不穏

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不穏?な空気が漂うリーダー舟橋

 

「不穏」

おだやかでないこと。

状況不安定危機危険をはらんでいること。

また、そのさま。

「―な空気が漂う」「政情―」

 

先日のフロア会議のであがった議題

「○○さんの不穏時の対応について」

 

人に対して「不穏」という言葉が適切なのでしょうか?

そもそも穏やかでない状態を作り出しているのは、環境要素である私たち介護職側の課題だと思うのです。

 

望んだ訳でなく要介護状態や認知症になられた方々に対し「不穏」とレッテルを貼るのはいかがなものでしょうか?

危険や危機をはらんでいるという表現を「人」に使うのはどうなのでしょうか?

 

言葉は意識を作り、意識は行動に現れます。

私たち介護業界は言葉を意識を「人」を中心に沿え、行動を社会に示していかなければならないと思うのです。

いかがでしょうか?

 

内々でリーダーに使うのはいいと思いますが(笑)

*演出のために撮影を行いました。

 

今日はグループホーム1,2階の一部の入居者さんの希望により、高速を走り、岐阜のお千代保稲荷へお参り&名物の串カツ食べと漬物購入に行ってきました。

 

NHKにも紹介された、串カツ屋はトイレの中まで金なのです(笑)

 

皆さん大喜びの午後でした。

「介護業界に福来たれ」By招き猫

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

 

 

 

 

2014年05月09日 Category:スタッフ日誌

感情労働

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介護は肉体労働の側面もありますが、感情労働でもあります。

 

和田行男著 大逆転の~ の中のどこかにこんなフレーズがあります。

 

「目には目を、歯には歯を

 涙には笑いを、怒りにも笑いを

 愛嬌には爆笑を

 無表情には無表情しか返ってこない」

 

自分自身の感情をコントロールできての専門職ではないでしょうか。

認知症という状態にある方が、その不安や混乱等のストレスにより、負の感情を表出する場面があります。

これは人の心模様としてはごく当然のものです。

私たちでも同じです。

 

それを受けて「目には目を、歯には歯を」という態度、表現を表出するのは素人と同じですよね。

その態度をとる度に、その方にその日の施設利用料を返金したいものです。

 

負の感情を受け止め、切り替えることの大切さやアプローチを知っていること。

またはそうあるべく努力するのが専門職のとる道ではないでしょうか。

そのような対応をさせて頂くことで目の前の方から給料を頂いているのです。

 

 「涙には笑いを、怒りにも笑いを

 愛嬌には爆笑を」

 

そんな風に感情をコントロールしたいものですね。

 

「無表情には無表情しか返ってこない」

これも事実。

 

「感情」を仕事の中でうまく使いこなせてこその専門職だと思いませんか?

目の前の方は自分の「映し鏡」です。

お年寄りの姿から自分の姿、姿勢を学んでいきましょう。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

愛嬌には爆笑ですね☆

 

~認知症関係番組のご案内~

“認知症800万人”時代
行方不明者1万人
~知られざる徘徊の実態~

初回放送

総合2014年5月11日(日)
午後9時00分~9時49分

2014年05月07日 Category:スタッフ日誌

篠島食いしん坊ツアー(追加記事)

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グループホーム1階 舟橋です。

 

ずいぶんと前に遡りますが、「篠島食いしん坊ツアー」での記事に

追加があります。(2月22日記事)

 

 

 ①今回頂いた景品は、実は僕が獲得したのではなく㈱波の女のサポーターの方が獲得しました。

それを波の女職員である僕に譲って下さいました。

先日の記事では、僕が獲得したかのように書いてしまいました。誤解です。

 

②シフト上、夜勤明けでしか行けなかったことです。

 

各景品の出費ですが、僕は勘違いをしていました。

てっきり会社のお金からでているとばかり思っていましたが、違っていました。

 

波の女 加藤社長!!!!!!!!!!!!!

ありがとうございました!!!!!!!!!!

 以上 追加記事でした。

誤解を招き申し訳ありませんでした<m(__)m>

 

滝子通一丁目福祉施設 1Fリーダー 舟橋 琢磨

 

2014年05月05日 Category:スタッフ日誌

工程を大切に

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「何でもいいわ」

10人くらいの入居者・利用者さんと共にメニューを決めるアプローチは、なかなか難しいです。

 

入居者・利用者さんは記憶・判断・見当をつける力が衰えている方が多く、メージを持ちにくいので、「なんでもいいわ」となったりしがちです。

そうなるといかに情報を提供できるか、想像できるようにもっていくか、そそることができるかが大切で、スタッフは工夫してあの手この手で引き出しています。

途中の工程を大切にしたいところです。

 

実際、やっと出た意見や、発言権のある方から出たメニューで決定してしまう事が多く、「皆同じ方が楽でいいわ」となり、「てんぷらは店で出来合いを買ってこればいいよ」「肉は店で切ってもらえばいいよ」等、手抜き案まで出たりする時もあります。

 

確かにその方が楽だし、自分もそうだしと思ってしまう時はありますが、そこは仕事をする場面です。

統一メニューや出来合いのものは、途中の工程が少なくなってしまい、結果作る方が少数で偏ってしまいます。

結果、できる能力を持っていても調理の場面に参加できない方がしている方から「何もやらないのに・・」と言われてしまうのがオチです。

 

ですから、とりあえず全体のメニューが決まった後で微調整、大幅調整をこそっと進めたりします。

手間のかかるものに変更したり、出来合いを基から作ることにしたり、個別メニューを進めバラバラメニューにしたり等。

メニューの変更は大丈夫です。

「そうだったかね?」で終わることが多いですから。

認知症の特性や個別の性格を理解していればこその持ってきかたですね。

 

あと、調理・片付けに限らず全般的にそうですが、無理にしてもらうのはよくないですよね。

 

「やろう」「やりたい」と思って頂けるような仕掛けや持ってき方に力を注ぐべきで、やっている姿を目指して「やらせる」にならないようにすることが支援する上で大切なアプローチだと思います。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 「力強いですね~」スタッフ

「いえいえ、このくらいは」ご本人

「米がつぶれてしまうわ」他入居者

「・・・・」スタッフ

 

 

2014年05月03日 Category:スタッフ日誌

「はよ死にたいわ」

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本日、ある入居者さんが横になった時に話されたお言葉。

 

その言葉の裏側には「こんな暮らしなら・・」という現状があるのだと想像できます。

そのように捉えることが大切なのだと思います。

内因も少しはあると思いますが、大きく影響を与えているのは私たちの仕事ぶりなのだと思います。

 

この言葉はいつでもどこでも時々聞く言葉であると思いますが、支援に当たる私たちは真摯に受け止めなければならない大切なメッセージです。

 

基本的な介護はある程度提供できていると思います。

いや、もしかしたら基本的介護のアプローチが雑なのかもしれません。

それ以外の何かがあるのかも知れません。

生きる意味? 目的? 体感? 役割? 人間関係? 信頼感? 思い? 私たちの姿勢?

 

 

とても重く響く言葉ですね。

 

最後のステージで残りの人生を託された、私たちへの大切なメッセージです。

ここに挑まずして何が専門職でしょうか。

 

「力不足でごめんね。でも一生懸命良くなるように頑張らせ頂きます・・」

今はこう話すしかありませんでしたが、明日に繋げるために尽力したいと思います。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

2014年05月01日 Category:スタッフ日誌

仕事の夢とは何なのでしょう?

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<介護職> 低い賃金で疲弊 相次ぐ離職「仕事夢ない」

長らく介護は主婦による家事労働とみなされてきた。

職業としての確立が遅れ、低賃金から抜け出せない。

介護労働安定センターによると、介護職の離職率は17.0%で、全産業平均を上回る。

 

「家族を養えないからな」

首都圏の介護施設に勤める30代の男性介護福祉士は、結婚を機にそう言って「寿退社」していく仲間を大勢見送ってきた。

 「仕事に夢を見られない。このままなら、なり手はどんどんいなくなる」

毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊より一部抜粋

 

自分は、本日のインターネットのサイトで上記の記事を目にしました。

仕事(介護)の夢とは何なのでしょう?

記事からは、賃金が低い=生活ができない(家庭を支えにくい)=夢が持てない。

 

背景にいろいろな要素が含まれているとはいえ、端的に上記ようなシンプルなメッセジととれるような気がします。

でもこのような表現で、今の流れを変えることができるのでしょうか?

 

「賃金が安い」と愚痴や不満を言いたくなる気持ちも分かります。

この国で暮らしていくには「お金」が必要ですから。

現実、他業種と比べても見劣りしますしね。

切実な問題です。

 

でもそれはずっと言われていましたし、言い続けてもきたと思うのです。

その成果や効果があって、処遇改善の流れが起こり、少しは交付金や加算として賃金UPにこぎつけています。

それでもまだまだ低い現状にあります。

 

ではどうすれば更に賃金UPできるのか・・

賃金UPには、施設に入る報酬が増えなければなりません、

その基になるのは、主に「税金」「保険料」「自己負担」です。

 

つまり、介護業界にお金を回す(増やす)には「国民」「利用者本人や家族」の総意が必要だということです。

「賃金が低い」という前に、目の前の方から、国民からお金をもらうだけの仕事の出来栄えがあるのかないのか、自問自答する必要があるのだと思います。

そこで、いい仕事ができていれば「賃金が安い」「見合うだけの対価が頂きたい」と声に出していけばいいと思います。

賃金とは自分が仕事をした対価なのですから。

 

そのような視点でいけば、国民(地域)・ご本人・ご家族に対し、納得して頂ける仕事をする事が先だと思うのです。

 

その仕事とは・・・

認知症に対応できているのか。

身体ケア・体調管理が適切にできているのか。

認知症になっても要介護になっても、介護職がくっつくことにより「人として生きる姿」が取り戻せているのか。

その姿を取り戻す・引き出すために尽力しているのか。

地域に対し、そんな仕事ぶりを見て頂き、安心感をもたらせているのか。

「やっぱりプロは違うね」と言われているのか。

専門職として挑み続ける姿勢があるのか。

 

諦めずにがんばっていきましょう。

道のりは長いですが、今この瞬間も、私達の支援を必要とされている方々がいるのですから。

 

 

目の前の方々の姿を変え、社会からの見られ方を変え、国民の意識を変え、豊かな業界にしていきたいものですね。

全国の仲間達の皆さん。

もうひと踏ん張りしましょうか。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

 

2014年04月27日 Category:スタッフ日誌

私達の仕事

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本日、介護経験が7年程ある方が実習にみえ、1日が終わった時にこう言われた。

「頭を切り替えるのが大変です」「衝撃的でした」

 

食事のメニューを考える。

必要な食材を獲得しに街へ出かける。(基本毎日、午前・午後の2回)

食材の選択、選別を行う。

財布を持ち支払いをする。

サポートしてくれる商店の方々。

近隣の方々と普通に挨拶を交わす。

帰ってきて調理する。

食後の食器の片づけ、食器棚へしまう。

合間をみて掃除に洗濯。

 

これを職員主導でなく、利用者・入居者主導で行う。

職員のお手伝いで「食材を洗ったり切ったり炒めたり煮たり味付けしたり盛り付けたり」ではありません。

職員のお手伝いで「洗濯物やタオルを干したりたたむ」ではありません。

職員のお手伝いで「掃除をする」ではありません。

 

要介護状態になったとしても、自分が生きていく上で必要な事を、自分の力を使ってやるということです。

しかし体や脳の障害により昔のようにできるわけではありません。

ですから職員が「補う」「段取り」「先回り」「仕掛ける」「引き出す」という仕事が必要になるということなんです。

その先に、たくましく生きる入居者、利用者の姿があるのだと思うのです。

 

たくましく・・・笑顔ばかりでも、ゆったりでも、穏やかでもない「その人らしら」

「その人らしさ」とは、「自分の力を使って自分の人生を生きる」という実感、体感の先ににじみ出てくるものではないでしょうか。そしてその姿は時間や状態とともに、変化、進化、深化していくものだと思うのです。

 

人は「生かされる」ものではなく、「自分の力を使って生きる」ものではないでしょうか。

 

まだまだこの業界では「できない」「危ない」という視点が根本にあり、「させて頂く」という保護の対象と捉えていることが多いのかも知れませんね。

残りの人生を短くするお手伝い役にならないよう、「有する能力に応じる」「自立した日常生活を営む」を念頭に、挑み続けていかなければと思います。

 

経験者から頂く冒頭のようなお言葉は、波の女のスタッフにとって、日頃の仕事への評価と捉えてもいいのかも知れませんね。

もっともっと「生活支援」を追及し磨いていきたいと思います。

「出前いつくるんだろうね~」「到着予定を30分以上過ぎてるわよ」

とスタッフと入居者さん。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

2014年04月25日 Category:スタッフ日誌

ハイパーシャワー浴?

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様々な理由で、シャワー浴(浴槽に入らずシャワーのみ)にさせて頂くことがあります。

清潔の保持等の目的は果たせるものの、温まりにくいシャワー浴。

 

本日、やむなくシャワー浴にさせて頂いた方がみえました。

とても寒がりなこの方。

なんとかならないものか・・・

 

ということでシャワーチェア(入浴用の介助椅子)に座った状態で、足浴用のバケツいっぱいお湯を張り足を入れて頂く。

背中には暖めた濡れタオルをかける。

自分の左手にはシャワーノズルを持ち、入居者の体前面にお湯をかけさせて頂く。

右手は浴槽に張ったお湯を桶ですくい肩からかけ続ける。

個人浴槽のお湯がなくなるまでずっと。笑

 

さすがに右手がだるくなり、途中で手を止める事もありましたが、全部使い切りました。

バシャバシャと音の面ではゆったり感はないとは思いますが・・

感想を伺うと・・・「温まりましたよ」

よかったよかった。

 

必ずしもこれがいいという訳ではありません。

しかし、あの手この手で「何とかならないか?」「何とかしたい」を実現させるための知恵と努力を積み上げ続ける。

そんな姿勢が私達に必要なのだと思います。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

 

 

2014年04月23日 Category:スタッフ日誌

環境を本人視点で

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洋式トイレの中に、和式トイレが設置されました。

役員の和田のハンドメイドで、作られたものです。

(便器本体は既製品を購入しています)

HP「けあサポ」の専門職応援ブログ「和田行男の婆さんとともに」でも紹介されています。

 

認知症の進行と共に、トイレの認識ができたり、できなくなったりされる方がみえます。

脳が壊れることにより、見えていても分からなかったり、使い方が分からなかったり・・

排泄したくなると落ち着きがなくなり、トイレに行ってもトイレと認識できないと、トイレを探し外へ行かれてしまう事があります。

 

その方の排泄の状況を見ていると、しゃがんでされる場面が多々ありました。

座ってする洋式タイプは、後からの記憶や判断と習慣によるものでありますが、もともとはしゃがんでしていたことと想像できます。

 

「施設の環境に合わせて頂く」のは、脳や体が正常であれば容易です。

その環境を見極めて、使いこなしていく判断は「脳」が行っています。

その脳が壊れれば、新しく獲得した記憶や判断することが難しくなることもあります。

であれば、「本人の脳に合わせていく」のが私達の仕事になります。

そのために、本人側の視点で分かりやすい環境を作り出していくということになります。

 

今回の和式トイレの導入も、そのような本人視点で考た結果です。

脳が壊れることにより、正しく理解できなくなり環境不適応状態が増えてきます。

その時に、人も物も本人の状態に合わせ変化させていくこ視点とセンスを大切にしたいものですね。

 

少しづつ使いこなしているものの、この便器を横目に洋式でされていることもあります。(笑)

ある程度想定はしていますが、大切なのはそのセンスと取り組む姿勢ですからね。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

2014年04月20日 Category:スタッフ日誌

行方不明者(認知症を有する方の)1万人時代

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本日のNHKのニュース番組で取り上げられていました。

1年間で1万人近くの行方不明者が出ているとのこと。

平均で毎日「26人」近くの行方不明の認知症の方の捜索依頼が出ていることになります。

そのうち何回かは、当施設からの捜索依頼も含まれているだけに関心の高い内容でした。

 

その内の約5.8%の559人は死亡か行方不明のままだという。

平均で毎日「1.5人」くらいの方が戻らなくなったということになります。

 

今回のニュースの焦点としては、「ある日、突然」ということでした。

 

それも「周囲が気づかずに」ということで、長年連れ添っている夫婦間でも起こっているそうです。

朝、いつもの日課通りに散歩に出たらそのまま・・

無事発見され、慌てて受診したら「認知症」の診断がついたと一例の紹介がありました。

日々の、同じことの繰り返しの生活は、認知症という状態になっても継続されやすいのだと思うのです。

そこに落とし穴があるのかも知れません。

 

認知症といっても、「脳血管性」の認知症の場合、その障害が起きた周囲の部位の脳の役割に対して、変化が出やすいので気づきやすい可能性はあります。

 

しかし、進行が緩やかなアルツハイマー型認知症(一般的に)の場合は、いつも一緒にいる連れ合いでも変化には気づきにくいという事は十分にあり得る話です。

認知症に対する知識を有していないということも、気づきが遅れる原因のひとつであると思います。

 

全ての国民が認知症の知識を持ち、早期発見の大切さを知るための啓蒙活動や、早期受診や定期健診といった流れの確立と、認知症になっても「なんとかしてくれる」といった安心感を、地域に提供できるような活動ができる施設や専門職の存在が必要なのではないでしょうか。

 

「まさか自分が」「まさか連れ合いが」「まさか両親が」という他人事として認知症を捉えるのではなく、「誰でもなる」「自分もなる」「なり得る」という心構えを持つということを前提に、この社会のありようを考えていかなければならないのだと思うのです。

自分も、自分の周りの人も、お隣同士の方も、近所の方も認知症と出会い、関わっていく社会に突入しているということです。

 

そのために専門職として何ができるか。

何をすべきか。

 

真剣に考えて、行動していかなければなりませんね。

認知症1000万人時代の到来なのですから。

 

滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治

 

 

 

2014年04月16日 Category:スタッフ日誌