いざ、伊勢神宮へ! ①
先日、伊勢神宮参拝へ行ってきました。
発端は、ある入居者さんが希望されたことからでした。
娘さんもお誘いし、1,2階の入居者さん4名と、スタッフ2名の計7名。
往復約300km、約9時間のツアーとなりました。
楽しく終わったものの、いくつかトラブルも発生!
最初のパーキングでの事です。
トイレ休憩を終え、走り出した後のことです。
「カバンがない!」と申し出が。
どうやら、トイレの中に置き忘れたようです。
高速は後戻りできないのが辛いですね。
パーキングに電話をかけるもずっと話中で繋がらず。
次のインターで出て、下道でパーキングまで急ぎます。
大切な物が入っている肩掛けバッグです。
ご本人も、スタッフもそれはもう心配で心配で。
30分くらい過ぎているので、あるかないかは五分五分くらいと予想。
パーキングは一般道からも中に入れるので、外の駐車場に停め、トイレに戻りました。
急な企画だったので、女性スタッフを配置できず、結果トイレの中に入れないのが失敗。
出発前に持ち物確認を怠ったのも失敗。
自分はトイレの中によく置き忘れをした事があります。
なのに、認知症の方に対しそれを描けななっかったのは、仕事ができていない証拠。
夜勤明けとはいえ大失態です。
本当に申し訳ない。
という事で、結果はよくある「次回へ続く」。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「あらかわいい」「動かないわね」
置物ですので・・
入居者の「仕事」って・・
グループホームの暮らしの中で、入居者の主体性が出てくる事は素敵な事です。
率先して買い物に行く、食事を作る片付ける、掃除をする、洗濯をする・・
ところが2階のフロアでは、それが進み、「やらなくてはいけません」になっています。
動ける人と動いてもとんちんかんになる人との間で、日々にぎやかに言葉が行きかいます。
「仕事もしないで何やってるの!」
「し、仕事って・・・」
「給料出ませんけど」笑
自分の分だけを自分で作って食べるのでれば、「仕事」とはならないでしょう。
一部の動ける人が、動けない他者の分を作らなくてはいけないという構図の中で、仕事感が出てしまっているようです。
その仕事感が強くなると、やらない人、やれない人が困った扱いになって「仕事ができない人」になってしまいます。
共同生活の中で、できる人ができない人のために手助けし合う関係を目指したいものです。
強制共同生活となり、できる人ができない人に指示命令を与える関係が時折みえる現状をどう変えていくか・・
あの手この手の策はあると思います。
職員が仕事をしなくてはいけませんからね。
今後の取り組みを順次報告させて頂きたいと思います。
「そんなことは職員がやることで、こんなサービスをしとったら客が来なくなるよ!」
と言われていた最初の頃が懐かしくもあります。
主体性は行き過ぎると、元気な入居者による一方的な統治社会になり、とんちんかんな方が責められるおかしな構図になってしまうようです。
「有する能力に関係ない、入居者統治による自立生活」ではなく、「有する能力に応じ、自立した日常生活を営むことができるよう」に職員が仕事をする出番です。
そんな中でも活動が終わる就寝前になると、とんちんかんな方に対しても、やさしく労いの言葉が出るところはさすが大人、素敵だなと思います。
職員に対しても、「もう10時だで、先生が寝れないといかんで、皆部屋へ行きましょう」と気を使ってくれたりします。
いやいや、そこは気にしなくてもいいのですが・・・笑
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「かわす」ではなく「交わす」
「何とかUさんのとの約束を果たせそうで良かったです!」
「約束の地、伊勢へ!」
スタッフの熱いコメントが連絡網のラインに入りました。
三重出身のUさん。
日常の会話の中で「伊勢参りに行きたい。赤福をたべたい」
こんな話題が時々聞かれる方です。
ある時その話題になり、「行きましょうね」と約束を「交わした」のでしょう。
その場凌ぎの「かわし」言葉で終わることが多い認知症の方々との会話。
そんな中で、諦めずにその思いを叶えて差し上げたいという思いを感じました。
片道150km程。
高速で2時間程度。
神宮の中は長い砂利道。
この方は歩行できず、常時車椅子の方。
年齢は90をとうに過ぎている。
「行けるか・・・」
でもなんとかその思い、叶えて差し上げたい。
約束も「交わした」
可能な限り諦めずに挑む。
それが波の女スタイル。
そうであってほしいし、そうなっていきたい。
「利用者・入居者支援」はそれを可能にする「スタッフ支援」が大切。
目の前の方々のために、スタッフの支援に力を注ぐ。
スタッフの「思い」「想い」を叶える支援。
これは、先輩の仕事です。
きっと帰ってきて3分とたたず「行ってない」となるでしょう。
それでもその瞬間瞬間を大切にしたい。
そしてその過程を大切にしたい。
そして、その場をやり過ごす(避ける)時の「かわす」にしたくない。
「人」とやりとりをする「交わす」にしたかったのでしょう。
決行は今週中かな。
また、報告させて頂きたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
2日前の伊豆より大島を望む。
「いつか行きたいな」
願いは叶うし叶えるものですよね♪
なじみの風景・関係力
かつては毎朝モーニングに通われていた方がみえます。
施設に入り、2年間の時間の経過?支援不足?によりその姿は変わっています。
そしていつしか街に、その方の姿があまりみられなくなりました。
「分かりません・・分かりません」
その方は起きている間中、つぶやきます。
でも最近毎日通い始めています。
通う姿は、職員とともにになりましたし、車椅子に変わりましたが。
喫茶店に送り届けた後、職員はその場を後にします。
4,50分くらい後に、11時出勤の職員がお迎えに上がります。
その間は喫茶店の中の皆が見守っててくれています。
そこに行けばなじみの風景、時間、関係があります。
日にもより、時間にもより、その顔ぶれは変化していきます。
「○○さん 私だよ 分かる?」
「今日は立ち上がりがスムーズだね」
「元気で頑張るんだよ」
その成果か分かりませんが、気持ち、気力が上がっているようです。
夜中に「おなかがすいたんですけど・・」と、今日も話されました。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
どちらがストレス?
前前回に続き、会議の議題の一コマ。
「○○さんが批判されないようにするには」
他人同士が暮らすホームの中では、人間関係の調整が難しいものです。
主体性が上がってくると、より難易度は上がってきます。
それぞれの生活習慣、食習慣、性格傾向が異なる訳ですから当然といえば当然です。
そこに、身体の不具合や認知症が絡んでくるので、より調整力が必要になります。
誰でもストレスはたまるものです。
様々な事を抱え、家を離れ、他人と暮らす空間の中ではなおさらです。
そんな中で「とんちんかんな事をする方が責められる」という構図はどこにでもある事だと思います。
その時に、責められる方に対し「申し訳ない」という気持ちが職員には働くのが常です。
負のエネルギーを請け負うストレスもありますしね。
しかし、人は強いものです。 認知症であってもです。
以外とうまく受け流したり、反論したり、やり過ごしたり・・・
自分を守る力はずっと備わっているのだと感じます。
適度なストレス(考え動く機会)は逆に進行予防に必要かも知れません。
ストレスフリーで穏やかな日々が続くのも、進行の基になりますから。
そこは時間の経過とともに変化があるのかどうかを把握していきます。
ストレスによる変化が顕著であれば、手を打つ。
逆に言う側の方が、しっかりしてる分ストレスは溜まりやすく、ダメージを負いやすいのかも知れません。 体調にも影響がでますしね。
そして実は一番影響を受けやすいのは、スタッフだったりします。
感情が移ってしまうのが人の脳の力。 ミラーニューロンシステムの発動です。笑
仕事だと割り切っていても、仕事人になりきっていても、職員も人である以上、他者の感情に影響を受けます。
特に負の感情。 怒ったり、責めたり、批判だったり・・・
結構そこに引きづられたり、影響を受けてしまう場合があります。
どう介入するか悩み、手を打てず頭はフリーズ。
「あ~ また始まった」「なんとかならかいかなぁ~」「嫌だなぁ」
介入できない状態が続くと、半分あきらめモード。
それこそが一番の課題だと感じる今日この頃です。
介護は映し鏡です。
職員の心持、働きかけ加減が、目の前の方々へ影響していくものだと思います。
目の前の現象は、職員側の意識や動きが反映されている可能性があります。
一度、振り返ってみませんか。
批判されている方へのアプローチは当然ですが、批判する側へのアプローチを大切にする。
それができるのはスタッフです。
どこに力を注ぎ、自分の心持をどうするのか。
逆の視点、発想が時に突破口を開くかもしれません。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
なんか分かりにくい文章に表現でした。すみません。
そういえばこんな嬉しいニュースが飛び込んできましたね。
群馬県館林市で2007年に保護された認知症の女性(67)が、警察の行方不明者情報システムに誤った名前で登録され、身元不明状態のまま民間施設に入所していたことが、群馬県警などへの取材で分かった。
NHKが11日に放送した番組をきっかけに視聴者から情報が寄せられ、身元が判明。
12日に夫が施設を訪れ、7年ぶりに再会を果たした。
この日は結婚記念日だったという。
よかったよかった。
母の日 ワハハの日
好天に恵まれた名古屋。
「母の日」
買い物道中の家々の花も輝いていました。
夜ご飯は1,2階の希望者7名で20分程歩いて居酒屋へ。
と、お店の前まで行くと休みでした・・・
普通の暮らしではよくあることか・・・・
次を探しに群れは移動します。
するとやっている居酒屋発見。
車椅子移動の方も、頑張って階段をあがり無事到着。
日本酒にビール、飲めない方はジュースで乾杯!
「いつまでも現役 母の日 お疲れ様です☆」
美味しいお酒に楽しい会話。そして地域の方々との交流。
またいつでもいきましょうね♪
ん~ 居酒屋が似合いますね☆
日本酒にタバコ・・・
あとはバクチに女ですか!?
「そだな」「でもやっぱうまいわ~」
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
不穏
不穏?な空気が漂うリーダー舟橋
「不穏」
おだやかでないこと。
また、そのさま。
先日のフロア会議のであがった議題
「○○さんの不穏時の対応について」
人に対して「不穏」という言葉が適切なのでしょうか?
そもそも穏やかでない状態を作り出しているのは、環境要素である私たち介護職側の課題だと思うのです。
望んだ訳でなく要介護状態や認知症になられた方々に対し「不穏」とレッテルを貼るのはいかがなものでしょうか?
危険や危機をはらんでいるという表現を「人」に使うのはどうなのでしょうか?
言葉は意識を作り、意識は行動に現れます。
私たち介護業界は言葉を意識を「人」を中心に沿え、行動を社会に示していかなければならないと思うのです。
いかがでしょうか?
内々でリーダーに使うのはいいと思いますが(笑)
*演出のために撮影を行いました。
今日はグループホーム1,2階の一部の入居者さんの希望により、高速を走り、岐阜のお千代保稲荷へお参り&名物の串カツ食べと漬物購入に行ってきました。
NHKにも紹介された、串カツ屋はトイレの中まで金なのです(笑)
皆さん大喜びの午後でした。
「介護業界に福来たれ」By招き猫
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
感情労働
介護は肉体労働の側面もありますが、感情労働でもあります。
和田行男著 大逆転の~ の中のどこかにこんなフレーズがあります。
「目には目を、歯には歯を
涙には笑いを、怒りにも笑いを
愛嬌には爆笑を
無表情には無表情しか返ってこない」
自分自身の感情をコントロールできての専門職ではないでしょうか。
認知症という状態にある方が、その不安や混乱等のストレスにより、負の感情を表出する場面があります。
これは人の心模様としてはごく当然のものです。
私たちでも同じです。
それを受けて「目には目を、歯には歯を」という態度、表現を表出するのは素人と同じですよね。
その態度をとる度に、その方にその日の施設利用料を返金したいものです。
負の感情を受け止め、切り替えることの大切さやアプローチを知っていること。
またはそうあるべく努力するのが専門職のとる道ではないでしょうか。
そのような対応をさせて頂くことで目の前の方から給料を頂いているのです。
「涙には笑いを、怒りにも笑いを
愛嬌には爆笑を」
そんな風に感情をコントロールしたいものですね。
「無表情には無表情しか返ってこない」
これも事実。
「感情」を仕事の中でうまく使いこなせてこその専門職だと思いませんか?
目の前の方は自分の「映し鏡」です。
お年寄りの姿から自分の姿、姿勢を学んでいきましょう。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
愛嬌には爆笑ですね☆
~認知症関係番組のご案内~
“認知症800万人”時代
行方不明者1万人
~知られざる徘徊の実態~
2014年5月11日(日)
午後9時00分~9時49分
篠島食いしん坊ツアー(追加記事)
グループホーム1階 舟橋です。
ずいぶんと前に遡りますが、「篠島食いしん坊ツアー」での記事に
追加があります。(2月22日記事)
①今回頂いた景品は、実は僕が獲得したのではなく㈱波の女のサポーターの方が獲得しました。
それを波の女職員である僕に譲って下さいました。
先日の記事では、僕が獲得したかのように書いてしまいました。誤解です。
②シフト上、夜勤明けでしか行けなかったことです。
③各景品の出費ですが、僕は勘違いをしていました。
てっきり会社のお金からでているとばかり思っていましたが、違っていました。
波の女 加藤社長!!!!!!!!!!!!!
ありがとうございました!!!!!!!!!!
以上 追加記事でした。
誤解を招き申し訳ありませんでした<m(__)m>
滝子通一丁目福祉施設 1Fリーダー 舟橋 琢磨
工程を大切に
「何でもいいわ」
10人くらいの入居者・利用者さんと共にメニューを決めるアプローチは、なかなか難しいです。
入居者・利用者さんは記憶・判断・見当をつける力が衰えている方が多く、メージを持ちにくいので、「なんでもいいわ」となったりしがちです。
そうなるといかに情報を提供できるか、想像できるようにもっていくか、そそることができるかが大切で、スタッフは工夫してあの手この手で引き出しています。
途中の工程を大切にしたいところです。
実際、やっと出た意見や、発言権のある方から出たメニューで決定してしまう事が多く、「皆同じ方が楽でいいわ」となり、「てんぷらは店で出来合いを買ってこればいいよ」「肉は店で切ってもらえばいいよ」等、手抜き案まで出たりする時もあります。
確かにその方が楽だし、自分もそうだしと思ってしまう時はありますが、そこは仕事をする場面です。
統一メニューや出来合いのものは、途中の工程が少なくなってしまい、結果作る方が少数で偏ってしまいます。
結果、できる能力を持っていても調理の場面に参加できない方がしている方から「何もやらないのに・・」と言われてしまうのがオチです。
ですから、とりあえず全体のメニューが決まった後で微調整、大幅調整をこそっと進めたりします。
手間のかかるものに変更したり、出来合いを基から作ることにしたり、個別メニューを進めバラバラメニューにしたり等。
メニューの変更は大丈夫です。
「そうだったかね?」で終わることが多いですから。
認知症の特性や個別の性格を理解していればこその持ってきかたですね。
あと、調理・片付けに限らず全般的にそうですが、無理にしてもらうのはよくないですよね。
「やろう」「やりたい」と思って頂けるような仕掛けや持ってき方に力を注ぐべきで、やっている姿を目指して「やらせる」にならないようにすることが支援する上で大切なアプローチだと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「力強いですね~」スタッフ
「いえいえ、このくらいは」ご本人
「米がつぶれてしまうわ」他入居者
「・・・・」スタッフ