★今日の1コマ★ ストーカーケア??

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高齢者の一人歩き尾行する怪しい人物・・・

鋭いまなざしで一人歩きをする高齢者をじっと見つめ、高齢者の後方10から20mの壁や電柱や木の陰に身を隠し素早く移動していく・・

 

ストーカー??

 

 

いえいえ。滝子の優秀なスタッフです(笑)

 

 

私たちの施設では、一人でお出かけをされる方、したい方が7人ほどみえます。

「散歩行ってきます」「家へ行きます」と声をかけてお出かけされる方、時には声をかけずにお出かけされる方、

その時その時で様々な言動があるのですが、その時の対応として、

 

・施設に留まって頂けるように説明をする

・一緒に出掛ける(人手がある時)

 

のどちらかのパターンに加え、「さりげなく後からついていく」

という選択肢もあります。

 

「人」の素晴らしさの一つに「自分の意思を行動に移せること」があるが、なかなか施設外行動においては、「気を付けていってらっしゃい」と見送ることができない現状があるのはどこの介護保険施設も同じ事情があります。

 

それは、介護保険施設の対象者は「要介護」「要支援」状態であり、職員によるなんらかの支援が必要な方々で、写真のように身体的に障害があまりなく、単独歩行ができる方の場合、脳の方に障害(病気、認知症)があるのが一般的であり、脳に障害を抱えていらっしゃる方々の特徴として、行動に移すことはできても、それをやり遂げることが難しい場合が多いということです。

 

つまり目的地を描いていたとしても、そこに到達するまでの方向や道のり、自分の体力・体調管理、危険回避能力等々の様々な情報処理を正しくできない場合が多く、その結果、迷子になってしまったり、転倒してしまったり、事故にあってしまったり、体調不良(脱水状態など)になったりしてしまう可能性があり、そのリスクを介護の専門職として知っている以上、「いってらっしゃい」とはならないのが普通であります。

 

そこで、一緒について行動できればそのリスクは回避できるのでは?という考え方もあるが、これも一般的に、介護保険法で定められている職員配置的にそういつもいつも一緒にマンツーマンでお出かけできないという事情もあります。

百歩譲って一緒についていける職員数がその時にたまたまあったとしても、「一緒についていく」というのは施設側の視点や事情であり、肝心のご本人の立場で考えるとどうなのか?ということも忘れてはならないことではないでしょうか。

 

「一緒についていく」ことで安心感を持たれる方や状況もあれば、「一緒は嫌だ」「一人で行きたい」、時には施設や職員から「逃げたい」「ここは嫌だ」という場合だってあるのが当たり前だと思っています。

それは、すべての方が「自分で入りたくて入った(使った)施設」ではないというこれも当たり前の心理・事情があるということだからです。

 

もちろん、不本意な状況が施設利用の入口だったとしても、職員の努力、他入居者の協力の基、「ここで暮らすのもありか」と思って頂けるようにどこの職員も尽力されているでしょうし、その結果として「ここがいい」に変わっている姿も多く見かけることができます。

 

とはいっても、「人は社会的な生き物」であり、施設から出て、外の空気を吸ったり、お日様を仰いだり、風に吹かれたり、雨に濡れたり、風景に目をやったり、行きたい所がるというような、社会の中で生きている自分を感じることがとても大切であり、またその権利も持っています。憲法でも保障されています。

 

そんな視点も、「障害を持っても人として生きる」を支えようとすると、合わせ持っていなければと思っています。

そして、その権利や人として生きる姿を作り出すために、どうやったらできる?を常に持ちつつ、追求したり協働したり、工夫したり、あれやこれややってみたりということを怠らないのが専門職として大切にしたいことでもあります。

 

話が長くなりそれてきましたが、最初の写真の方は「散歩に行ってきます」であり、「一緒についてきて下さい」は含まれていなかったようなので、ストーカー職員はその方の意思を尊重し、施設の事情や職員の束縛から離れて一人で社会の中、地域の中、近所の公園で過ごしたいというご本人の気持ちを尊重するとともに、その意思を支援したいという理由で、ご本人に気づかれないようについていっているという状況でした。

 

もちろん、この方の歩行能力、体調、判断能力等のアセスメントができており、ある程度の予測もできているから、「一人でお出かけ(と本人は思っていらっしゃる。たぶん・・)」してもらっているのであって、誰でもこのような支援でOKという訳ではありません。

 

この技は、滝子の施設ではだいぶ浸透してきているようですが、逆に「一緒にあるく」「先導する」必要がある方や、察知能力の高い方にこの技を繰り出すと、見破られ、スキを見て隠れられたり(笑)、ダッシュで振り切る方がいらっしゃったり(汗)と、ある特定の方だけに繰り出せる技でもあります。

 

朝礼でこの職員は言っていました。「今日も振り回されてきます」と。

職員・施設ペースで入居者の生活をまわすのではなく、入居者主体で支援しようとすればその証として職員が振り回されるのは当然のことです。

 

入居者も職員もこの夏を過ぎたらきっと真っ黒に日焼けしていることでしょう。。。

 

「さて、どこに行こうかしら」「一人の時間はいいものよね」

 

「あれ、見たことのある建物だわ」

 

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2012年07月09日 Category:スタッフ日誌

「大逆転」のススメ Vol.4

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不平・不満はステキな表現」~何で私ばっかり~

 

「これ全部、私ひとりで洗うんですか」安部さんが怒り出した・

「ええ、お願いします。それとすみませんが、洗剤を使って洗ってほしいのですが」

「これをですか!」

ますます口調が強い。皿を洗う手つきまで怒っている。

「何で、私一人でやらなきゃなんないの。私は皿洗いじゃないですよ」

外で他の入居者が洗濯物を干していたので、安部さんにそれを見てもらうために勝手口を開ける。

「安部さん、こっちに来てあれを見て下さいよ」

「何なの?」

「あそこで他の方は洗濯物を干してくださっているんですよ。安部さんの洗濯物も一緒に干してくださっていましたよ」

「そんなはずはありません。私は今朝ここに来たばかりで、洗濯物を出すはずがありませんから」

「・・・・・・」

ごもっとも。

 

自己主張がなくなったら、さあたいへん

 

人間は「おかしい」と思っても、それを口に出せないことが多い。

それが原因で体調を崩したり病気になることだってある。

そう考えれば、ストレートにそれを口に出せる婆さんたちにはすばらしい力が備わっているともいえる。

痴呆という状態は、さまざまな関係性を自分自身の力で解決していくことが難しくなってくる。

その意味で、思ったこと、感じたことをストレートに表現できる「環境」はとても大切だ。

協調性がない、わがまま、相性が悪い、自己主張が強すぎる、なんて言う前に、笑う、怒る、悲しむなどの感情表現が内に籠ってしまった人間を思い描いてみてはどうか。

喧嘩している姿がとってもステキに見えてくるから。

 

「大逆転の痴呆ケア」和田 行男著 中央法規出版  P6~8より抜粋

 

 

福祉施設では、「笑顔で」「ゆったり」といった高齢者像を求めがちであるが、人と人が出会い、過ごす時間が増え、距離が近くなればなるほど、仲良しもできれば相性の悪さも出てくるのが「普通」ではないか。

 

逆に、対立や不満や喧嘩がないとしたら、それはどのような「環境」「方針」なのだろうか?

 

私達も、幼少期から今日までの集団生活の中で「笑い」もあれば「怒り」もあり、「哀しみ」もあれば「楽しみ」もあった「普通」に経験してきた「喜怒哀楽」

 

その中でどうも「怒る」ことや「悲しみ」に対して拒否反応があったり、排除傾向だったりしないだろうか?

 

滝子通一丁目福祉施設でも、日々、「愚痴」「不満」「ねたみ」「怒り」そして時々「涙」。

 

そんな感情表出があってこその、「笑顔」「喜び」「楽しみ」の場面が輝くのではないか。

 

「喧嘩」している姿がステキだと感じる瞬間が自分に中に出てきたら、あなたも和田行男を筆頭とする「婆さんズ解放運動」の戦士の仲間入りの証かも知れませんね。。。

(もちろん感情は残っていきますし、後々の人間関係に悪影響が出ることもあるので、喧嘩になった場合や、喧嘩になる前の手だてをする必要はあります)

「あらよっと。反対側から失礼~」

「ちょっと! お~ちゃくいねぇ」

 

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2012年07月03日 Category:大逆転のススメ

これは「平等」?? 

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つい先日、「平等・・・降りいりがちな平等感」のコメントをブログで掲載したばかりですが、その記事のネタになる出来事が発生しました↓↓

当グループホームの1階と2階の食事の風景をご覧下さい。

通常の食事は、食事メニュー決め→買い出し→調理→食事→片づけの流れで食事の場面を過ごすが、その時々の様々な事情により(会議、誕生会、引っ越し祝い、退院祝いetc)外食や弁当にすることもあります。

 

 

2階:エビフライに刺身に鯛のお頭つきetcの高級仕出し弁当(職員が選んだ)

 

 

1階:カレーライスやにぎり寿司などの普通の弁当や宅配(自分で選んだ)

 

どちらが「平等」だろうか?

「人が必要とするものは人によっていろいろであり、だれにもそのいろいろがあってよいという価値基準が平等の基本である」

先日のブログで掲載した矢先に、このような現状が起こっていました。

 

高級仕出しが悪いと言っているのではなく、その「過程」や「選択肢」が大切ということです。

高級仕出しは職員が入居者のことを思い注文している訳ですが、何が出るか分からない中で、突然目の前に現れる訳です。

それもボリューム大!

豪華であり、最初は喜ばれていた様子ではありますが、お腹の中に納まる訳もなく・・・「もったいない!」「残してばかりで申し訳ない」となってしまいます。

 

一方、1階の方はピザに牛丼、カレーに寿司等々のチラシの中から、アレコレ比較する中でご自身で選択決定していました。

 

「これおいしそう」「どれがいいかな?」「たべれるかな?」「高そうだな」「あんた何にする?」

たくさんのチラシの中から比較検討する中で、目で見て、頭でイメージし、匂いや味を想像し、隣の人は何にするかな?と関係性も出てきます。

 

どちらが平等か?

ま、これも勉強です。

2階スタッフさんの次はどうしますか?(笑)

 

ちなみに高級仕出しをたくさん残してしまった2階の入居者さん達。

誕生会ですので当然食後にケーキが出ています。

入居者の知り合いがやっているお店に注文して取りにいきました。

 

せっかく買ってきたケーキ。。。

無理だろうなぁ~と思っていましたが・・・・

 

 

なんと全員ペロリ!!

別腹ですか!!

本当に皆様たくましいです★

 

 

 おめでとうございます。

 

 

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2012年06月27日 Category:スタッフ日誌

メッセージ★届きました

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「プロッフェショナル」放映後、弊社ホームページ宛てに続々メッセージが届いております。

ありがたいことです。

職員一同、皆様からの暖かいメッセージに励まされさなが、悪戦苦闘しながらも、

目の前の方々のために尽力していきたいと思います。

届いたメッセージの一部を掲載させて頂きます(一部省略)

 

■昨晩はテレビ拝見いたしました。和田さんとともに、井さんやスタッフの方の踏ん張りの様子に、自分のことも反省・振り返ることができ、大変勉強させていただきました。

普段、研修会場でしかお会いしていないので、和田さんや井さんの現場での様子を垣間見ることができ、良かったです。

皆さんと、この仕事と、久しぶりに魅了され、久しぶりに、心が揺さぶられました。(大げさですが、本当で、番組の続きを“夢”で見たほどです)

では、また、お会いできる日まで。  特養N 施設長U様

 

■初めまして。今回、NHKの番組を和田行男さんの、活動や信念を見させて頂き、感激しました。  都立○○高等学校のH様

 

■プロフェッショナル、拝見いたしました。
和田さん、加藤さんはじめ、施設スタッフの皆さまの素敵なお仕事を
見せていただきましてとっても感動しました。
私は、なんとか出産して、育児に追われていますが、
ああいう現場の姿を見ていると、なんだかうずうずしてきます。
ホームページもとっても素敵ですね。
お忙しいとは思いますが、頑張ってください。  K病院 M様

 

■昨日のNHK プロフェッショナル 仕事の流儀 見ました。
人間としてあるべき信念を持ち、周囲とは180度異なっていても、それを貫き
その意思と思考と努力と行動で多くの壁を乗り越えてこられたこの道のプロ。
そして素晴らしいリーダー。すごい方が居られます。
こんな素晴らしい方とともに、この仕事ができるのは幸せですね。
私にもその一端をこれからも見せてください。お願いします。  O様

 

■昨晩のTV報道拝見しました。「何があっても人間の尊厳を守る」
この信念を貫く和田さんの支援する行動姿勢は敬服いたしました。
これほどケアしてる施設が全国にあるだろうか?あってほしいですね!
支援する介護者の姿勢には学ぶことが大でした。 K市家族の会 代表O様

 

■最初は、「どうせ、軽い人を見ているんだろう」くらいの気持ちで見ていましたが(失礼)、窓を超えて行ったり、植木鉢
で通せんぼをしたりするのを見ていたら、たしかにグループホームからギブアップしうちに来る人と変わらないな、と思いました。

また、行く道行く道ついて行って止めたり、植木鉢などで止めているのを見たら、結局、閉鎖じゃないか、とも思いました。
しかし、その後、主人公の人(和田さん)がやはり、「こんなんじゃいけない」と同じように言って、がんばるけど、ケガをしてしまって…涙ぐんでいる姿を見たら、「やっぱり、
ケアと言うのは、すばらしいな」と思いました。
やはり、これが大変だけど、醍醐味なんだろうな、と思いました。  医師M様


2012年06月27日 Category:仲間からのメッセージ

「大逆転」のススメ  Vol.3

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「平等・・・降りいりがちな平等感」~必要にもとづいた平等感~

 

介護保険制度は、要介護度が同じであれば利用料金は同じである。

要介護認定の評価はともかく、同じ要介護2だとしても婆さんの状態はひとりひとり違い、手助け(介護)の量も質も異なる。

同じ要介護2で利用料金が同じであったとしても、必要な手助けは人によって全く異なる。

必要に応じた手助けを行うのが僕らの役割だと考えると「必要なこと」を「必要に応じて行う」ということが平等の価値基準になる。

 

とかく換金価値に惑わされると、千円の天丼と五百円のかけ蕎麦では不平等だと考えてしまう。

だが、かけ蕎麦を食べたい人にしてみれば、かけ蕎麦は天丼よりもよっぽど価値が高いという見方ができれば、何てことはない。

 

人が必要とするものは人によっていろいろであり、だれにもそのいろいろがあってよいという価値基準が平等の基本である。

(大逆転の痴呆ケア 和田行男著 中央法規出版  P93~94より抜粋)

 

 

 

まだ、当施設での食事は共通メニューが主である。

朝は「パン」か「ごはん」か、その「両方」であったり、「魚」か「肉」のどちらかくらいの選択肢しかできていない。

あと、ごはんや汁物のお代りは自由といった「量」の違いである。

 

今後は、主体的に個人個人が食べたい物を決め、食材を買い出し、調理、食すことができるように支援していきたいですねぇ~。

まだまだ、「みんな一緒」という風が流れている今日この頃です。

 

具体的な食べ物が数多く並んでいて、好きなものを選べるのっていいですね。

 

でも・・みな同じものになってしまうんですよねぇ・・笑

 

 

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2012年06月26日 Category:大逆転のススメ

波の女「サポーター」来設

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当施設には色々なサポーターが存在しています。

今回はサポーターのST(言語聴覚士)の牧野日和先生(超一流)にお越し頂いた時の様子をお伝え致します。

嚥下の悪いご利用者の状態把握と改善アプローチのご指導の場面です。

 

私達が?私が?嚥下の悪い方へのアプローチをする際には素人レベルなことがまだまだ多いのですが、その道のプロは違うなぁ~と牧野さんのアプローチを見ていて感じました。

 

嚥下体操、食前にお茶、トロミをつけるとか、姿勢を整えるくらいのアプローチかと思いますが、牧野さんは、食物や飲み物の飲み込みの状態、歯のかみ合わせ状態、咀嚼途中での口の中の咀嚼物の状態確認、唾液の量、食道の開き、姿勢、机と椅子のバランス、BMI計測から今後のカロリー摂取プラン、食材の工夫、食べる時間の目安、介助の方法等々と、その方の既往歴や現状の身体状況に合わせたファーストステップのプログラムをささっと考案してくれました。

まずは体重測定。その方のカロリー摂取や体力作りからね。

「いいベンツがあっても、ガソリンがなければ走らないからね~」「今回は体力作りも大切ですが、浮腫の改善の方からいきますか」

 

今回は、スタッフの力量や体制に配慮して頂けた第一段階ですので、もっともっと深く広い視点でアセスメントされていて、もっともっと様々なアプローチ方法を描かれているのは間違いありません。

 

さすがプロ!!

 

波の女には牧野さんみたいな一流の専門職のサポーターがまだまだ多く存在していますので、個々の課題に応じていつでも相談し、それに対してアドバイスや指導をして下さるのでとても心強い限りです。

現場のスタッフのスキルアップも必要ですが、やはりその道の専門職がいて、専門的な視点で指導頂けるありがたさを痛切に感じました。

「はい、お茶を少し飲み込んでみて。」

 

 

2012年06月20日 Category:スタッフ日誌

メッセージ★届きました

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9年前の夏の発売日に「大逆転の・・・」を買い、それ以来ずっと和田サン流の支援を続けています。

 もうじき放送されるNHKの番組も含め、このブログも自分自身&スタッフへの「間違っていないか?」の振り返りにさせてもいますね。  (K様より)

 

 

 

ありがとうございます。

一緒に歩いていきましょうね。

 

2012年06月13日 Category:仲間からのメッセージ

「大逆転」のススメ vol.2

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ひそひそばなしに密かな手だて

 

洗面所の前で、3人の婆さんが、ひそひそ話しに花を咲かせている。

「あの先生は、うるさくて細かいのよ」

「そうなの?」

話し手は姉御肌の京子さん(仮名)。

聞き手には強い人には歯向かわない照子さんと和子さん。

あの先生とは僕のことであり、直接的には歯向かえないため、ひそひそ話でうっ積を晴らしているようだ。

ステキなことである。

しかし、その話も。やがてまったく違った方向へと展開し始めた。

「敏子さんが、私の下着を盗っていくのよ」

「あら、いやだね。そんなことをする人が一緒にいるの」

「そうよ。私の下着やら服に自分の名前を書き込んで・・・」

「いやだねー」

このままにしておくと話の内容は忘れても「そんなことをする人が一緒にいる」という感情は残ってしまいかねないため、ここで僕らが出動する。

 

補い・埋めあい・潰しあい

 

~中略~

京子さんは、他人のものも自分のものと思い込み、そこに本当の持ち主の名前が書いてあると「盗られた」となる。

照子さんと和子さんは、「財布がない、服がない」と自分でしまい込んでは忘れてしまい、「どっかへやっちゃた」と訴える程度であったが、京子さんと親しくなり話し込む時間が増えるにつけ、「私の財布をだれかがもっていった」「盗まれた」と言うようになる。

そのため僕らが出動して、京子さんと2人きりで居室にこもったり、隣同士で座って敏子さんのことをあれこれ言わないようにするなど、人間関係が深まらないように手立てをとることがある。

それがいいのか悪いのかはわからないが、照子さんも和子さんも、京子さんがいなければ、敏子さんと一緒にいい時間を過ごすことができるのである。

一口で支援といっても、その方策はとても語りつくせないし、単純にアセスメントできるものででもない。

生きるのを支援するのは難しいが、人が群れることによる可能性はどっちに転んでも無限であり、これがたまらないのだ。

 

 

「大逆転の痴呆ケア」和田行男著P49,50より抜粋

 

ひそひそ話に花が咲く★

「あの人はいつもやらないのよ・・」

 

 共同生活を支援する形態のグループホームでは、入居者間の人間関係をどう整えるのかで、その方向性が変わってくる。

和田さんが言うように、自分で関係性を調節することが難しい痴呆(認知症)という状態にあると群れはおさまりがつかなくなる。

そこで僕らの「出動」が必要になるということです。それも仕事です。

 

滝子ではまだまだ「出動」できていないので、入居者様の群れの方向性はその中のボス任せ×××

 

「出動」せず、関係性を調整することが仕事だと理解していないと、「入居者同士の関係が悪くて困る」というコメントが飛び出すことになってしまいます。

これは仕事ができていない自分をアピールしているということであり、専門職としてはどうなのか?ということではないでしょうか。

 

そんな簡単に人間関係を調整できる訳ではないが、上記のことを理解して、一生懸命あの手この手で実践を続けていくことが大切です。

そろそろ「滝子通一丁目福祉施設」も「出動」の機会を増やしていかなければなりません。

悪戦苦闘の状況はまたそのうちに。

 

 

これはひそひそ話ではなく

「豊な時間」♪

 

2012年06月13日 Category:大逆転のススメ

「非」日常日記

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6月7日、一部のグループホームの入居者様が潮干狩りに行かれた。

5月に続き今回の第二弾も、知多半島は河和近辺です。

施設から潮干狩り会場まで交通機関(市バス、名鉄電車)を乗り継ぐ行程です。

バスや電車などの交通機関を利用してのお出かけはあまり見かけないのですが、

「滝子通一丁目」としては、この「途中の行程」を大切にしたいと思っています。

交通機関を使って、「見て・聞いて・考えて・動いて」ご自身の力を使って行く。

施設から車で出発→目的地到着では、途中の行程がほとんど無くなってしまいます。

そこには連れて行くスタッフと、連れてかれるご利用者の姿が出来上がってしまいやすいですしね。

「自分の行きたい所に自分の力を使って行く」

これは私達も同様、人として当たり前の行為であり、認知症になってもその姿を取り戻すことができるように支援することが大切だと考えています。

 

日々繰り返される日常生活の中で、時々このようなイベントごとがどこでも行われていますが、

このような「非」日常生活行為は、個々のご利用者の心と体の動きを把握したり発見したり、人間関係を作り出したりできる大切な時間になることを踏まえながら、楽しみたいものです。

 

「海の景色」より「昼ご飯」の方がウケがいいようで(笑)

 

 

しゃがめなくても椅子を使って・・

 

 

 海での一服は格別です☆

 

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2012年06月11日 Category:スタッフ日誌

考えた「言葉づかい」

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20120521

コミュニケーション【communication

社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振

りなどを媒介として行われる。「―をもつ」「―の欠如」

  動物どうしの間で行われる、身振りや音声などによる情報伝達。


  「コミュニケーション」は、情報の伝達、連絡、通信の意だけではなく、意思の疎通、心の通い合いという意でも使われる。「親子の―を取る」は親が子に一方的に話すのではなく、親   子が互いに理解し合うことであろうし、「夫婦の―がない」という場合は、会話が成り立たない、気持ちが通わない関係をいうのであろう。

 

 言葉はコミュニケーションの媒介としては極めて一般的で日常に欠かせないツールです。

 その昔ヨーロッパに君臨したネアンデルタール人が絶滅したのは、言葉を駆使できなかったからだという説がありますが、それは伝達能力の違いを表しているともいえ、コミュニケーションにおける言葉の力は、ホモサピエンスが他を淘汰し、地球上に68億人まで増えてきたことが証明しているのではないでしょうか。

 言葉はヒトの生活には欠かせないツールですが、その分だけ「複雑な模様」を合わせもち、人は言葉に気遣いながら生きていることも確かです。だから時と場合によって言葉の使い方に変化を加えます。

 では「仕事で使う言葉」と「私生活で使う言葉」はどうだろうかと自問すると、私生活以上に「その時その場にマッチしているかどうか」「目に見えない心模様を考えながら使っているかどうか」が、素人と専門職の分岐点になるということではないでしょうか。

 

■  例)廊下の外にまで聞こえる声で「Aさん、そこは違うよ。そこは他人の部屋だよ」

Aさんにすれば「そこかもしれない」と確信をもてずにおそるおそるその部屋を覗いたはずですが、それを大きな声でそう言われることで「自分の部屋もわからなくなった自分」を感じ、「そんな自分のことを他人にまで知られやしなかったか」と思いはしないでしょうか。

 

■  例)「おそうじ、してね」

自分が願ってもない「ここ」に連れてこられて、自分よりも年下と思われる者から「してね」って言われた人の気持ちってどんな模様でしょうか。「お掃除していただいていいですか」ってお願いされるなら気持ちよく「いいよ」って言えても、「してね」では内心穏やかではないはず。

 

 滝子通一丁目福祉施設は学卒者が多いだけに、まだ友達と話すように話している職員がいます。上記の2例は1階で聞こえてきた声ですが、これもまた「考えてはいない言葉づかい」にとどまっています。

今の時点では致し方のないことですが、2か月目に入った今だからこそ、言葉遣いについて改めてお互いを検証してみることが必要ではないでしょうか。

経験を積むほどに乱れてくる言葉づかいですが、訓練されていないと経験があってもなくても「素のままの言葉づかい=素人言葉」になってしまいます。

だから「敬語を使いなさい」というように言葉を画一化させるのですが、それでは言葉の本来の輝きを失ってしまいもったいない限りです。ここではその道はとりません。

その時その場に即し、利用者・入居者の心模様を踏まえた言葉=職業人としての言葉遣いができるようになってこそ専門職であり、マニュアル通りの言葉しか使わないようではロボットと同じになってしまいます。

 滝子通一丁目福祉施設は、まだロボットは必要としていません。このことにロボットを必要としていません。

(和田が中心になって発行している施設内職員通信より)

2012年06月06日 Category:和田行男の「波の女」とともに