ようやく・・
今日はこんなニュースをキャッチ!!
平成12年から施行された介護保険制度。
18年目?の現在。
まだ検討段階ですが、ようやくといった感じですよね。
選ばれる施設になるため、親切丁寧な対応をしているとはいえ、
安心安全の名のもと、施設に閉じ込められ、できる事を奪われがちなこの業界に、
やっと介護保険制度の基本理念の追求に頑張っている事業者が少しは認められる機会になるかもですね。
とはいえ、「自立支援に努める」といった事の仕事の内容が、
どのようなものになのかがとても重要です。
何をもって「自立支援」なのか。。
食べたいものを考え
材料を買いに街へくりだし
店内で食材を探す、選ぶ、支払い、しまい、
購入してきた食材で食事を作り
食べた後の食器を洗い
洗ったものを拭き、片づけ
テーブルや床が汚れれば掃除をする
(買い出し支援はGHでは昼夜、小規模では昼のみです)
この応援の仕事の仕方を「生活支援」として、
「人が生きる姿の基本」の追求として、
日々利用者さんと絡みながら、能力を引き出しながら、
利用者・入居者関係を調整しながら職員は奮闘していますが、
はたしてこのアプローチを国が「自立支援」と認めるのか。
ちょっと不安はありますね。
もともと基本理念に謳われている「自立支援」ですので、
加算ではなく、基本報酬で設定を考えていくのだと思いますが、
基本が「安心安全支援?、標準支援?」と「自立支援」の2本立てになるのでしょうか。
いずれにしても、とても重要な事でもあり、
楽しみでもありますが、方向性が出てから
「なんでぇ~!?」
とならないといいのですが。。
制度を作る側にお願いしたいのは、
現状を、生の現場の状況を、
または利用者入居者の姿を見てほしいですし、
単純に「介護度改善」につながる取組(訓練や療法、アクティビティー等)
だけが指標とならないようにしてほしいものですね。
ここはやはり元祖自立支援の生みの親「和田行男」を招集して、
話を聞くというか、委員会メンバーに加えて検討を重ねてほしいものです。
そして全国で頑張っている現場の声も届けていきたいですし、
届くような仕組みも早めに段取りしてほしいものです。
とにかく、この制度が一歩前進する事を切に願うばかりです。
利用者、入居者たちが、自分の力を使って生きる事を応援できる業界への転換ですね☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
次のブログUpは25日の予定です♪
「脳」の「力」の活用
たまたま事務所にいらっしゃった利用者さんに、ペンを持ち字を書いて頂きました。
この方が字を書いている場面を、自分はしばらく見ていません。
結果・・
いろいろ書かれていますが、「字」がみあたりません。
「字」になりかけのものもありますが、ほとんど分かりません。
ん~
ペンをペンだと分かり
ペンの持つ位置が分かり
ペンの持ち方が分かり
ペンを持つ力加減が分かり
ペンをどう使うか分かり
ペンでどこに書くか分かり
ペンで書き続ける事ができ
等々、まだまだ有する能力をお持ちなのは分かりましたが、
「字」が書けていません。
「字」を忘れてしまったのか
この場面では思い出せなかったのか
書きたいものがなかったのか
書きたい事が分からないのか
書きたいと思わなかったのか
もっと時間をかければ引き出せたのか
書きたいと頭では分かっていても、それを表現、形にできないだけなのか
「字」の記憶か、書く事の「行為」をこの場面では、忘れてしまっているように見受けられました。
能力の喪失、退行でなければいいのですが・・
とはいえ、書く機会をほとんど設けていなかった自分達です。たぶん。
他の職員もアプローチしている場面を見ていない気がするのです。
頭も体も、使わないとどんどん能力が衰えていってしまいます。
もちろん自分も。
今回の「書く」機会が、人生最後の文字にならないようにしないとですね。
でも、現場では意識していないと、本当にこのまま「書く」機会がかいまま何年かが過ぎてしまう事はあり得ますよね。
できる事をやり続ける
できる可能性を探し続ける
意外と現場では難しい事だと実感していますが、今回のようなちょっとしたシーンも、
大切に能力発揮の機会と捉えていきたいものですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
次のブログUpは22日PMの予定です~
繋がろうよ
たまたまこんな記事を見つけました。
「社会的に孤立しているかよりも、本人が孤独を感じているかどうかなのかもしれない」
まぁ、これに当てはまる方もいれば、そうでないかもしれませんが、
「確率」の上では、そういう傾向があるという事ですね。
自分の体感、実感的には、「あるある」的な内容だと思いまます。
生き方、生活環境や心理的な不安要素が、脳の調子を悪くしていく事も中にはありえると思うのです。
これもあくまで個人的な意見ですが。
現実逃避?将来拒否?
「忘れる」「忘れられる」という事は、もしかしたら自分の精神衛生面で必要な事、しくみなのかもしれません。
やっぱり「人」って生き物は、孤独な生き方をする生き物ではなく、
足りなかったり、かけているものを
補完し合いながら
助け合いながら
繋がりながら
生きていく生き物なんだと思ったりします☆
いろいろな人間関係を大切に生きていきたいですね☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
どうしたどうした~
今日のTVや、マイ携帯のフォローリストで上がってくる内容は・・・
よくないニュースで押されていますよね。。。汗
どうしたどうした介護業界~
そんな中で、懸垂するおじいさんのニュースの方が気になります。
事件だけでなく、ポジティブな話題をもっともっと提供、取り上げていかないと
大変でだらしないイメージが変わらないですよね。
大変さというか、手間がかかるし、上手くいかない事がある意味
「当たり前でふつうの事」
という感覚も大切だと思うんですよね。
だって、助けを必要としているのが「人」なんですから。
そりゃ、マニュアル的にも楽でもないのは当たり前。
ちょっとの事でもいいので、楽しい事、面白いこと、ワクワクする事を見つけ出したり、
創り出す事ができるセンス、視点がもてるようになると、
なかなかいい仕事に見えてくる、思えてくるのだと思います。
いい死後をするには、自分次第の要素も結構あったりするのだと思います。
自分の見方、捉え方、感じ方、考え方、やり方を変えてみると、
介護の風景が変わる事があります。
人は変われる生き物です。
変われないと思ったら変われない
変わろうと思ったら変わり始める
自分をあきらめなくてもいいですよね。
この業界にいる私達はステキ☆~な存在、
社会に必要な存在
もっともっと自分達を磨き
もっともっとおもしろいものを創り出していきましょうよ~
こんな取組も目につきました☆
いいね!
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
次のブログUpは17日の予定です~
「オレンジカフェ ジェネ」発進☆
本日は”波の女”主催の「オレンジカフェ」を、定休日で閉まっている
近所の喫茶「ジェネレーション」を臨時で開けて頂いて開催させて頂きました☆
記念すべき初回の「オレンジカフェ ジェネ」の発進です。
まずは開店前から少し準備を・・
いきなり、想定外の事が。。。
風向きを計算していなかったので、旗の文字の方向がみな逆に(汗)
設置場所によっては、逆向き印刷か、両面印刷で作らないとですね。
まぁ、そんなこんなはあったにせよ、予定の15時より、
滝子の利用者1名、入居者2名の3名の認知症という状態になる方々が、
ウェイター役になり、オレンジカフェ ジェネのオープンです♪
まず、水をお出しし
注文をとり
マスターにオーダー
慣れない役割なだけに、多少の混乱もありながら、
割烹着を着た利用者・入居者同士で助け合いながら、役割をこなしていかれます。
「こんな事した事ないわぁ」と言われつつも、
利用者・入居者さん方は、日ごろより調理準備、配膳や片づけに携わっているだけに、
来客者に「聞く」「書く」「伝える」「運ぶ」「出す」等の動作は自然とこなせていました。
本当に素晴らしい☆
有する能力の発揮の機会、役割のある時間です。
嬉しい事に、想定を上回る10組以上の来客?参加者?の方々で、
開始早々、店内はいっぱいになりました。
その対応を利用者・入居者さん達が行う訳ですので、
当然、「水を出す」「注文を聞く」「ドリンクが届く」までに結構時間がかかっていましたが、
そこは通常の営業をしている訳でなく、高齢の認知症という状態になられている方々が
ウェイター役を行われているという事を理解されている、参加の方々ですので、
のんびりと、笑顔で、温かい目で見守ったり対応して頂けていました。
ドリンクを届けて頂いた際に、冗談で
「このお代はいくらですか?」
と意地悪な?質問をさせて頂くと、そこは人生のベテラン
「私が払っとくからいいわよ!笑」
と切り替えされていました。
さすがですね☆
バタバタと、あっという間に1時間が経過した頃、
さすがに疲れが出てきていましたので、
参加のみなさんのテーブルで一緒にお茶しながら一休憩♪
「認知症相談や情報収集目的」の方もいれば、
「自分の事を聞いてほしい」
「認知症という状態にある方々との会話を楽しみたい」
「遊びに来た」
「手伝える事があれば」
等々、様々な目的でたくさんの方々がみえていますので、
会話を楽しみたい方々とセッティングさせて頂き、
休憩がてらトークを楽しんで頂きました。
中には、「注文をまちがえる料理店」を見た事があったから、興味があって・・
という方もみえたので、そこは本家本元の「和田行男」が対応させて頂いたりと、
楽しさ、驚き、学び、贅沢?のある時間・空間になったのではと思います。
もちろん、「後片付け」まで含めてのウェイターさんです。
初回より大盛況の「オレンジカフェジェネ」ですが、
これもひとえに、近隣住民の方々、利用者・入居者家族、民生委員や地域包括の職員さん達、
そして、準備に尽力して頂いた職員のみんな、
そして、定休日のプライベート時間を空けて、店を開けて頂いたマスターのおかげです☆
もちろん、主役である、ウェイター役をやられた滝子の利用者・入居者さん達のおかげでもあります☆☆
本当に、ありがとうございました。
感謝いたします。
次回は2ケ月後の平成30年1月21日(日曜日)15時から、2回目のオレンジカフェジェネを
開催させて頂く予定です。
開催内容はこれからつめていきますが、楽しくも、有意義な時間となるよう企画を進めていきたいと思います。
お楽しみに☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
将来の職業
社長より情報頂きました☆
小学校6年生が将来なりたい職業を作品にした展示会があったそうです。
小学生が将来なりたい職業・・
男の子なら、
宇宙飛行士
スポーツ選手
医者、とか多そうですね。
カリスマ教師とか、ロボットプログラマーなんてのもありますね。
女の子なら
美容師
ペットショップ店員
パティシエ
アパレル店員
なんて職業もありそうですよね。
そしてその中に見つけたのが・・
「やさしく接する介護福祉士」
という作品(写真中央の車いすを押す人)があったそうです☆
きっと身の回りの身近なところに、「介護」という環境があるんでしょうね。
それか社会見学先で見たりしたとか?
見た事もない、行ったことがなければ、「介護福祉士」なんて単語も出てこないですよね。
でも、子供の目に映った介護の風景、仕事の様子に何か感じてくれたのでしょう☆
なんか嬉しいです♪♪
間違いなく、たくさんある将来の仕事の中でも、重要といいますか、
必要とされていくのが「介護」の仕事です。
歳をとっても人として生き、死んでいく事を応援、サポートする仕事は、
ロボットも担えるところは出てきていますが、絶対人の手、関わりが必要です。
そんな将来必須の介護の仕事人に
「なりたい」
と思ってもらえる子供が少しでも多くなってほしいです。
といいますか、「なりたい」と思ってもらえるように
「ステキな仕事だな」
「大切な仕事だな」
職員や利用者が
「頑張って」いたり
「輝いて」いたり
「楽しそう」だったり
そんな外から見て、「いいね!」と思えるような状況を演出できたり、
立ち振る舞いできる仕事人が、もっともっと増えないとですね。
「障害を抱えても社会の中で生きる姿」
「困っている方々の力を引き出せるような仕事ぶり」
を見てもらうためにも、和田行男の言う「婆さんず解放運動」に加わっていく
施設・職員がもっともっと増える必要があると思っています。
同業者の皆様
社会・地域からの「見られ方」を意識した行動・仕事を。
また、「見られ方」を変えていくという視点も必要ですよね☆
がんばろっと☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
自分も「介護福祉士」になりたいです(笑)
1回受けたのですが、落ちました。。
オレンジカフェの看板(右側)できました。
田熊さんの手作り品。素晴らしい~☆
12日 楽しみです♪
「ここはどこ?」
写真は、グループホーム入居者が自宅宿泊した時のものです。
遠方に暮らす娘夫婦家族が、名古屋に来られ、
住み慣れた?自宅へ入居者さんを迎え入れ、1泊されたのですが、
なかなか順調とはいえません。
「ここはどこ?」
「あなた(孫)は誰?」
「孫はまだ小さいはずよ」
しまいには、
「私に主人なんかいません!」
「私は自分で働いたお金で暮らしているのよ」
等々、どんどん昔の記憶へ戻っていってしまっていました。
それに対して娘夫婦家族は、一生懸命過去の写真を見せたりしながら、
「ほら、お母さん孫を抱いているでしょ」
「私が結婚する時にお母さんこう言ってたよね」
一生懸命「過去の事実」を伝え、なんとか「記憶」や「納得」を引っ張り出す作戦に出たそうですが、
そこは玉砕だったようです。
途中から合流した後、「私達の事実」と「今の本人の頭の中の事実」は、
イコールにならない事をお伝えさせて頂き、
「ご本人の世界に合わせていく事」
「そこにいる意味を感じれるような行為を引き出す事」
が大切ですと、お伝えさせて頂きました。
住み慣れた?の「?」は、今回の本人さんにとっての視点で、
記憶障害があり、理解力や判断力が落ちている中では、
住み慣れていたはずの自宅も、「?」がつく事になってしまいがちです。
ここしばらくの間は、滝子のグループホームで、
暮らしている(自分の力を使って、買い物、食べる、寝る、風呂入るの繰り返し)訳ですので、
「自宅はここではない」と「脳」で分かっていても、
「体」が滝子で「生きている実感の連続」を感じている訳です。
その「主体性」というものが、その場所での「存在価値」を産み、
「自分の力を使って生きる」場所が、自宅でなかったとしても、
「今暮らしている場所」「そこにいる意味がある場所」と認知される事はよくある事です。
「脳」と「体」が意味をもって「一致」すると、とても分かりやすい、納得へつながるのですが、
そこに「記憶障害」「理解力」「判断力」「見当識」等の脳の力が衰えれば、
「実際の家」であっても、帰ったとしても「家でない!」という事になってしまう事があるでしょう。
病気により、脳の力が衰えていく先には、
「有する能力に応じ自立した日常生活を営む場所」
が自宅でなかったとしても、そこにいる意味を感じる事でしょうし、
体感的に、自分の力を使って生きる場所がとても大切なのだと、僕等は実践の中で感じています。
自宅を覚えている・忘れないことは大切な事ですが、
「記憶の中の世界にひっぱられながらこれから生きていく」
よりかは、
「今とこれからを自分の力を使って生きていく」
事に理解と力を注いでいけたらと思います~。
滝子通一丁目福祉施設施設長 井 真治
あれまぁ!
本日の昼は「カレー」
たまぁ~にあります☆
皆さんカレーを食べる道具は?
「スプーン」
の方が多いと思います。
まぁ、箸でもいけなくはないのですが・・
実際、箸で食べる利用者さんも多いのが事実です。
要介護4のFさん。
認知症の進行もあり、言語による会話は難しい方です。
まぁ、非言語、ジェスチャーによるコミュニケーションは、
上手にやればまぁまぁとれたりする方です。
普段から食事の食べこぼしがあったり、食器を食べられようとされたり
する方なので、介助をさせて頂く場面もあります。
なんとなく、感覚的には、
カレーは「スプーン」
おかずは「箸」
の区別がつなく、箸のままカレーも食べられると予測していたものの、
一応スプーンも添えておきました。
食事が少し進んだ時に、ふと見ると・・
あれまぁ!
先ほどまで、箸でおかずを食べてみえたのに、
スプーンでカレーを食べているではありませんか!!
使い分け?ができる能力が残っているという事でしょうか。
ぼくらは、できない事を知って、補っていく事も大切ですが、
可能性を探していく事も大切にすべき仕事だと思うのです。
可能性を引き出す環境設定や、関わりをしっかりする事で、
まだまだ眠っている?
発揮する機会がないだけ?
といった能力を活用していく事も大切にしたいものです。
人はできることを「する」生き物ですからね☆
これからも、可能性を信じたり、探したりしながら仕事をしていきたいですね☆
介護って、アプローチによって結果が変わるからおもしろいですね。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
隣の方が勧めてくれた可能性もありますけどね(汗)
次の機会にちゃんと見極めたいと思います(笑)
それにしても・・カレーって・・
自分も食べたくなりますよね。
カレーのにおいにやられます~
*このブログ、間違えて「お知らせ」の方へあがっていました。
生き方って大切
「昨日今日はとても天気が良く、日中は日差しが強く熱いくらいの1日でしたね。
半袖で過ごせるくらいでした♪
(よく季節感おかしいと言われますが。。笑)
たまたまこんな記事を見つけました。
たいした話題ではありませんが。。。
認知症で死ぬ人の比率が多いのは寒い国で、上位から、
フィンランド、アメリカ、カナダ・・と続き、
日本は58位でフィンランドの12分の1以下だとか。
ほんとかいな。
死亡原因の捉え方の違いがあるのでは?と疑問におもったり。
外国ではそもそも「延命」なんてしないし、
なかにはそんな言葉すら存在しない国も多くあるのに対し、
まだまだ日本では、「延命」が存在し、その延長線で「寝たきり」になり、
最終的には肺炎や心不全とかでなくなるといった流れがあるので、
「認知症」がきっかけでないといったカウントの仕方になっているのかもしれないですね。
ま、どちらにしても、寒い国で多いという統計があるのであれば、
沖縄より、北海道の方が、直接ではないにせよ認知症絡みにより無くなる
といった統計が出るかもしれないですね。
寒い方が認知症になりやすい?
どうなんでしょうね。。。
記事では、寒い地方に置きやすいカビの菌だとか、
藻の一種が・・とか書かれていますが、まだまだ理由は分からないでしょうね。
自分が思うに、認知症は色々なパターンにより起こる可能性があると思うのです。
(原因が分からない症状なので、まだいろいろな考え方ができますよね!?)
遺伝的なもの
脳の病気によるもの
そうなる運命や意味があるようなもの
あと完全な自論ですが、生活の不活発の先に、
生きる意味や生活感がなくなっていったり、
先の不安が大きくなっていく先に、
アルツハイマーを始めとする脳の変性疾患が起こるのでは?
といったパターンもあるように感じていたりします。
原因疾患が発生するスイッチが入るきっかけが、
「生き方」に関係あるのかもなぁと勝手に思ったりしています。
寒い地域?寒い日が多い地方?(北海道とかよりももっと寒い地域)の方は、
日照が少なかったり、家で過ごす時間が長くなったりして、
それがもとで、孤立気味な暮らしになり、その先に不安や不活発となり、
そういう生活感や生き方が、脳が壊れるスイッチが入りやすいのかもしれないですね。
(と、勝手に妄想)
この自論は、逆に考えると
「自分のことは自分でやり」
「互いに助け合っていき」
「社会とつながって生きる」
といった、「人」として生きる姿を維持できている人には、
認知症が発症しにくいのではないかと思えたりします。
(波の女の理念ですね♪)
昨日近所でみかけた、高齢の方々の活動(ペタンクか?)をみていて、
「あ~ こういう時間が多い暮らしをしている方は、原因不明の変性疾患が原因の
認知症という状態にはなりにくいんだろうなぁ~」
そもそも皆さん、体型がスリムで、生活習慣病になりにくい生活をしているのでは?
と想像できるので、そうなると、脳血管性の疾患のリスクも減るのかなと思ってみていました。
ま、いくつになっても、
「生きる意味」
「生きていると体感できる時間」
を大切にできるような生き方ができたらいいなぁ♪
と地域の中で、人とつながりながら活動されている方々をみて思いました。
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
ここまで書いてなんですが・・・
たぶん自分が歳を重ねると、マイペースなんで、
そんな生き方にならず、結果、脳の変性疾患のスイッチが入る人生になるような気がします。汗
次のブログは5日UPの予定です☆
脳の障害が基になり、生活の障害が起こり、認知症の診断だつくといった
嬉しさ☆
あれ!? あっという間に月末~
ブログ更新飛んでしまいましたね(汗)
失礼しました。
本当に時間の流れは速いものです。
自分の時間も、利用者、入居者さんへの仕事もそうですが、
「ゆったり、のんびり」
なんてしていたら、あっという間に時間が過ぎ
人生もおわっちゃう!!
ってことにならないようにしないとね☆
生きる事、生活はやる事だらけです~
さて話は変わります。
この前利用者さんと外出していたところ、
小学生の女の子が声をかけてきました。
「介護職ですか?」
「がんばってくださいね☆」
なんか嬉しいですよね♪
(介護職とばれないようにしているのですが)
子供たちは、この国の未来であり、宝物です☆
小さいころから、この国のこれからを知らないまでも、
「介護」という仕事が、とてもとても大切で重要を持っている中で、
「小さな理解者・応援者」
が街の中に増えていくって素敵です☆
もっともっと、地域、社会の中へ
「障害をもっても地域の中で人として生きる姿」
をどんどん見て頂くためにも、生活支援は大切な意味・役割を持っているのだと思います。
小さな存在に
大きな元気と希望をもらえた一瞬でした☆
滝子通一丁目福祉施設 施設長 井 真治
お兄さん、お姉さん、おじさんおばさん達は、
いい仕事ができるよう、お勉強をしていますよ~笑