夢
昨日の事です。
クラブ滝子の利用者Tさんが、
「ロト6を買いにいかんといかんなぁ~」
と午前中にボソリ・・
久しぶり~に、くじの話を本人から聞きました☆
そして昼食後、ササ~っと?、ビューっと!? 玄関から出て行かれました。
さて、久しぶりのTさんの単独外出。
どうしようか・・
以前は施設から150m程の交差点あたりで、迷っていた時もありますが、
本日の目的はしっかりしています。
そして午前中には食材を購入しに、くじ売り場の近くまで行かれていました。
気温が高いのが気がかりでしたが、歩行の安定感もOKという事で、後を追う事にしました。
本日は、ちょうど大学3年のインターンシップで来られているSさんも一緒です☆
結果、迷いの一つもなく、一直線でくじ売り場へ。
購入後、15分程店内ベンチに腰掛け、くじの確認に超集中~
学生のSさんと、「僕らストーカーみたいで怪しいでしょ(笑)」
などと話をしながら見守りを続けます。
その後、一直線でクラブ滝子へ戻り始めました。
いや~久しぶりの「ストーカー・ケア」
きっと、「社会の中で生きる姿」を学生さんに見てもらいたかったのかもですね。
利用者さんが「意思を行動に移す」場面で、
止めるでもなく
閉じ込めるでもなく
付き添うでもなく
誘導するでもなく
「自分の意思を行動に移し、自分だけの力で目的を達成した」
といった感覚を持って頂くような支援も大切な僕らの仕事なんだと思います。
自立した日常生活の一場面だったと思うのですが、とても素敵な機会・時間だったのではないでしょうか。
これからも応援し続けていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
帰ってきた際に
「何か買ってきたのですか?」
と聞いたところ、
「夢を買ってきた!」
との事。
素敵ですね☆
(次のブログUPは10日の予定です~)
「人生活」
人は誰もが「生きています」
その「生きる」に加える事が必要なのは、
・「人」として
・「活気」「活動」「活力」をもって
なんだと思ってたりします。。。
人として生きるから「人生」
生きるに加え、気持ちも体も動かしていく事で「生活」
人として関わってもらえないなら・・
人として尊重されないなら・・
人として大切にされないなら・・
そんなの人生じゃない。生きているだけ。。
自分の意思で、
自分の体で、
色々な事を体感できないなら、
何もかも職員がやってしまうなら、
生かされるだけなら、
そんなの生活じゃない。生きているだけ。。
僕らは「生きる」を支え、
「人」を尊重し、
「活」を引き出す仕事。
その奥深さは、ほかの仕事にない醍醐味があります。
とても意味のある仕事なんだと思います。
「あぁ 自分はまだできるんだ」
「誰かとつながっているんだ」
「社会とつながっているんだ」
そんな事を感じながら、人生活の最期のステージを送っていきたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
利用者さんのお宅から見える景色がいいんだなぁ~☆
次のブログUPは、7日の予定です。
台風来るかな?? ご注意を。
学び
今月の勉強会の様子です~
科目は「介護保険法の理解」
今月の講師は、副施設長の和田です。
運営の基本方針は「法と法の精神を遵守する」という事にしています。
という事は「介護保険法」の理解がとても大切な要素となります。
法律の文面は結構小難しいですが、それをかみ砕き、実践にリンク・落とし込めるようにしたいものです。
「学び」は私達の武器の一つです。
色々な事を感じ考え仕事をする上で、方向性や知識があるなしでは、その先の道筋が変わっていくのではないでしょうか。
学び続け、考え続けていく組織でありたいと思います~☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
利用者・入居者の写真はたくさんありますが、職員の集合写真を撮る習慣がない「波の女」
勉強会の後にちょっと撮影してみました☆
共に進もうぜ!
やっぱり自宅よね~☆
小規模多機能で連泊中の夫と、
グループホームに入居されている妻が、
一時自宅帰宅をされ、娘夫婦と共に昼食を食べたり過ごされました☆
車で40分くらいかかりましたが、無事自宅へ到着~
住み慣れた自宅。
奥さんはとても喜ばれていました♪
時々「帰ります!」と言われていましたので(汗
ご主人、本日の朝食、調子悪くほとんど食べれなかったのですが、
ご自宅に用意されたお寿司とか果物(桃1個半!)をペロリと完食。
環境って大切ですね☆
それにしても、奥様は短期記憶障害や判断力の低下はあるものの、
ふつうのおかあさん?おばあちゃん?にしか見えなかったです。
(洗い物中~)
3時間ちょいの自宅滞在でしたが、改めて利用者・入居者さんは、
地域で暮らしてきたふつうの生活者なんだなぁ~と感じましたし、
そこの継続性や活用って大切だなと思いました。
(正直なかなか自宅に戻る機会が少ないのですが・・)
まぁ、素敵な夫婦像、生活者の一面を垣間見れて良かったです☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
ちなみに奥様、家を出る時は少し寂しそうでしたが、
滝子の施設が見えるとなんの違和感もなく、
「着いた着いた ありがとう~」
とサッさとグループホームに戻りました。
なんだかんだ言っても、こちらでもすっかり住民ですね☆
*次のブログUPは30か31日の予定です。よろしくお願い致します。
生涯現役☆
夏~ですね☆
夏といえば、これ
もっと好きなのは、これ(笑)
そしたら、こんな方々を見かけ、飲み物買ったついでに声かけてみました♪
久しぶりのナンパか?? 笑
「おばちゃん元気いいですね☆ 失礼ですがおいくつですか?」
「80だよ!」
「頑張ってますねぇ。応援します!!」
「ありがとう。生涯現役で頑張るわ!!!」
(入れてくれたコーラは勢いよく注ぎすぎで、炭酸ぬけマズかったですが、そんなのどうでもよかったです)
すごい&素敵☆
誰もがという訳ではありませんが、有する能力・気力があるのであれば、
年齢に関係なく、力を発揮する何かをやる続ける事ってこれからの日本にとってもとても大切な事。
素敵なお二人にエネルギーをもらえました。
いいもの見せてもらえて嬉しかったです☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
次のUP予定は28日の予定です☆
原点回帰
スイカのカットがパッケージされて販売されていました☆
時代はどんどん進んでいるのですね。
(ちなみに値下げ品大好きです♪)
今の時代、何をとっても、新しい、進化、発展、次のステップ、さらに上、その先、よりよく・・・
どこまで時代・文化・人類は進歩していくのでしょうか。。。
人が文化的で豊かに暮らすために、生き残るために、皆凌ぎを削っている中で、
介護の業界はどこに向かっているのか、時々分かりにくくなってたりします。
元気なうち、お金があるうち、若いうちはいいのかもしれませんが、
不本意に、病に侵されてしまったらあきらめるしかない。。。
プロ、専門職にお任せしても、豊かな暮らしとはいいにくい現状があります。
介護も進化する部分が必要ですが、きちっと「人」「人生」「命」「生活」「生きる」といったシンプルでもあり、
もっとも重要な土台を、より追求し、大切にしていかねばと思いますし、そこにこの文明の進化とリンクさせねば、
なんのための発展・進化か!?と考えてしまったりしています。
個々が、自分だけが豊かであればいい。
そんなの違う。。。
目の前の苦しんでいる方々が、少しでも豊かになってもらえたら。。
人は自分が幸せになるために生きる生き物ではなく、
誰かのために生き、その目の前の方から幸せを感じる生き物なのではないでしょうか。
それを仕事としてできる「介護」って、もっともっと素敵で輝く業界であってほしいと切に願います。
今一度、原点を見つめなおしていきたい—
そんな時には、このメッセージはどうでしょう。
和田行男・作
私はすべてを失ったわけではありません
どんなことでも まず問いかけてみてください
何でも まず私の意思を確認してみください
食べる 食べない 行く 行かない 暑い 暑くない?
どうしたのって 聞いてみてください
訳のわからないことを言うかもしれまあせんが 私は病気です
痴呆状態にあるのです 進行性の難病といってもいいでしょう
察してください ようく見てください
私はすべてを失ったわけではありません
まだまだ若いものに負けないこともたくさんあります あると思います
でも 若い頃と同じようにはできないでしょう
あせらせないで じっと見ていてください
見ていて 少しだけ手を貸してください
人間の機能や能力は使わないと使えなくなると 若い頃に聞きました
生きるためにたたかう力はまだまだ・・・・・
私はすべてを失ったわけではありません
外だって自由に出たがるでしょう 雲や星が好きです
外に自由に出られるようにしていてくれさえすれば 自分ででかけます
でもきっと目的地には着けないでしょう 戻れなくなるでしょう
そっとついてきてくれると嬉しいです
とまどったり 不安げになったら そっと傍に来て
どうしたのって声をかけてください
きっとあなたのことが天使様に見えるでしょう
私のことを笑ってくれていいですよ
きっとおかしなことを言ったり おかしな恰好をすることでしょう
でもお願いです 陰で笑ったり 自分一人だけで 仲間同士だけで笑わないで
私にも笑っている訳を教えてください
きっと私も笑いの仲間に入り いっしょにおかしむでしょう
だって おかしいことはおかしいと 私にもわかるから
私はすべてを失ったわけではありません
私のことを痴呆老人なんて呼ばないでください
私の名前は 和田サンです
私のことをわがままなんて言わないでください
私はあなたと同じ人間です
ただ 痴呆という難しい状態になっただけです
私の努力では 止められないんです
「人として生きる」を応援し続けていきたいですね☆
介護職は、上を見て、胸を張って仕事をしていきたいですね♪
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
補い
先日、子供がコンタクトを割ってしまいました。
これが何なのか分からない年齢なので、興味本位でさわってみたのでしょう。
「脳が発達していない子供に、必要以上に怒っても仕方ない」
「手の届くところに置いておいた自分の方が悪い」
と開き直ってみたものの、不便だし、お金(購入)や時間(受診・検査等)がかかり、
「とほほ・・」
今の視力は
右が0.04
左が0.07
視力の「補い」がなければ、なんともならない値。
寝ている時以外、常になんらか(眼鏡、コンタクト)の「補い」がないと生きていけない自分。
満たされている普段はなんの不便さも感じませんが、いざなくなると、不便で仕方ありません。
改めて、「補い」って大切だなぁ~と思ったところで、
和田行男の大逆転の痴呆ケアの一文が頭をよぎりました。
~一文を抜粋~
眼鏡は目を治すものではない。
視力を補い、支障をきたすことなく生活を営むことができるようにする道具である。
要介護状態になった人にとって、介護は障害を治すものではない。
介護という「日常生活自助具」を使うことによって「普通の生活」により近い状態を目指す。
継続的に視力を測りながらその人に合った眼鏡を用意し、できる限り日常生活を自分の力で営めるようにする。
それが専門的な支援ではないか。
そうですよね~♪
継続的に能力を測りながらその人にあった介護・支援を行い、できる限り日常生活を自分の力で営める・営めていると感じれるように応援していく。
そのために、自分達はいろいろな度数やいろいろな色の眼鏡役になり、利用者ご本人がスタッフという眼鏡役の補いを得て、ご本人の力を発揮し、生きていく。
そんな視点・仕事が僕らの仕事ですよね。
改めて、振り返りでした。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
コンタクトが無い間は眼鏡を使用しているのですが、
外出時や運転・動きのある場合の遠い所を見る用の眼鏡と
本を読んだりPCや携帯をいじる時の近い所を見る用の眼鏡が必要です。
これってつまり・・・
気付くと歳はどんどんとっていくものですね~ (笑)
次のブログUPは23日を予定しています~
よろしくお願い致します。
もれなく ついてくる 機会
先日 髷(まげ)姿のお兄さんが、スーパーで買い物をしている姿を見かけました。
TVの中ならスルーだけれど、日常の中で出会う機会はほとんどなく 思わずわたし、二度見、 しました。
ふと思い出したのは… ある日の外出支援です。
その日はバスに乗って、皆さんとご飯を食べに行きました。
往路・復路のどちらかで、ほとんどの方が一回はバスを利用されています。
バスを待ち、バスに揺られながら、入居者さんも職員もなんとなく ドキドキ・わくわく・ヒヤヒヤ まだまだ公共交通機関の利用が、日常的になっていない証拠かもしれませんが ちょっとした、非日常を応援する機会としては、面白かったかなと思います。
車椅子を使う入居者さんの中には、バス乗車に気が進まない方もおられます。
人の手を借りずに乗車はできない… それも、関わり慣れた職員だけでなく、運転手さんの手助けも必須 まわりから注目を浴びている感じがあることも、気が重たくなる理由のひとつみたいです。
この日、運転手さんは快く手助けをしてくれました。
席を譲って下さった乗客の方も、何人かみえました。
良くも悪くも人の注目を集めている感じが私にもあったので 車椅子の入居者さんにとっては、なおさらだろうなぁと想像します。
ちなみに私が、仕事以外の日常で、車椅子でバスに乗車する人の姿を見かけたのは、数年前に一度だけ。。。
髷姿より少ない!
たまたま私だけの低確率?! にしても、 バリアフリー化具合のわりには、やっぱり少ない気がします。
そりゃ~二度見もガン見も、特別なものを見る目があってもおかしくはないと思う。
もしかしたら、入居者さん自身も 車椅子で乗車する自分以外の人の姿を、見たことがないかもしれないです。
そうなると、人の目・負い目を感じるのも、それはそうだなって思います。
目に見えないバリアを無くすことって、 なかなか難しそう。。。
そんなことを考えると バスに乗って、ご飯を食べに行ったことって 入居者さん達にとっての「機会」であったことは勿論だけど 同時に、もれなく付いてくる 居合わせた人達にとっての「見かける機会」の提供でもあったんだろうなぁと思います。
数年に一度だった見かける機会が、二度目、三度目に変わるだけでも、だいぶ見方が変わる気がします。
病院や施設の中で、車椅子に乗る人がいても「当たり前」と思うように スーパーや喫茶店やバスや電車の中で、車椅子に乗る人がいても「当たり前」と思える要素のひとつに 「目にする機会」が挙がる気がします。
実は 外出の日の前日まで… バス辞めようかな 施設の車だけで行こうかな 歩いていける店にしようかな と迷ったけど (だって大変なんだもん) 周りの職員さん達のおかげで、大切な機会×2を失わせることにならず、よかったです。
少~し頑張ってでも、普通に生活することを積み重ねることが そんなに頑張らなくても、普通に生活できる環境を手に入れることに繋がる と、信じたいです。
車椅子でも、障害があっても、認知症があっても。
入居者さん、職員さん、髷姿のお兄さん ありがとうございました。
グループホーム滝子通り一丁目 駒木根純子
飲食店の急な階段の横に貼ってあった看板に、やっぱり思わず写メ!
次のブログ更新は、20日の予定です~♪
駒木根さんの感性、表現力も素敵ですよね~☆
接点
たまたまこんな記事を目にしました。
滝子の施設より車で5分くらいの所で起きた、残念な出来事です。
高齢者世帯で、片方が要介護状態にある場合、連れ合いの調子や状態により、
もう片方の暮らしに大きな影響が出てしまいます。
サービスを使っていなかったのかも知れませんが、
関係者の誰かが関わっていた可能性はあると思います。
在宅の暮らしのサポートのイメージは、とぎれとぎれの接点といいますか、
「点」で支えているようなイメージがあります。
何も起こらなければそれでもいいのですが、色々な不具合が発生した時に発見が遅れてしまいます。
毎日「接点」があれば、少なくとも今回のケースでご夫婦ともという事にはならなかったのかもしれませんね。
暮らしのサポートは接点が多いほど、安心感、不具合の早期発見につながると思います。
「点(在宅サービス)」の支援と、「面(施設入居)」の支援があるのだと思いますが、
小規模多機能は、その中間の「線」の支援や「面」の支援の機能を発揮しやすい事業所だと思っています。
通いや泊りのサービスを利用されていない時は、電話や、顔を見に行く等で、毎日接点を持つようにしていますが、
365日、切れ間のない関わりの先にある、安心感や役割を小規模多機能で発揮し続けていきたいと、改めて思いました。
ちょっと小規模の宣伝?になってしまいましたが、
それでも、不測の事態は起こり得ますので、気を引き締めて、在宅の方々の暮らしを支えたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
昨日は自宅付近で集中豪雨となり、避難勧告がでる騒ぎに。
自分は、離れた天気のいい名古屋の滝子で働いていたので、まったく気づかず。
2時間たって、休憩の時にTVを見てビックリ!!
自宅付近がすごい事に!
結果、周りの道路が冠水していた程度でよかったのですが。
接点の頻度だけでなく、距離感も大切ですよね~