夏祭り
今週の金土日は、行きつけの市場周辺で七夕祭りが行われていました。
「お祭りに行きたい!」とリクエストがでたので、夕方から皆で行くことに。
予定にない外出も臨機応変に対応するのが、生活支援の醍醐味のひとつ。
日ごろから何かと理由をつけては、街の中に必要なものを調達しに出かけていますので、どの方がどのくらい歩けて、どのような状態になると危険度が高くなるのかが分かっています。
加えて、外気温との差が大きくならないよう、あえてホーム内を涼しくしていないので、外に出てもギャップを感じにくく、体感的や気温の差による血圧の変動が起りにくいように日ごろから仕掛けています。
行きかう方々と挨拶を交わし、出店に目を配り、おいしい屋台物の食べ物にしたづつみする姿。
きっと知らない方からみれば、認知症という状態にある方に見えない・分からないことでしょう。
それも介護の醍醐味のひとつ。
「風情があっていいな」と、ある方がボソリ。
誰もが豊かな気持ちになれる一瞬ではないでしょうか。
晩御飯は、屋台であれやこれやと買い込んだものを取り分けて、皆ビールで乾杯!
それぞれの季節の楽しみ方もできるのが、生活支援では大切なのではないでしょうか。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
配慮
いつも見ない光景がありました。
本来であれば、脳の中で異変が起っており、記憶の力等に不安を抱え、自分のことで精一杯でもおかしくない認知症という状態にある方々。
写真のような行為は、見えない次の方への「配慮」の表れだと思います。
とてもステキな行為だと感じるとともに、自分が病になった時に、他人にそんなことができる余裕があるのだろうか・・・と考えさせられてしまします。
本当に頭の下がる思いで一杯です。
そんなさりげない場面への気づきも大切にしたいものです。
「配慮」心をくばること。心づかい。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
生活支援の醍醐味
「今日は夕方から涼しくなってきたね」
この言葉の意味、背景が分かるでしょうか?
前回のブログの流れのままですが、入居6日目で出たI様の発言です。
社会と繋がり、それを感じ、表現できるという素敵なコメントですね。
施設の中暮らしだけでは出てこない表現ではないでしょうか。
その背景は、まだ越してきたばかりですので、「あれがない」「これが必要」となり、自分が生きていくために必要なものを調達しに社会へ繰り出しているということがあります。
昨日はご自身のベッドを注文しにホームセンターへ
今日は皆と一緒に買い物へ
自分好みの帽子をセレクト
暮らしに必要な物を自分で調達しに街へ繰り出すという、きわめて普通の暮らしを目指して支援していますし、ご本人もそのために心と体の力を発揮しながら、生活の再構築にいそしんでいらっしゃります。
長き入院生活に別れを告げ、必然的に体を動かし始めてちょうど1週間の今日、ギリギリながらも滝子行きつけのスーパーより自分の足で歩き続け、階段を上り戻ることができました。750m!!
「そろそろ車椅子に座りますか?」との問いにも「歩きます」と前向きな返事。
疲れの中にも、「やれる自分」を感じられているようで、活き活きとした表情が伺えました。
さすがに疲れたのか、自分の意思で部屋へ戻られこの通り↓↓笑
「疲れたわ・・・」 過用には注意ですね。
昨日は近所のセルフうどん店でお好きな具をチョイス。
今日は台所の掃除をされていました。
「いつもごちゃごちゃやっとるけど、こんくらいサッサとやらないかんわ」と。
女性の方々の前でそんなこと言ったら火だるまになりますよI様。笑
でもこのような姿の連続が、生活支援の醍醐味ですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
毎度御馴染みになりつつあります。
「食べてばかりですみません」とスタッフ和田より。
家族に救われ家族を救う
24日のブログで紹介させて頂いたI様。
支援の困難さが予想される中、入居4日目の昨日。
スタッフのやりとりがありました。
「いつまでここにおるんだ! 仕事もあるし、帰らないかんのだわ!!」とご立腹気味。
やはりそうなりますよね。 でもごもっともな話です。
中、長期的にここで生活の建て直しを図る旨を伝えるものの納得されず・・・
そんな中、書類の関係で身内の方がホームに来られることになりました。
事前面接では、「親と会いたくない、関わりたくない」と言われていましたし、ご本人さんも身内の方に会われると「帰らせろ!」となる可能性が高いと予想。
どうしたものか・・・
まずは書類作成に加えて、身内の話を聞き込むことに。
「連れて帰れ。こんなところに入れやがって!と言われるのが嫌なんですよ」と。
1時間程そんなあんな話を聞き、吐き出してもらいました。
そうこうしているうちに、「せっかくだから顔だけ見て帰ろうか」と言って頂けたので、「後のことは私たちに任せて下さい。それが仕事ですから」と伝え、いざ対面・・・
筋を通し、ストレートに「家には戻れないからここで暮らしてほしい」と身内からお伝えすると・・・
「そうか。でもここ(ホーム)がそれでいいのか?」とI様。
もちろんOK OK OK。
「できることは何でもやりますので」とも言って頂けました。
この言葉の裏側には、やれることをやっていらっしゃる他の入居者さんの姿を見ていたからの言葉だと感じました。
それからI様も、身内の方も笑顔笑顔で会話が弾みました。
勢いで、事務所で2人で夕飯を分け合いながら過ごされていました。
(といいますか、事務所が汚い・・・)
I様もそれなりに自分の中に落とせたというか、覚悟を決められたのだと思います。
その思いに応えないといけないですね。
「親父のあんな笑顔は久しぶりにみた」
「親父は幸せだわ」
「本当にここに入れてよかった」
「今までの所とは全然違う」
「他の施設だったら絶対に反対した」
当等、ありがたい言葉を頂け、身内の方とがっちり「握手」
ありがたい反面、大切な身内とその思いに応える責任を受け取りました。
興奮・暴力等があると言われては転院させられてきた1年あまりの入院期間の中、薬で症状を抑えられ、その影響で耳にじょくそうができかかっているほど、不活発な状態になっていたI様
まだまだフラフラですが、生活の取り戻しに挑む姿をご覧下さい(本人、家族は了承済み)
「1年ぶりにタバコを吸ったわ。うまい!」
(そのTシャツ エキサイティングって 笑)
台を拭いたり、食器を片付けたり
部屋に洗濯物を運んだり
外出の身だしなみをしたり、階段やエレベーターを上り下りしたり
(初日は上がる時に、両足揃えて一段一段上っていましたが、3日目で片足ずつ交互に上がれるようになられています)
食材を選んだり、支払ったり
日用品を選んだり、袋詰めしたり
喫茶店に行ったり、支払ったり
通帳記載をしたり
「人」として、自分の力を使って生きる姿を取り戻す行動を開始し始めていらっしゃります。
住環境も職員のアプローチも、他の入居者との動きも整えていくことや、「自分の力で生きていると感じる機会」「やれる」「やれた」を増やしていくことって本当に大切ですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
入り口が肝心
本日、グループホームに新しい入居者さんをお迎えさせて頂きました。
最初にお会いした瞬間に「これはなかなか難しいな」と感じました。
職員のスキルアップというか、枠を広げなければいい支援に結びつかないだろうと予想できます。
いや、きっと入居者さんに学ばせて頂き、職員がスキルアップできる大切な機会となることを期待したいものです。
親切丁寧な関わり・・・というより、「大人としての対応力」が問われるようです。
そこが弱いチームだと思うので、いい機会ですね。
「婆さんに学び、婆さんに還そうね」です。
自分の意志とは関係なく、連れてこられた施設。
入りたくって入った訳でないという、ご本人の心境をどれだけ汲み取れるか。
施設の暮らしで「生きている実感」を感じられるようなアプローチがどれだけできるか。
私たちの智恵と努力、チーム力が問われることになるのかも知れません。
いずれにしても、最初の短期の間のアプローチはとても大切な時期です。
入り口は肝心です。
【肝心】 肝臓と心臓が人体にとてとても重要という意味に絡め「最重要」を表しているのでしょうが、「肝に銘じる心を持ち続けること」と、勝手に読み取ってみてもいいのでは。
今後の悪戦苦闘に乞うご期待下さいまし。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
本日の夜、波の女の女性スタッフの食事会がありました。
一部のパートさんは来れませんでしたが、ほとんどの方が参加されていました。
女子会ですね♪
少しだけ潜り込んでみました。
飲めや食べれやの中で、たわいもない事を話していましたが、チームの人間関係にとって、モチベーション向上にとって、大切な機会になるのだと思います。
ステキな仲間達!
盛り上がって、盛り上げていこうぜ!
女性スタッフ勢ぞろいということは、施設に残っているスタッフ達は皆・・・
きっと不気味なオーラを放っていることでしょう。笑
介護はコミュニケーション力
「コミュニケーション力」とは何なのか。
上手に話しができればいいという事でしょうか?
相手の存在を認めているか。
認めようとしているか。
能力を認めているか。
認めようとしているか。
人として対等でいるか。
対等でいようとしているか。
人の可能性を信じているか。
見出そうとしているか。
人を信頼しているか。
しようとしているか。
そのような捉え方、価値観、思い、姿勢が大切なのではないでしょうか。
そのような思いが、非言語サインとして発せられるのではないか。
特に認知症という状態にある方には、ごまかしはききにくいように思います。
そこに疑い、不信、見下げる、軽んじているといった自分の内面があると、気づかないうちにそのメッセージが相手に届いていくことになるのではないでしょうか。
当然、関係性が構築しにくくなり、介護、支援の場面に影響がでることになるように感じます。
言葉が丁寧なだけでは難しいということになりがちです。
コミュニケーション力は、「上手に話す」ということではなく、「人を認めること」ができる自分自身の構築が鍵なのだと思います。
いかがでしょうか?
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
おととい、昼食を回転寿司で食べられた方々がみえます。
100円寿司ではないお店だとどうなるか・・・
色とりどりのお皿が積まれていきます。
結構高価な皿も混じっています・・・
声かけはするんですけどね~
記憶の障害に加え、判断力も衰えていらっしゃるので当然といえば当然でしょうか。
次回は100円寿司をすすめてみようかな・・・笑
命の重み
開設当初より入居されていた Jさん
先週、体調を崩し入院となってしまいました。
2年4ヶ月の間に体重は5Kg程落ち、最近では起き上がるのが精一杯で、歩行も付き添いでなんとかギリギリ歩かれていたものの、気力、体力共に低下の一途をたどるばかりでした。
「分かりません分かりません」「どうしましょ」「寝かして下さい」・・・
最近では一日中うわ言のように話され続けていた Jさん。
僕らは何ができたのでしょうか。
それなりに自立支援、生活支援を軸にスタッフでアプローチを続けてきましたが、それでも認知機能、体力の低下を食い止めることができず、今回持病(多分)の悪化で入院となってしまいました。
もともとギリギリの暮らしでしたので、今回の入院で寝たきりになってしまう可能性が高いばかりか、もしかしたら最後の時を迎えることになってしまうという最悪の事態も想定せずにはいられません・・
私たちの力不足、認識不足も間違いなくあったことでしょう。
本当に申し訳ない。
人生をまるっと預けられている私たちは、今回の事態を真摯に受け止め、反省しなくてはならないのだと思います。
そして次のチャンスに活かせるようにしなくてはなりません。
「婆さんから学び、婆さんに還そうね」をうたい文句にしているし、そうあるために尽力し続けなければならないのだと思います。
それが人生を委ねられた私たちにとって、とても大切な姿勢だと思うのです。
「無力・・」と思わずにはいられませんが、足を止めることなく日々挑んでいきたいものです。
そう遠くない間に訪れる、最後のその時まで。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
昨日は、県内の訪問介護スタッフ向けの認知症研修会の講師を務めさせて頂きました。
認知症に関わる最前線のスタッフの皆様からたくさんの学びとエネルギーを頂きました。
ありがとうございます☆
スピーチロック
忙しい日常の業務に流されて、入居者様に対し「座ってて」「待って」「だめ」・・・等、当たり前のように、スピーチロック(言葉の拘束)が使われている・・・
スピーチロック「ゼロ」を目指していきたいと思っています。
ある方の実習計画書にこのような取り組み目標が書かれていました。
我が滝子はどうなのだろうか・・・
「ゼロ」とは言いがたい現状があります。
「スピーチロック」は厳密に言うと「虐待」です。
自分の力では自分を守れなくなっている方々が目の前にいらっしゃります。
その方々の「人権」「尊厳」を守るために私たちが仕事をしている訳ですし、目の前の方々から給料を頂き、私たちが生活をしているということを忘れてはいけないのだと思います。
ただ、職員も「人」ですので、ストレスがたまるとついつい言葉がきつくなるのも分からなくはありません。
ですので、職員のストレスマネジメントも大切にしなくてはなりません。
「話し合い」「方向性を共有」「大変さの共有」「ストレス発散」などのアプローチをしながら自分達を律していきたいものです。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
入居者に棚の掃除をさせているのではありません。
無理やりさせるのでは「虐待」ですから。
皆さん、おいて置くだけで(仕掛け)自ら進んでやられているので、これは「主体性」です☆
職業人として
皆さんの関わっている方は「人」として生きていますか?
「もしもし もう切ります」
それ、TVリモコンですが・・・
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
そこにいる意味
昨日、男性の新しい入居者さんがグループホームへ入られました。
なぜここに来たのか、なぜここにいなくてはならないのか・・・
「今日からここで暮らしていくことになりました」
という説明がご本人に納得できる訳もなく・・・
「家へ帰ります」
という明確な表現もできないまま、ホーム内を行ったりきたり。
何度となく外へ出てみたり。
ご本人の立場になってみると「ごもっとも」なことであります。
望んだ訳でも、理解した訳でもなく、いきなり劇的な環境変化の渦中に放り込まれた不本意な状況。
私達は何をしなくてはいけないのか・・・
まず、ご本人の気持ちを受け止めようとする姿勢。
言葉をうまく聞き取れなくても、「受け入れ」「共感」を存分に発揮する必要があります。
対人関係の中で、自分の存在意義を感じて頂く機会ということです。
あとは体感的に「できる自分」「やることがある」という「そこにいる意味」を感じられる機会をどれだけ作りだせるか、引っ張り出せるか、積み重ねられるかということが大切だと思います。
それもここはグループホームですので、「塗り絵」や「パズル」などの作業ではなく、自分の暮らしを自分の力を使い、発揮しながらという生活行為を中心に「そこにいる意味」を感じられるようにアプローチしていきたいものです。
そんな方向性の中、昨日から今日にかけて色々と関わってみました。
掃除(ほうきや掃除機、雑巾)、洗濯(干す、たたむ)、調理(包丁を使っての下ごしらえ、盛り付け等)片付けに加え、計算、PCを使ってのコミュニケーション、新聞読み、買い物、ドライブ、喫茶店、夜の晩酌、囲碁、他入居者との関係作り等々と続々アプローチしていっています。
男性であっても自分が生きていくための必要な行為であれば、お構いなしに支援を試みていきます。
その甲斐あってか24時間という短い時間の中で、既に馴染みだしているようにも見受けられる状態となっています。
それはスタッフによる支援力だけのものではなく、ご本人が持ってみえる「環境に適応する力」が発揮されているのだと思います。
素敵ですね。
「そこにいる意味」
それは家であっても、どこであっても、人が生きていく上で自分の存在価値を感じながら過ごす中で、とても大切な体感的行為であるのだと思います。
自分の力を使って自分の人生を歩むー
生活支援に挑み続けていきたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治