輝ける時間
昼間はウトウト
皆が寝始めた頃に目がキラキラ
快活におしゃべりをされるIさん
別の階にも同じような入居者さんがみえます
この業界では、このような状態を「昼夜逆転」とよく表現しています
私たちの仕事において、この現象はあまり良い状態ではないとよく言われます
しかし、本当に悪い事ばかりなのでしょうか?
夜遅い時間に、リビングで過ごす入居者はこう言いました
「昼間は人が多いけど、この時間は誰もおらんからな・・」
しばらく、活き活きと色々な話をされ続けていました。
誰もいない時間帯だからこそ、一対一で話ができますし、その結果、自分の存在を感じやすいのかもしれません。
これが自宅で家族があれば、昼夜逆転は生活に影響を及ぼします。
家族の疲労はたまっていくでしょう
しかし24時間体制で対応できるよう、施設に詰めているのが入居型介護施設ですのでそこはそこ。
昼夜逆転の改善のアプローも大切だとは思いますが、そんな一般論を吹き飛ばすほど、素敵な輝いている主人公としての姿を見ているような気がして、こちら側もとても嬉しくなったりします。
その方にとって、ただ起きているという状態はよくないと思いますが、そこに関わりが発生し、誰と何かをしている状態を作れば、「昼夜逆転だ!」なんて言われる筋合いはないように思います。
「昼夜逆転」
昼とは何時から何時のことでしょう?
夜とは何時から何時のことでしょう?
(気象庁の天気予報等では、18時頃から翌日の6時頃までを指す)
世間一般の夜遅くの時間帯のことですが、
夜勤をしている方が結構います
夜遊びをして朝方から寝る人もいます
ゲームや趣味にはまり、夜更かしする人もいます
なんだか寝れない夜もあります
時間帯で考えれば、ほとんどすべての人は21時、22時、それ以上に起きていると思います。
つまり皆、夜更かし人であるとも言えるのではないでしょうか。
これも昼夜気味なのだと思います。
僕らが、その日その時の事情や状態で夜遅くまでおきていて、昼間に寝ていたり、ウトウしていたりする事があると思いますが、それは「ふつうの暮らし」の一部なのだと思います。
僕らは、自分達の常識・価値観に捕らわれず、目の前の方にとってどうなのか?という事を中心に添えて考え感じていく事が大切なのだと思います。
昼夜逆転気味も、私たちの意識・関わり次第では、素敵な輝ける時間になるのだと思います。
その先で、生活のリズムを整えていきたいですね。
昼夜逆転だ!とレッテルを貼る前に、その方にとって素敵で有意義な夜の時間になるように関わる事を意識したいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
雁道二丁目福祉施設(仮)建築レポート3
~ 完成にどんどん近づくを通り越し、おかげさまで完成しちゃったよ 編 ~
平成28年7月22日 夕方 出来上がった雁道二丁目福祉施設(仮)でくつろぐ施設長。
思わず床に座って寛ぎたくなる空間です。
風の通りも良く、心地よいので思わず寝ころびたくなるような場所ですよ(デイにむけては勿論机、いすを入れます!)
途中経過の報告せぬまま、もう出来上がってしまいました。ざっと振り返りを・・・
4月
「ここ、総ヒノキの豪華な施設だって」と町の方の声を聴き、絶句する私。
一部はヒノキですけど、、、一部です。
垂れ幕の効果出過ぎ!
5月
現場で資材の仕様や、作りをこまめに打合せし、限られた予算の中でも最大限に良い環境を作るべくあれこれ思案。
↑
5月 どんどん形がハッキリしてきました
↑
6月末 リフト浴が設置され、キッチンも完成
7月 概ね完成した建物の最終確認
7月21日
建物がオーナーさんに引き渡されました
7月21日 床にワックスをかけます。
外構工事はこれからですが、ここに集う人、この地域の人の目に楽しい外観を目指して、こちらは現在も打合せ中。
普段から施設長とはよく話はしているのですが、この空間の力もあるのか、今日は久しぶりにゆったりと大事な仕事の相談をあれこれできた気がします。
「落ち着く雰囲気」があるのかな。
当初予定していた8月の開設は、職員さんの採用が進まず断念しています。
ホントに残念ですし、自分のチカラ不足が情けないのですが、秋には何とか体制を整えて、開設にこぎつけたいと考えています。
引き続き、職員さん募集中ですので、ご興味のある方はまずは施設長に連絡を下さいませ。
これまで、近隣にお住まいの方を始め多くの方のご理解とご協力により、事故もなく無事に建物の完成に至った事、改めて感謝申し上げます。
ありがとうございました。
株式会社波の女 代表取締役社長 加藤千恵
音
滝子の施設はTVをあまり活用していません。
グループホームには置いてもありません。
意図的にそうしているのです。
介護施設にTVがあると、TV番組を見ていたりTVの前にいる利用者・入居者の姿に安心感を覚えてしまう可能性がるのだと思います。
その結果、TVに任せてしまい、職員との関わりが減ってはいけないという意図で設置しないようにしています。
TV番組に変わり、職員が意識して語りかけ、関わりにいけたらいいですね。
その代わりに「ラジオ」や「音楽CD」を流す「ラジカセ」は各階設置して活用しています。
一日を通し、場面場面でラジオ番組や、色々な音楽を流していますが、ちょっと気になっています。
それはある意味TVと同じで「流しっぱなし」になっており、「意図的」に活用できているのか?という事です。
その時間、シーン、雰囲気、メンバーに合っているか?
音の大きさは、場面場面で適切な音量か?
「何でもいいから、静かすぎないように音を出していけばいいや」となっていないか?
音も環境の一部です。
ご本人にどんな影響が及んでいるのか?という事も時々考え・感じてみるといいのかもしれません。
なかには、音楽(歌)に引っ張られて、食事の手が止まってしまう方もいます。
CDの歌をリピートしっぱなしにすると、「頭がおかしくなってくるわ」と言われる方もみえます。
何も言われない方の中には、音が耳障りに感じてみえる方もいるかもしれません。
食器をガチャガチャ片づけたり、洗う音はどうなのか?
音楽や音が、人の脳に働きかける影響はとても大きいと聞いたことがあります。
場面場面で、意図をもった適切な音楽や音とボリュームを、介護の場面に組み込んでいけたらいいですね。
反面、一日中ラジオや音楽CDが流れっぱなしもどうかと感じています。
時々意図的に音や音楽を切って、「静」の雰囲気や脳への働きはどうかを感じ・考えてみるのも大切なのではないでしょうか。
今一度、自分のフロアや自宅の中での「音」「音楽」を意識してみて、どのような影響や気分に絡んでいるのか、気にしてみてはいかがでしょうか?
「音」は暮らしにとって、気分にとって、とても大切な要素であり、それを意図的に活用していくのも「生活支援」の醍醐味だと思います。
目を閉じて、利用者・入居者が感じている世界・暮らしの「音」を意識してみてはいかがでしょうか。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
外出
今月前半にグループホームの一部の方々が岐阜県のお千代保稲荷へ行きました。
(関連記事 7月7日ブログ)
この外出は、皆で共有している昼食費を使用しての食事をとっています。
行った人は「食堂で食べたいものを食べている」のですが、この日行かなかった人は通常通り食事を作って食べています。
もちろんバランスをとるために、残っている方々には出前等も検討しましたが、どうするか聞いたところ「あったものでいい」となったようです。
この外出の機会(行った人と行かなかった人に分かれた)、はこれで終了でいいか?
という事が、共同生活上の判断の難しいところですね。
この共有している食費を使っての外食の機会には続きが必要です。
皆が同じ所へ行き、同じ物を食べて」という、間違った平等観は必要ないと思いますが、
皆に「どこか行きたい所はあるか?食べたいものがあるか?」を聞いていないという事が課題です。
私たちの仕事の敵は「区別」「差別」という、こちらの都合による価値観や判断基準が伴うのが良くありません。
個人のお金を使っての個人的な外出、外食なら皆に同じ機会がなくてもいいかもしれません。
ですが今回は皆で使う共用の食費で外食しています。
行く行かないに関わらず、全員にその機会、情報提供がなされるのが共同生活上におけるアプローチなのではと考えています。
今回、全員に聞いていない主な理由は、運転手の数、車の乗車人数と、付き添えるスタッフの数などの制約があり、希望されても「全員では行けない」という状態が分かっていました。
ですのでそのような物理的な理由がある場合は、別の日に同じような機会を設ければいいと思うのです。
という事で、行けていない残りの3名の内、2名がお出かけ外食に行きました。
今回は、前回行けていなかった残り3名中2名の参加です。
ここでまた出た課題は、3名の方は外出時は皆「車椅子が必要」という事です。
当グループホームでは日中の職員数は2名なので、買い物にしても外出にしても付き添える職員は各階一人しかいません。
一人で3台の車椅子は押せません!
このような場合は違う階へお誘いをかけ、行く方が出れば、行く職員が増え、車椅子を押す人が増える事になります。
結果的には、違う階の方との合同外出になりました。
では、なぜ今回は3名中2名で、一人残っているのか?という事があると思います。
それは、当施設で使用している車(ワゴン車)には、「車椅子が2台しか積めない」という物理的環境があるからです。
残りの一人も近いうちにご本人に合う、希望される所へ行きたいと思います。
自助具が「杖」の段階では、車を使っての外出は「乗車定員」で動けます。
それが「シルバーカー」「車椅子」の方々が多い介護施設ですと、そうはいきません。
外出時に使用する「自助具」のスペースは結構必要となります。
色々な要素があり、簡単にはいかないのが、高齢者の外出です。
でもそう感じさせないように回りから見えているとすれば、それはいい仕事ができているという事でしょう。
外出には緻密な予測や段取りが必要になります。
全体では、時間や道路の行程、現地の情報、トイレ場所の確認、予算、バイタル測定機器、車の座席配置予定や積載物品、タイヤの状態や燃料の確認・・
個人では、小遣い・着替え・パット類や薬・保険証、飲み薬やその他個人に必要な物
そんな事を頭でしっかり描けるか、書面化するか。
さっと出かける事もあるのですが、実は積み重ねた経験や、緻密な予測い基づいて行動しています。
けっこう手間暇かかりますが、それでも必要や希望に応じて、非日常生活である機会を時々設けていきたいと思います。
皆さん、ほんとに活き活きしています。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
評判
【評判】
1 世間の人が批評して是非を判定すること。
2 世間でうわさをすること。
3 世間の関心の的になっていること。
昨日、区内の家族介護者教室に参加されていた家族から頂いた言葉があります。
「滝子の方にいい施設があるって聞いた事がある。おたくの施設のことね」
この方は区内といっても、近所の方ではありません。
どちらかというと結構離れている方でしょうか。
もう一人の方は近所の方で、
「おたくのお年寄りとかよく町の中で見かけますよ。大変なのに頑張ってますね」
「批評」に「噂」に「感心」など、滝子の施設の事は意外と区民に広まっているという実感を頂きました。
本当にありがたいことです。
と同時に、その期待に応えられる施設であり続けるために、勉強に努力をし続けなければといういいプレッシャーを感じています。
いい噂というのは意外と広まりにくいものです。
それを作るのは、日々の少しずつの積み重ねの結果なのだと思います。
それは毎日現場で悪戦苦闘して汗を流している、最前線の職員一人ひとりの頑張りにほかなりません。
一方悪い噂というものは、いい噂の何倍~20倍くらいという話があります。
実際は良くない、悪い所、うまくいっていない所もある訳ですので、皆で意識して改善していかねばと思います。
「見れれていること」「話しをされている事」を意識しながら、区民、市民、国民の思いや期待に応えられるように、ご本人や家族の力になれるように、職員とともに歩み続けていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
体感的納得
「それでは帰ります」
にっこりと笑顔で玄関に向かうMさん
その笑顔に負け、なんだかんだ言って引き留めるのをやめ、後ろからそっとついていくことにしました。
200メートルくらい歩いたところで足取りが遅くなり、きょろきょろとされ始めたので、声をかけました。
「こんなところで知った顔に会えてよかった!」
「迷子になって警察にでも行こうかと思ってたところ」
目的を持ってホームをでたものの、家への帰り道が分からず不安になられたようです。
来た道を戻り施設が見えてくると、
「やっと帰ってこれた。よかった」
意味も分からずグループホームへ来たものの、少しは住んでいる感を持っていらるようです。
何回も外出するからこそ、外から見てそこが今暮らしている場所と認識できるのでしょう。
引き留めるばかりが仕事ではありません。
説得しようとあれこれ話しても、頭でなかなか納得できないのが認知症という状態です。
ご本人の行動を支持し、応援していく事も大切にすべきだと思うのです。
帰ってきてしばらくの間は、いきいきと話しをされていました。
「今そう言われても・・困ったなぁ・・」
そんな時こそ「体感的納得」の得られる応援をする方が後々いいのではないでしょうか。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「方向が分からない」と言いつつも、自宅の方に向かっていました。笑
なんだかんだきっと、色々な人の力を借りて自宅(別の区)まで帰れる能力をお持ちなのかもしれませんね。
大切にするひと手間
休憩に入ったスタッフが何かを・・・
財布の綻びを縫い直して修繕していました。
『買物に行った時に小銭が落ちて大変だったのよ!』と苦笑い。
あっと言う間に修繕完了!
何か不具合がでると、何とかまた使えるようにならないか思案し、試行錯誤される、とてもステキ。
心の豊かな職員さんだなぁ~と うっとり します。
今、ここにある物が、5年後、10年後の利用者、入居者、職員が使い続けることができますように、、、と考えながら掃除をします。
そういう風に思うようになったきっかけを思いだしました。
利用者さんが自宅の台所をスポンジ、布巾、熱湯を使ってサビが落ちるように磨きはじめました。
『ねぇ、〇〇ちゃん(遠方に住むお嫁さんの名前)、こうやって手入れしておくの。ここに住んでくれるかな~?』と仰っていました。
お嫁さんが、いつか我が家で暮らす事を描きながら、楽しみに想われていることが伝わってきました。
掃除=汚れたからするもの とばかり考えていた私ですが
もっというと、掃除しなくても死にはしない!と軽視していました。
でも
掃除=未来に向けて、未来も使うことができるように
ということも含むということ。
買い換えた方が安い という考え方もありますが
可能な限り、今目の前にある物を大切にして、掃除をしたり修繕したりして、少しでも長いお付き合いをしていった方が良い。
物だけでなく、色んなことに通ずるのでしょうね。
なんて、ズボラな私が・・・汗 ガハハ(笑)
人生の先輩の背中をみて
できることからコツコツと!!
滝子通一丁目福祉施設 副施設長 佐藤 恵美子
介護殺人
少し前、NHKスペシャルで放映された「介護殺人」
TV以外にも、記事等でも紹介されていました。
殺人、殺人未遂以外にも、そう思った方もとても多いです。
どんな理由があったにしても法律的にも、倫理的にも正当化されることも、許されることもありません。
しかし、当事者でないと分からない、葛藤、苦しみ、迷い、追い込まれ感、そして家族への「愛」があるのは間違いありません。
その立場になってしまえば、誰だってなりえるはずです。
事件までの介護期間は1年未満の割合が最も多く、
3年未満が半数を超えています。
孤立している、対応が難しく追いつめられる方も多いのですが、
サービス(通所や訪問等)を利用していても、追いつめられている現状があります。
利用時間以外や、夜の時間帯の介護で疲れてしまいます。
預けるといっても、特養になかなか入れない現状もあります。
昨日、専門職の集まりの事例検討会があったのですが、こんな家族の思いが出ていました。
「私の事を頼むね・・」
そう言われた娘さんは自宅に引き取り、夜は1時間おきのトイレ誘導を懸命にしているとの事。
その先が心配です。
相次ぐ介護殺人、殺人未遂、いや、そのずっと前に抱く「殺したい」と思う事に対し、専門職として何ができるでしょうか?
何をすべきでしょうか?
通所や訪問などの、短時間~数時間のサービス利用の方には、24時間、週単位での生活の様子や負担を把握する視点が必要です。
ケアマネや、サービス事業所間で情報を共有し、他の専門職や地域の方々や、いろいろな資源を活用できるようにもっていきたいところです。
現状は、まじめな家族程なかなかそこにたどり着きにくいようですが。
まじめな家族さんほど、ほどよい手抜き介護がおススメです。
「上手な介護の12ケ条(杉山 考博先生)」より一部抜粋です。↓↓
こんな感覚が大切だと思います。
興味ある方は調べてみてください。
あと、家族との間に入っているケアマネさんが頑張って調整しているケースはよくありますが、事業所のセンスや努力がもっと必要なのではないでしょうか?
在宅の事業所は、関わっている間だけの事でなく、「関わっていない時」の本人、家族はどんな状況になっているのかを意識し、情報共有する必要があるのだと思うのです。
そして、専門職としての関わり方のコツみたいなものを伝えたり、時には事業所の中で介護の様子、関わりを見て頂き、自宅での家族の介護力向上に力を注げたら、救われる家族も増えるのかもしれません。
今こそ、こんな時代だからこそ、不本意ながら要介護状態になってしまった本人と、家族のために立ち上がる専門職や事業所が増える事を切に望みます。
波の女も、その職員も、そこを意識していきたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
交わり
認知症という状態にあっても、社会との繋がりを応援している・いきたい「波の女」
社会との繋がりは物的な環境との繋がりだけを指すのではなく、「人との交わり」も含まれます。
その場面は、外出する度、様々な場面であちらこちらで見かけます。
店の中や、その道中で。
すれ違う地域の方々
通り過ぎる車の運転手
道中の家の方々
店の中の店員さん
店を利用する買い物客
認知症という状態の方が、社会の中で生きる事を応援すると、いろいろな場面でそう感じます。
障害を持っていない自分達よりも、多くの人と交わっているのではないでしょうか?
一生懸命生きる
生きる事にピュアになる
本能に従いまっすぐ生きる
認知症という状態にある方々は、苦しみながらも、とてもたくましく生きていく方々なのだと思います。
エネルギーをたくさん持たれているので、捉え方、関わり方を間違えると、その交わりは大変にもなります。
その逆に、正しく理解し、応援する側になると、学ぶ事が多くでてきます。
今後も「社会の中で生きる」を応援する先で、その生きざまを見せて頂きながら、自分がその方々のためにどう関わるか考え・感じ続けていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
自助グループ
グループホーム内、21時の会合です。
少し前までは、ある入居者に対する愚痴大会だったので、職員も間に入り調整したり共感したりしていました。
少しすると、たまたま話の対象となっている本人がリビングに出て来られました。
どうその場を取り仕切ろうか考えましたが、先ほどの話し合いの中でだいぶ吐き出せていたと感じていたので、自分は抜け、当事者同士だけの空間にさせて頂きました。
すると・・・
今度はそこにいない方の話に変わり皆で盛り上がっていました。笑
皆さん、大人だなぁと感心感心。
時々、本人がいてもお構いなしに本人に関する愚痴みたいな事を言われる時もあります。
でも、いつもという訳ではないようですね。
時には喧嘩したり、涙したり、すねたり・・でも次の瞬間には皆で笑っていたり。
人としての様々な感情の表出の自由さと、他社との人間関係調整力。
皆認知症という状態にあって、大変な不安を抱えていられる中においても、
それを吹き飛ばしているかのようなたくましさ。
人間はすごいなぁと感心したり、学んだりさせられています。
そんな姿を見ていると、共同生活の中で、「自助グループ」としての機能・関係もできていくこともあるんだと感心させられます。
同じような境遇にいる人たちが、自発的に集まったのが自助グループです。
「自分と同じ経験をした人でないと、自分の気持ちはわからない」ということが前提としてあるようです。
社会の中には、アルコールや薬物、ギャンブル依存やガン患者など、様々な悩みを持った人たちがつくった自助グループがありますよね。
大正や昭和前期に生まれ、戦争を乗り越え、歳を重ね、要介護状態になり、家を出て・・
同じ体験をした人同士の中で、共感や安心感の中から、癒されたり、安心したりということがあります。
ですので時には意図的に「職員ぬき」という状態を作りだすのもいいのだと思います。
もちろん、事務所や戸の影で耳をそばだてているのですが。
認知症の方々の人間関係調整は結構大変で、ストレスになる事も結構あります。
しかし、マイナスにとるばかりでなく、プラスの部分を見つけられる自分作りをする事も、介護職には必要なのだと思います。
認知症という状態になっても、人としての可能性を引き出せたり、信じてみたり、任せてみたり・・
たくましく生きる利用者・入居者から学び、共に歩んでいきたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治