

今はこう話すしかありませんでしたが、明日に繋げるために尽力したいと思います。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

2014年05月01日 Category:スタッフ日誌

仕事の夢とは何なのでしょう?

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<介護職> 低い賃金で疲弊 相次ぐ離職「仕事夢ない」

長らく介護は主婦による家事労働とみなされてきた。

職業としての確立が遅れ、低賃金から抜け出せない。

介護労働安定センターによると、介護職の離職率は17.0%で、全産業平均を上回る。

 

「家族を養えないからな」

首都圏の介護施設に勤める30代の男性介護福祉士は、結婚を機にそう言って「寿退社」していく仲間を大勢見送ってきた。

 「仕事に夢を見られない。このままなら、なり手はどんどんいなくなる」

毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊より一部抜粋

 

自分は、本日のインターネットのサイトで上記の記事を目にしました。

仕事(介護)の夢とは何なのでしょう?

記事からは、賃金が低い=生活ができない(家庭を支えにくい)=夢が持てない。

 

背景にいろいろな要素が含まれているとはいえ、端的に上記ようなシンプルなメッセジととれるような気がします。

でもこのような表現で、今の流れを変えることができるのでしょうか?

 

「賃金が安い」と愚痴や不満を言いたくなる気持ちも分かります。

この国で暮らしていくには「お金」が必要ですから。

現実、他業種と比べても見劣りしますしね。

切実な問題です。

 

でもそれはずっと言われていましたし、言い続けてもきたと思うのです。

その成果や効果があって、処遇改善の流れが起こり、少しは交付金や加算として賃金UPにこぎつけています。

それでもまだまだ低い現状にあります。

 

ではどうすれば更に賃金UPできるのか・・

賃金UPには、施設に入る報酬が増えなければなりません、

その基になるのは、主に「税金」「保険料」「自己負担」です。

 

つまり、介護業界にお金を回す(増やす)には「国民」「利用者本人や家族」の総意が必要だということです。

「賃金が低い」という前に、目の前の方から、国民からお金をもらうだけの仕事の出来栄えがあるのかないのか、自問自答する必要があるのだと思います。

そこで、いい仕事ができていれば「賃金が安い」「見合うだけの対価が頂きたい」と声に出していけばいいと思います。

賃金とは自分が仕事をした対価なのですから。

 

そのような視点でいけば、国民(地域)・ご本人・ご家族に対し、納得して頂ける仕事をする事が先だと思うのです。

 

その仕事とは・・・

認知症に対応できているのか。

身体ケア・体調管理が適切にできているのか。

認知症になっても要介護になっても、介護職がくっつくことにより「人として生きる姿」が取り戻せているのか。

その姿を取り戻す・引き出すために尽力しているのか。

地域に対し、そんな仕事ぶりを見て頂き、安心感をもたらせているのか。

「やっぱりプロは違うね」と言われているのか。

専門職として挑み続ける姿勢があるのか。

 

諦めずにがんばっていきましょう。

道のりは長いですが、今この瞬間も、私達の支援を必要とされている方々がいるのですから。

 

 

目の前の方々の姿を変え、社会からの見られ方を変え、国民の意識を変え、豊かな業界にしていきたいものですね。

全国の仲間達の皆さん。

もうひと踏ん張りしましょうか。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

 

2014年04月27日 Category:スタッフ日誌

私達の仕事

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本日、介護経験が7年程ある方が実習にみえ、1日が終わった時にこう言われた。

「頭を切り替えるのが大変です」「衝撃的でした」

 

食事のメニューを考える。

必要な食材を獲得しに街へ出かける。(基本毎日、午前・午後の2回)

食材の選択、選別を行う。

財布を持ち支払いをする。

サポートしてくれる商店の方々。

近隣の方々と普通に挨拶を交わす。

帰ってきて調理する。

食後の食器の片づけ、食器棚へしまう。

合間をみて掃除に洗濯。

 

これを職員主導でなく、利用者・入居者主導で行う。

職員のお手伝いで「食材を洗ったり切ったり炒めたり煮たり味付けしたり盛り付けたり」ではありません。

職員のお手伝いで「洗濯物やタオルを干したりたたむ」ではありません。

職員のお手伝いで「掃除をする」ではありません。

 

要介護状態になったとしても、自分が生きていく上で必要な事を、自分の力を使ってやるということです。

しかし体や脳の障害により昔のようにできるわけではありません。

ですから職員が「補う」「段取り」「先回り」「仕掛ける」「引き出す」という仕事が必要になるということなんです。

その先に、たくましく生きる入居者、利用者の姿があるのだと思うのです。

 

たくましく・・・笑顔ばかりでも、ゆったりでも、穏やかでもない「その人らしら」

「その人らしさ」とは、「自分の力を使って自分の人生を生きる」という実感、体感の先ににじみ出てくるものではないでしょうか。そしてその姿は時間や状態とともに、変化、進化、深化していくものだと思うのです。

 

人は「生かされる」ものではなく、「自分の力を使って生きる」ものではないでしょうか。

 

まだまだこの業界では「できない」「危ない」という視点が根本にあり、「させて頂く」という保護の対象と捉えていることが多いのかも知れませんね。

残りの人生を短くするお手伝い役にならないよう、「有する能力に応じる」「自立した日常生活を営む」を念頭に、挑み続けていかなければと思います。

 

経験者から頂く冒頭のようなお言葉は、波の女のスタッフにとって、日頃の仕事への評価と捉えてもいいのかも知れませんね。

もっともっと「生活支援」を追及し磨いていきたいと思います。

「出前いつくるんだろうね~」「到着予定を30分以上過ぎてるわよ」

とスタッフと入居者さん。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

2014年04月25日 Category:スタッフ日誌

ハイパーシャワー浴?

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様々な理由で、シャワー浴(浴槽に入らずシャワーのみ)にさせて頂くことがあります。

清潔の保持等の目的は果たせるものの、温まりにくいシャワー浴。

 

本日、やむなくシャワー浴にさせて頂いた方がみえました。

とても寒がりなこの方。

なんとかならないものか・・・

 

ということでシャワーチェア(入浴用の介助椅子)に座った状態で、足浴用のバケツいっぱいお湯を張り足を入れて頂く。

背中には暖めた濡れタオルをかける。

自分の左手にはシャワーノズルを持ち、入居者の体前面にお湯をかけさせて頂く。

右手は浴槽に張ったお湯を桶ですくい肩からかけ続ける。

個人浴槽のお湯がなくなるまでずっと。笑

 

さすがに右手がだるくなり、途中で手を止める事もありましたが、全部使い切りました。

バシャバシャと音の面ではゆったり感はないとは思いますが・・

感想を伺うと・・・「温まりましたよ」

よかったよかった。

 

必ずしもこれがいいという訳ではありません。

しかし、あの手この手で「何とかならないか?」「何とかしたい」を実現させるための知恵と努力を積み上げ続ける。

そんな姿勢が私達に必要なのだと思います。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

 

 

2014年04月23日 Category:スタッフ日誌

環境を本人視点で

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洋式トイレの中に、和式トイレが設置されました。

役員の和田のハンドメイドで、作られたものです。

(便器本体は既製品を購入しています)

HP「けあサポ」の専門職応援ブログ「和田行男の婆さんとともに」でも紹介されています。

 

認知症の進行と共に、トイレの認識ができたり、できなくなったりされる方がみえます。

脳が壊れることにより、見えていても分からなかったり、使い方が分からなかったり・・

排泄したくなると落ち着きがなくなり、トイレに行ってもトイレと認識できないと、トイレを探し外へ行かれてしまう事があります。

 

その方の排泄の状況を見ていると、しゃがんでされる場面が多々ありました。

座ってする洋式タイプは、後からの記憶や判断と習慣によるものでありますが、もともとはしゃがんでしていたことと想像できます。

 

「施設の環境に合わせて頂く」のは、脳や体が正常であれば容易です。

その環境を見極めて、使いこなしていく判断は「脳」が行っています。

その脳が壊れれば、新しく獲得した記憶や判断することが難しくなることもあります。

であれば、「本人の脳に合わせていく」のが私達の仕事になります。

そのために、本人側の視点で分かりやすい環境を作り出していくということになります。

 

今回の和式トイレの導入も、そのような本人視点で考た結果です。

脳が壊れることにより、正しく理解できなくなり環境不適応状態が増えてきます。

その時に、人も物も本人の状態に合わせ変化させていくこ視点とセンスを大切にしたいものですね。

 

少しづつ使いこなしているものの、この便器を横目に洋式でされていることもあります。(笑)

ある程度想定はしていますが、大切なのはそのセンスと取り組む姿勢ですからね。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

2014年04月20日 Category:スタッフ日誌

行方不明者(認知症を有する方の)1万人時代

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本日のNHKのニュース番組で取り上げられていました。

1年間で1万人近くの行方不明者が出ているとのこと。

平均で毎日「26人」近くの行方不明の認知症の方の捜索依頼が出ていることになります。

そのうち何回かは、当施設からの捜索依頼も含まれているだけに関心の高い内容でした。

 

その内の約5.8%の559人は死亡か行方不明のままだという。

平均で毎日「1.5人」くらいの方が戻らなくなったということになります。

 

今回のニュースの焦点としては、「ある日、突然」ということでした。

 

それも「周囲が気づかずに」ということで、長年連れ添っている夫婦間でも起こっているそうです。

朝、いつもの日課通りに散歩に出たらそのまま・・

無事発見され、慌てて受診したら「認知症」の診断がついたと一例の紹介がありました。

日々の、同じことの繰り返しの生活は、認知症という状態になっても継続されやすいのだと思うのです。

そこに落とし穴があるのかも知れません。

 

認知症といっても、「脳血管性」の認知症の場合、その障害が起きた周囲の部位の脳の役割に対して、変化が出やすいので気づきやすい可能性はあります。

 

しかし、進行が緩やかなアルツハイマー型認知症(一般的に)の場合は、いつも一緒にいる連れ合いでも変化には気づきにくいという事は十分にあり得る話です。

認知症に対する知識を有していないということも、気づきが遅れる原因のひとつであると思います。

 

全ての国民が認知症の知識を持ち、早期発見の大切さを知るための啓蒙活動や、早期受診や定期健診といった流れの確立と、認知症になっても「なんとかしてくれる」といった安心感を、地域に提供できるような活動ができる施設や専門職の存在が必要なのではないでしょうか。

 

「まさか自分が」「まさか連れ合いが」「まさか両親が」という他人事として認知症を捉えるのではなく、「誰でもなる」「自分もなる」「なり得る」という心構えを持つということを前提に、この社会のありようを考えていかなければならないのだと思うのです。

自分も、自分の周りの人も、お隣同士の方も、近所の方も認知症と出会い、関わっていく社会に突入しているということです。

 

そのために専門職として何ができるか。

何をすべきか。

 

真剣に考えて、行動していかなければなりませんね。

認知症1000万人時代の到来なのですから。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

2014年04月16日 Category:スタッフ日誌

その日の出来事を大切に、そして、忘れずに・・・

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皆様、お久しぶりです。

GH1階職員の山本です。

もう温かくなってきた時期になりましたね。

皆様は、どのようにお過ごしでしょうか。

 

私事ではございますが、このブログでも紹介させて頂く通り、先月の3月16日に結婚式を挙げさせてもらいました。お相手は、3階職員の竹内さんです。

施設の方々にも少数ですが、結婚式に参加して頂きました。

本当にありがとうございました。

 

そして、結婚式が終わった後、施設でも結婚式のお披露目会を開いて頂けるということで、3月30日に施設近くの喫茶店を借りて入居者、利用者ともにほぼ全員に集まって頂き、結婚式のお披露目会を開いてくれました。

とても有り難いことです。

 

僕に花束を贈呈してくれた1階入居者のIさんには、「先生、おめでとう。これからもずっとお幸せにね。」と言ってくれました。

2階入居者のOさんには、「お兄ちゃん、おめでとうな。」と元気に言ってくれました。

お二人とも、とても綺麗におめかしをしてお祝いをしてくれました。

 

また、1階入居者Uさんとは、僕が夜勤の時にUさんが興奮状態にあって首を絞められてアザができてしまった事もありましたが、今では、そんな事もなく、この日はとても感動してくれて涙を流してくれました。

大粒の涙でした。()

いろんな方にいろいろなお言葉を頂いてとても嬉しく思います。

 

3月30日は結構、雨が降っていました。

雨が降っていたにも関わらず、近くの喫茶店まで出向いてくれた入居者様、利用者様、そして、お披露目会の企画を考えて下さった職員の皆様、本当にありがとうございました。

施設でもこのような、お披露目会をやらせて頂き、とても感謝しています。

 

その日の出来事を大切に、そして、忘れずに、これからも仕事に励み、頑張っていきたいと思います。

長いブログを読んで下さった皆様、ありがとうございました。

 

 

2014年04月14日 Category:スタッフ日誌

晴れのち嵐のち晴れ

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本日は希望者を募り、近所の居酒屋で一杯。

 

要介護状態になったとしても「普通の暮らし」を目指す滝子通一丁目福祉施設で、ようやく普通のことのひとつが実施されました。

 

つまみの串を片手に、生ビールを飲まれる方、日本酒を飲まれる方、それぞれ楽しまれていました。

その姿は周囲に溶け込み、なんの違和感も感じられないようです。

 

「今日は本当に良かった」「楽しかった」「おいしかった」等々の声が聞かれました。

そこまでは「晴れ」

これで今日のブログのネタは終わるハズでしたが・・・

 

帰ってしばらくすると、リビングで騒ぎが・・

居酒屋へ行った方と、残って食事準備・片付けをされた方との間でかつてない程の喧嘩が勃発していました。

「自分達は食事を作ったり片付けして大変だったのに」と内心思っている方が、帰ってきた呑み会組みに対して冷たい態度をとったそうな。

そんな空気を察知して呑んできた方が「そんな態度はないでしょ!」と言ったのが発端で、大口論となり収拾がつかない状態になっていました。

これ「大嵐」

 

このまま喧嘩別れをして、部屋に戻って夜が過ぎ朝になれば、ある程度忘れているとは想像できます。

しかし、記憶は残っていなくても嫌な感情は残ったりするものです。

それに「おいしい酒」であったはずが、「まずい酒」で終わるのももったいない話です。

 

ここで出動です。 出動しなければ「仕事」ができていないことになります。

 

喧嘩別れしそうな場面で、両者に席に留まって頂きました。

まずは内に秘める負のエネルギーは発散するためにある程度吐き出してもらいます。

それを受け止めながら徐々に矛先を変えていきます。

そうこうしているうちに、何で怒ってたのか分からなくなってきている様子。

ここが記憶障害をうまく活用するポイントです。

そして最後には仲直りと笑いで締めくくり。

 

関わりに入る時に、「握手」と「笑い」が起きるまでは、仕事をする決意で望みました。

ところがこちらが締めくくりをする前に、入居者さん同士が自ら握手をされたのです。

「さすがだなぁ」と関心させられました。

認知症という状態にあっても、人の心、大人としての立ち振る舞いをされるお二人に感動させられました。

これで「晴れ」 良かった良かった。

 

今回の事件を教訓に、備えを十分にしながら次回の呑み会を実施していきたいと思います。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

「酒」に「タバコ」

たまんないねぇ~

 

2014年04月12日 Category:スタッフ日誌

続 いきつけ

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本日、昨年の10月12日にアップさせて頂いたブログと、同じ支援の場面に立ち会いました。

「いきつけ」の遠い理容店に行くといった場面です。

 

半年ぶりの支援でした。(その間は別のスタッフが行っていたと思います)

そのお店は地下街にあるので、長い階段を降りなければなりません。

その段数は31段。

 

本日も手すりにつかまりながら、ゆっくりゆっくり降ります。

 

と、途中でバランスが悪くなり、一回階段に座り休憩。

そして下まで降りられました。

 

前回は下まで休憩なしで降りられていました。

これは、前回とのコンディションの違いも多少はあるとは思いますが、機能低下も関係してしると思います。

機能低下したのか、させたのか・・・

 

半年の間のI氏の暮らしぶりはどうだたのでしょうか?

私達はちゃんと仕事ができていたのでしょうか?

 

確実に「そのとき」に向かって、人生の階段を降りていらっしゃるのだと感じました。

もちろん全ての入居者・利用者がそこに向かっているのです。

自分もそうです。

 

80年、90年生きてきた、想像すらできない「お一人お一人の、長い長い人生」

その最終ステージに関わらせて頂いている私達の仕事。

 

今日という一日。

明日の一日。

 

貴重な貴重な時間を共に過ごし、有する能力に応じて関わる私達の仕事。

最後のその時に、きっと私達は振り返るのでしょう。

これでよかったのか・・

私達でよかったのか・・

何かできなかったのか・・

 

そう遠くない将来、旅立つ瞬間に後悔のないように、挑み続けなければならないと感じた瞬間でした。

 

 

 

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

 

 

2014年04月09日 Category:スタッフ日誌

「二周年を迎えて」

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関係者各位

 

拝啓

滝子通一丁目福祉施設は4月5日で3年目を迎えることができました。

これもひとえに皆様のご理解とご協力によるものと心よりお礼申し上げます。

 

平成24年4月5日、ちょうど二年前の今日、滝子通一丁目福祉施設(介護保険事業である認知症対応型共同生活介護(以下 グループホーム)と小規模多機能型居宅介護(以下 小規模)の複合施設)に小規模利用者さん、グループホーム入居者さんを初めてお迎えさせていただきました。

 

平成22年、「身体に障がいをもったり認知症になったとしても、最期まで『人として生きる姿』を失わないように応援することを追求する介護職集団を作ろう。」と株式会社波の女を立ち上げさせていただきました。

そしてその実践を通して、従来の「してさしあげる介護」「受け身の介護で活かされる高齢者」ではなく、もっと「主体的に生きる要介護状態にある人たちの姿」を社会に投げかけて、今の「介護」の常識を豊かに変えていこう。これからの超高齢化社会に対して、「こういった介護もあるんだよ」「認知症があっても介護職が関わることでこんな風に生きていけるんだよ」と、新しい道を示してみたいと大きな目標を掲げました。

この目標を実現する舞台として、関係各位の皆さんの大きなお力添えをいただき、当複合施設をスタートさせることができました。

 

開設時の職員は、自分も含めて全くの未経験の新卒者8名を含む17名でした。 

施設長である井、専務取締役である和田が支援の基本姿勢・方向を示し、協力法人から大ベテランの方々に数日間応援に来てもらい、OJTや研修会を通じて「利用者・入居者自身が生活の主体者として暮らす」その流れを創ってきました。

グループホームには開設直後より延べ3ヶ月間にわたり「和田」へのテレビ取材が入りましたが、多くの入居者さん、ご家族が取材に同意してくださり、私たちが目指す「介護」の在り方を社会に発信する、よい機会になりました。

この番組が放送されてから、市民の皆さん、介護業界で仕事をしている方、介護をされているご家族の皆さんなどから、たくさんの反響をいただきました。

利用者さん、入居者さんに声をかけてくださる市民の皆さんが一気に増え、「番組見ましたよ、がんばってくださいね」と多くの方々から励ましの言葉までいただくとともに、私たちの目指す「介護」を一緒に追求したいと願い出て、実際に東北や関西から来てくれた職員さんも現れました。本当にありがたいことです。

 

施設から約700メートル離れた市場まで、毎日、お昼前と夕方に買出しに行くのですが、最初の1年は、近隣の皆さんは、職員さんと一緒にぞろぞろ買物に出かける利用者・入居者さんのことを珍しげに見てくださっていました。

でも毎日この光景が続くことで、「最初はどんな人たちなんだろうと思っていたけど、認知症があっても皆さん割といろんな事ができるのね。」とか「お年寄りばかりの町になって出歩く人もめっきり少なくなり寂しくなっていたのよ。こうやって皆さんが出歩いてくれることで、町がにぎやかになってよかったわ。」と声をかけていただけるようになりました。

 

グループホームの入居者Nさんは、平成24年4月8日に入居された直後から施設を出て外を歩く行動が始まりました。1日何十回も出るNさんに職員もずっと付き添いました。真夏の炎天下、雨の日、風の強い寒い冬、何時間も付き添ったこともありました。にっちもさっちも行かなくなり、「迎えにきてください・・・!」と職員からSOSの電話を受けることもたびたびありました。

職員さんが付き添うことが逆効果となって大通りを横切ってしまうことがあり、ご家族とも話し合い、Nさんの外出に職員があえて付かない支援策に切り替えました。その時点で「一人で出歩いて施設まで戻ってこられる確率はざっくり85%」でしたので、戻って来れなくなるのではないかという不安もありましたが、その後の1年間で戻れなかったことは一度きりでした。

むしろそのことよりも、他人のお宅へ勝手に入ったり、花をちぎったり、公道で排せつをしたり、傘や靴などを持ち帰ってくるといった「反社会的な行為」が増えてきて、近隣住民の方々から意見をいただく機会が増えました。

近隣住民の皆さん方は、「いつか私もそうなるから」と温かく受け止めてくださってはいますが、それに甘えていているわけにもいかず、かといって効果的な方策も見出せず、未だに暗中模索の状況です。

そんな中、つい先日、新しく入った職員がNさんに付き添って歩いたとき、Nさんはふと「わけわかんなくなっちゃったのよ。あとは死ぬだけ」と話したそうです。

これまでの二年間、彼女がこのようなことを言われたことはなく、あまりに重い言葉で、なかなか受け止めることができませんでした。

 

小規模多機能利用者のTさんは、開設時から利用してくださっています。

一人暮らしされていたため、小規模の「通いサービス」を毎日利用され、日中は施設、夜は自宅という生活を続けていました。

夫婦円満の秘訣や子育てについて、とってもユーモアに語ってくれていましたが、この2年の間に語彙はめっきり減り、排せつの失敗は増え、幻覚や幻聴が現れ、それに対して不機嫌になり、そんな自分の世界を生きる時間が圧倒的に増えました。

それでも今でも職員が子供を連れて行くと、不機嫌な顔からふと「ふつうのおばあさんの顔」に戻ったり、ふと職員に「私、なさけないわー、できない」とそのときの感情をそのまま表現されるときがあります。

どんなに手を尽くしても、医療と連携を図っても、認知症の原因となっている病気の進行を食い止めることはできません。でもTさんは今でも自分の思いのままに施設内を歩き回っていられていますし、ゴマすりや洗い物などは職員がそっとお手伝いさせていただくことでまだまだ人並みにこなせるし、歩いて喫茶にも買物にお出かけできます。そんな姿は「認知症のTさん」でなく、「Tさん」なのです。

 

食い止られることもあれば食い止められないこともあるこの仕事のすばらしさと儚さを痛切に感じているところです。

 

あっという間の2年でした。

一見すると二年前とお変わりのないような利用者さん・入居者さんでも、変化の幅は人それぞれではあったとしても、確実に歳を重ね、病は進行してきています。

認知症という状態になって「なんにもわからなくなっている」わけではなく、逆に「わからなくなっている自分がわかる」ことの不安や恐ろしさに向き合っている利用者さんや入居者さんの生々しい言動・表現に触れるたびに、お一人お一人が輝ける瞬間を大切にしなくてはならない、そういう時間を作れるように努めていかなければならない、と感じています。

利用者さんや入居者さんの人生に彩りを添えられるように、新たに生活することになった滝子の町で地域の皆さん方と末永く共に暮らさせていただけるように、関係者の皆様からのお言葉をしっかりと受け止め、真面目に仕事に邁進させていただく所存です。

新年度も引き続き皆様からのご指導ご鞭撻のほどいただきますよう、重ねてお願い申し上げます。

   敬具

 

㈱波の女 代表取締役 加藤 千恵

 

 

2014年04月05日 Category:スタッフ日誌