台風11号
全国の皆様、台風の影響はいかがでしたでしょうか?
名古屋は暴風圏のちょっと外側でしたが、進路の東側ということで結構荒れました。
午後が近づくにつれて雨風が強まる中、いつもの一人外出の方々はどうなったかというと・・・
玄関前に出て、天候を見て若干あきらめモードの方1名
果敢に攻めに出た方1名・・・
すぐに車で迎えに行きましたが、全身ずぶ濡れ状態になられてしまいました・・
申し訳ない。
施錠を考える前に、施設内に留まれるアプローチを実施しながらも、今回のような悪天候や緊急事態等、生命の安全を確保するために「一時的に玄関に施錠もOK」と申し送っていたのですが、タイミング合わず外出されてしまったとのこと。
まぁ無事でなによりです。
午後からは皆で3階に集合。
小規模多機能の方に届いたお中元の大玉スイカで「スイカ割り」を実施。
外は悪天候、中は大賑わいで台風をやり過ごすことができました。
暴風の中でもタバコを吸う入居者とスタッフの姿も・・
振り返ってみると、暴風の中においても施錠をせずに1日が過ぎました。
機転のきいたタイムリーな小規模多機能の催しも良かったです。
電車遅延にて遅刻+傘が一瞬で折れてた河村君は大変そうでした。笑
(駅まで迎えに行った時の写真です)
今後も今回の学びから、更に対策を進めたいと思います。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
今日は台風の爪あとが・・
掃除もせねばなりませんね~
(買い物外出前に一仕事される入居者さん)
天気の読み
生活支援で大切なことのひとつに「天気の読み」があります。
自分の力を使って、「生」き、「活」動する「生活」ですから、天気と密接に関係しています。
翌日、当日の「気温、湿度、風速、日差し、降水確率」などの情報を集め、その日の動きを考えます。
洗濯物を朝も昼もばんばん干しますし、布団やシーツも干します。
午前・午後の食材の買出しをはじめ、何かと必要なものを調達しに外出する機会も多いです。
入居者、利用者の意志で一日中外へ出たり入ったりされる方もみえます。
各階より3人、4人と複数の方が買い物に行かれるのですが、付き添いスタッフは1人です。
外に出るということはリスクが高くなります。
転倒、行方不明、交通事故、脱水、熱中症・・・
そこに外界環境の碑ひとつ「天候」は大きく影響を与えます。
外を眺めながら、「気温」「風の強さ」「雨雲」情報を集め、動きをリードする予測力が生活支援には大切ですね。
明日は愛知に台風接近。
さすがに入居者、利用者の動きをセーブせねばなりません。
職員の出勤、退勤の配慮もしなくてはなりません。
施設周りの環境にも配慮が必要です。
臨戦態勢で暮らしを守らねば・・・
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
時代を切り裂け!
7月24日の懇親会(女子会)に続き、昨日は「男子会」がありました。
1次会は女子会同様、近所の焼き肉屋。
目にしみ、相手が煙でかすんでました。
これぞ、ザ・焼き肉
味があるねぇ~
2次会はお決まりのカラオケ。
皆はっちゃけまくってましたよ。
バカなやつら・・ ではなく、馬鹿になれることができる素敵な奴らです。
AKBとやら踊ってますけど・・・
開設からしばらくの間、秋田から手伝いに来てくれていた高橋さんも参加してくれました。
また、たまには遊びに?手伝いに?来て下さいね☆
日付が変わるまで、飲めや歌えや踊れやと大騒ぎ。
この業界の仕事はとてもエネルギーが必要だし、ストレスもたまりやすいものです。
そんな中で、ここまでパワーのある奴らは頼もしいの一言。
「サービス」という言葉に踊らされ、大切なものが見えにくくなっている介護業界。
混沌としているこの業界を切り開くのは、こいつらだと確信できます。
俺達で時代を切り開こうぜ!
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井真治
オマケ・・
エピソード記憶
「新しく入社したスタッフ佐藤さんです。よろしくお願い致します」
初日の勤務入りに入居者の皆さんに紹介させて頂くのですが、すぐに忘れてしまわれます。
記憶の障害があるのでごもっともなことです。
「あの方初めてみるわ。誰なのかしら」
「先生(井)が紹介してくれないといけないじゃない」と入居者さん達から。
そんなことを3回も5回も言われるうちに、なんとかならないものか・・・と思案。
そこでエピソード(物語)を付けた紹介へ切り替え。
「伊藤、加藤でなく佐藤さんです。砂糖じゃないよ」
とその場の笑いをとりつつ会話を広げてみました。
特にボス格の方にアピールするように。
何時間か過ぎ、再び同じ質問が来ました。
「紹介しましたけどね~(井)」
「うそ~ 聞いてないわよ」と入居者さん達。
そこで、「伊藤、加藤でなく、佐藤さん」と伝えてみると・・・
「あっ! そうだそうだ 思い出した。先生言ってたわ」
(やった!)
シンプルな「知識」の記憶を味記憶といいます。
どっちかといいますとすぐに忘れてしまう記憶です。
電話番号を調べて覚えて、かけたら忘れてしまうようなものです。
それに対し「物語」を伴った記憶は「エピソード記憶」といいます。
ある物事を何かのエピソードに絡めて覚えると、忘れにくくなる傾向にあります。
その場の物語に加え、感情(笑い、怒り、苦労など)や感触が加わるとよりいいと言われています。
さらに入居者の中でも発言力のある方が思いだし「そうだった」となると、他の入居者に対し、より説得力が増すということです。
いつかはエピソード記憶の保持力も落ちてしまう時は来るのでしょう。
しかし、今はまだエピソード記憶が残る能力があるのであれば、活用したいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
今日の買い物の帰りに入居者さんの手に「セミ」がとまりました。
「あらあらあら びっくりした!」
「80年生きてきてこんなの初めてだわ」
さて、このエピソード記憶は残っていくのでしょうか。
夏祭り
今週の金土日は、行きつけの市場周辺で七夕祭りが行われていました。
「お祭りに行きたい!」とリクエストがでたので、夕方から皆で行くことに。
予定にない外出も臨機応変に対応するのが、生活支援の醍醐味のひとつ。
日ごろから何かと理由をつけては、街の中に必要なものを調達しに出かけていますので、どの方がどのくらい歩けて、どのような状態になると危険度が高くなるのかが分かっています。
加えて、外気温との差が大きくならないよう、あえてホーム内を涼しくしていないので、外に出てもギャップを感じにくく、体感的や気温の差による血圧の変動が起りにくいように日ごろから仕掛けています。
行きかう方々と挨拶を交わし、出店に目を配り、おいしい屋台物の食べ物にしたづつみする姿。
きっと知らない方からみれば、認知症という状態にある方に見えない・分からないことでしょう。
それも介護の醍醐味のひとつ。
「風情があっていいな」と、ある方がボソリ。
誰もが豊かな気持ちになれる一瞬ではないでしょうか。
晩御飯は、屋台であれやこれやと買い込んだものを取り分けて、皆ビールで乾杯!
それぞれの季節の楽しみ方もできるのが、生活支援では大切なのではないでしょうか。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
配慮
いつも見ない光景がありました。
本来であれば、脳の中で異変が起っており、記憶の力等に不安を抱え、自分のことで精一杯でもおかしくない認知症という状態にある方々。
写真のような行為は、見えない次の方への「配慮」の表れだと思います。
とてもステキな行為だと感じるとともに、自分が病になった時に、他人にそんなことができる余裕があるのだろうか・・・と考えさせられてしまします。
本当に頭の下がる思いで一杯です。
そんなさりげない場面への気づきも大切にしたいものです。
「配慮」心をくばること。心づかい。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
生活支援の醍醐味
「今日は夕方から涼しくなってきたね」
この言葉の意味、背景が分かるでしょうか?
前回のブログの流れのままですが、入居6日目で出たI様の発言です。
社会と繋がり、それを感じ、表現できるという素敵なコメントですね。
施設の中暮らしだけでは出てこない表現ではないでしょうか。
その背景は、まだ越してきたばかりですので、「あれがない」「これが必要」となり、自分が生きていくために必要なものを調達しに社会へ繰り出しているということがあります。
昨日はご自身のベッドを注文しにホームセンターへ
今日は皆と一緒に買い物へ
自分好みの帽子をセレクト
暮らしに必要な物を自分で調達しに街へ繰り出すという、きわめて普通の暮らしを目指して支援していますし、ご本人もそのために心と体の力を発揮しながら、生活の再構築にいそしんでいらっしゃります。
長き入院生活に別れを告げ、必然的に体を動かし始めてちょうど1週間の今日、ギリギリながらも滝子行きつけのスーパーより自分の足で歩き続け、階段を上り戻ることができました。750m!!
「そろそろ車椅子に座りますか?」との問いにも「歩きます」と前向きな返事。
疲れの中にも、「やれる自分」を感じられているようで、活き活きとした表情が伺えました。
さすがに疲れたのか、自分の意思で部屋へ戻られこの通り↓↓笑
「疲れたわ・・・」 過用には注意ですね。
昨日は近所のセルフうどん店でお好きな具をチョイス。

今日は台所の掃除をされていました。
「いつもごちゃごちゃやっとるけど、こんくらいサッサとやらないかんわ」と。
女性の方々の前でそんなこと言ったら火だるまになりますよI様。笑
でもこのような姿の連続が、生活支援の醍醐味ですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
毎度御馴染みになりつつあります。
「食べてばかりですみません」とスタッフ和田より。
家族に救われ家族を救う
24日のブログで紹介させて頂いたI様。
支援の困難さが予想される中、入居4日目の昨日。
スタッフのやりとりがありました。
「いつまでここにおるんだ! 仕事もあるし、帰らないかんのだわ!!」とご立腹気味。
やはりそうなりますよね。 でもごもっともな話です。
中、長期的にここで生活の建て直しを図る旨を伝えるものの納得されず・・・
そんな中、書類の関係で身内の方がホームに来られることになりました。
事前面接では、「親と会いたくない、関わりたくない」と言われていましたし、ご本人さんも身内の方に会われると「帰らせろ!」となる可能性が高いと予想。
どうしたものか・・・
まずは書類作成に加えて、身内の話を聞き込むことに。
「連れて帰れ。こんなところに入れやがって!と言われるのが嫌なんですよ」と。
1時間程そんなあんな話を聞き、吐き出してもらいました。
そうこうしているうちに、「せっかくだから顔だけ見て帰ろうか」と言って頂けたので、「後のことは私たちに任せて下さい。それが仕事ですから」と伝え、いざ対面・・・
筋を通し、ストレートに「家には戻れないからここで暮らしてほしい」と身内からお伝えすると・・・
「そうか。でもここ(ホーム)がそれでいいのか?」とI様。
もちろんOK OK OK。
「できることは何でもやりますので」とも言って頂けました。
この言葉の裏側には、やれることをやっていらっしゃる他の入居者さんの姿を見ていたからの言葉だと感じました。
それからI様も、身内の方も笑顔笑顔で会話が弾みました。
勢いで、事務所で2人で夕飯を分け合いながら過ごされていました。
(といいますか、事務所が汚い・・・)
I様もそれなりに自分の中に落とせたというか、覚悟を決められたのだと思います。
その思いに応えないといけないですね。
「親父のあんな笑顔は久しぶりにみた」
「親父は幸せだわ」
「本当にここに入れてよかった」
「今までの所とは全然違う」
「他の施設だったら絶対に反対した」
当等、ありがたい言葉を頂け、身内の方とがっちり「握手」
ありがたい反面、大切な身内とその思いに応える責任を受け取りました。
興奮・暴力等があると言われては転院させられてきた1年あまりの入院期間の中、薬で症状を抑えられ、その影響で耳にじょくそうができかかっているほど、不活発な状態になっていたI様
まだまだフラフラですが、生活の取り戻しに挑む姿をご覧下さい(本人、家族は了承済み)
「1年ぶりにタバコを吸ったわ。うまい!」
(そのTシャツ エキサイティングって 笑)
台を拭いたり、食器を片付けたり
部屋に洗濯物を運んだり
外出の身だしなみをしたり、階段やエレベーターを上り下りしたり
(初日は上がる時に、両足揃えて一段一段上っていましたが、3日目で片足ずつ交互に上がれるようになられています)
食材を選んだり、支払ったり
日用品を選んだり、袋詰めしたり
喫茶店に行ったり、支払ったり
通帳記載をしたり
「人」として、自分の力を使って生きる姿を取り戻す行動を開始し始めていらっしゃります。
住環境も職員のアプローチも、他の入居者との動きも整えていくことや、「自分の力で生きていると感じる機会」「やれる」「やれた」を増やしていくことって本当に大切ですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
「大逆転」のススメ Vol.16
「大逆転の痴呆ケア」 和田行男著 中央法規出版 P83より一部抜粋
支援は特別なことではなく普通のこと
確かに、「痴呆老人が普通の人と同じだなんて、乱暴で何も知らない人間の言うことである」なんて言われたら、まったくそのとおりだと答える。
しかし、知識ある人の「痴呆老人」というとらえ方が、婆さんたちを「普通ではない生活」へと追いやり、人が生きる姿からかけ離れた「普通ではない人」にしまったのではないか。
そうだとしたら、そのほうがよっぽど乱暴で無知である。
~中略~
支援する側には特別な知識や技術を要する専門性が必要になる。
だからといって、専門性だけで支援できるわけではないことをも知るべきだ。
なぜなら婆さんたちは、痴呆である前に「人」だからである。
と記されています。
「普通の生活を送る姿」を取り戻すことに繋げれてこその専門性ではないでしょうか。
そもそも「普通の生活」とは何なのかを、自分自身を振り返り理解することが大切だと思うのです。
もちろん十人十色なので、自分の中で「普通」だと思っていることを、目の前の認知症という状態にある方に当てはめていくことは危険であります。
でもそこには「人として生きる姿」としての共通項の行為があるのだと思います。
たとえば誰だって家から出る前には身だしなみ(顔を洗ったり、歯をみがいたり、髪を整えたりするでしょうし、服のセレクトも行っていることでしょう。
もっと行為をシンプルにしていくと、「自分のことを自分でする」ということが普通の暮らしの底辺にあるのだと思います。
そのことを目の前の方ができないのであれば、自分達がくっつきできるようにする、または補うということであるのだと思います。
できない、わからないと決め付けたり、そのままで大丈夫だろうと手を抜いたり、時間がない、人手が足りないと言い訳を並べて、能力を発揮する機会を作らない、場合によっては、身だしなみさえ整えられないような現状で「普通のこと」を語ることはおかしなことであると気づかなければなりませんね。
「普通のこと」を丁寧に行うー
これは支援の土台として、とても大切な行為であり方向性であり、そこに気づくセンスが必要なのだと思います。 大切にしていきたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
祭りがあれば寄りたくなる・・・これも普通の暮らしですね。
入り口が肝心
本日、グループホームに新しい入居者さんをお迎えさせて頂きました。
最初にお会いした瞬間に「これはなかなか難しいな」と感じました。
職員のスキルアップというか、枠を広げなければいい支援に結びつかないだろうと予想できます。
いや、きっと入居者さんに学ばせて頂き、職員がスキルアップできる大切な機会となることを期待したいものです。
親切丁寧な関わり・・・というより、「大人としての対応力」が問われるようです。
そこが弱いチームだと思うので、いい機会ですね。
「婆さんに学び、婆さんに還そうね」です。
自分の意志とは関係なく、連れてこられた施設。
入りたくって入った訳でないという、ご本人の心境をどれだけ汲み取れるか。
施設の暮らしで「生きている実感」を感じられるようなアプローチがどれだけできるか。
私たちの智恵と努力、チーム力が問われることになるのかも知れません。
いずれにしても、最初の短期の間のアプローチはとても大切な時期です。
入り口は肝心です。
【肝心】 肝臓と心臓が人体にとてとても重要という意味に絡め「最重要」を表しているのでしょうが、「肝に銘じる心を持ち続けること」と、勝手に読み取ってみてもいいのでは。
今後の悪戦苦闘に乞うご期待下さいまし。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
本日の夜、波の女の女性スタッフの食事会がありました。
一部のパートさんは来れませんでしたが、ほとんどの方が参加されていました。
女子会ですね♪
少しだけ潜り込んでみました。
飲めや食べれやの中で、たわいもない事を話していましたが、チームの人間関係にとって、モチベーション向上にとって、大切な機会になるのだと思います。
ステキな仲間達!
盛り上がって、盛り上げていこうぜ!
女性スタッフ勢ぞろいということは、施設に残っているスタッフ達は皆・・・
きっと不気味なオーラを放っていることでしょう。笑

























































